全ては巡り巡って邂逅す
「今、何と?」
「そそそそれより前! 前!!」
翻訳魔法がエキサイトでもしてしまったか、湖から現れた東洋龍に構わず腕の力を強めてこちらを凝視して来るクラヴィスさんに、思わずべしべしと肩を叩き叫ぶ。
目の前に怪物がいるんですよ!? 人間なんてぱっくり食べられそうな口してんだよ!? 気になったとしても時と場所を考えて!?
東洋龍を目の前に完全にビビッている私の様子に、仕方ないとばかりに前を向いてくれたけれども、あんなの前にして冷静でいられる方がおかしくないです?
まさかと思いシドを見れば彼も彼でさっきと変わらず剣を構え、東洋龍の動きを警戒していた。何だこの主従。
あんな存在を目の前にしても変わらず平静な二人に思わず顔が引き攣るが、それよりも今はこの現実だよね。逃避してもいいかしらん。
「何か見てる……こっち見てるよぉ……!?」
「しっかり掴まっていなさい。絶対に離すな」
東洋龍も自身に剣を向ける私達を警戒しているのだろうか。
宙に浮かんだまま大きな目をぎょろつかせて何やら私達を見比べていて、その眼力の強さに体が強張る。
まさしく蛇に睨まれた蛙です。ガクブルです。何でパパン達は平静で居られるの。
唯一安心できるというか、心強いのはパパンが背中を力強く支えてくれている事だ。パパンなら何とかできるよね!? 信じてますから!!
泣きそうになりながら幼女に出せる最大限の力でクラヴィスさんの首へと抱き付く。
首が締まろうとも知ったことか。だって今私ができるのはこれだけだもの。
肩口に顔を押し付け、目をぎゅっと閉じた時、クラヴィスさんでもシドでもない、誰かの声が辺りに響いた。
【其処な童】
「……ん?」
反響して二重に聞こえるのに、はっきりと聞き取れる男とも女とも判別できない声。
私達以外誰もいないこの状況で童と呼ばれる姿をしているのは私だけ。
こんな危機的状況で一体誰が私を呼んでいるのかと、顔を上げて辺りを見渡し再び東洋龍と目が合った時、東洋龍が私を見つめたまま首を傾げた。
【《渡る者》でもないただの人間だというに、どうやって世界を渡ったんじゃ?】
「……うん?」
心底不思議だと言わんばかりの声とただただ私を見つめる東洋龍。
言われた言葉の意味はわからないけれど、それでもその二つからその声はこの東洋龍の物で、私に問いかけて来ているのだと瞬時に理解した。
──ってことは、だ。あの龍の言葉がわかるなら意思疎通ができるのでは?
このまま戦闘などにならず終わってくれるかも、と淡い期待を抱いたが、それはクラヴィスさんが空いている手を東洋龍に向け、バチバチと音がした事によって砕け散る。
あからさまに臨戦態勢だね。手の周りで雷がバチバチ言ってますねそんな魔法初めて見たなぁ……もしかしなくとも二人にこの声聞こえていないですね!?
「ちょっと待ったぁ!!」
慌ててクラヴィスさんの腕へと手を伸ばし、バランスを崩して落っこちそうになるのも構わず腕に抱き付く。
上から息を詰めた音が聞こえたが、私を支えていた手が落下を防ぎ、両手で抱え直してくれたので落ちる事は回避できた。
魔法がバチバチ音を鳴らしていてすごく怖かったけど、パパンなら私が怪我をしないように対処してくれる。
そう信じての行動だったが、やっぱり正解でしたわ。急にごめんね。でも友好関係を築けそうな相手を攻撃して取り返しのつかない事になるのは避けたいじゃん。
「……で、言い訳は?」
「ひぇっ」
とはいえ、声が聞こえていないパパンには奇行以外の何物でもないんだろうネ。
はらりと垂れた黒髪と共に地を這うような声が上から降って来て体がびくつく。
めっちゃ怒ってますね。蛇に睨まれた蛙リターンです。むしろさっきより怖い気がするよぉ……!
「トウカ」
「こ、言葉がわかります! この龍の言葉が!!」
「……翻訳魔法、でしょうか」
「魔物の言葉を理解できるなど聞いた事も無いが……まぁ良い。彼のドラゴンは何と言っている?」
「それが、その……私のことを知ってるみたいで」
「何?」
クラヴィスさんの睨みに声を上ずらせながらも端的に伝えれば、それまで黙って警戒し続けていたシドが呟く。
シドのナイスアシストのおかげで突き刺さっていた鋭い視線が消え、一つ溜息を吐いた後でそう問われる。
やはり私にしか聞こえて無かったのかと改めて理解しつつ、シドがいる手前そのまま伝えるのは憚れる内容だったので少しぼかして伝えれば、意図も含めて正しく伝わったようだ。
クラヴィスさんは微かに目を見開きいた後、思案顔で東洋龍の方を向いた。
【ほぅほぅ、翻訳魔法と来たか。この世界にまだ使える者がおったとはのぉ……。
して、お主の事も気になるが、今はそちらの話を聞こうか。
童よ、通訳を頼めるか? 最初に言っておくがワシ争う気は無いんで、そこのところよろしく】
「なんか通訳頼まれてるんですけどぉ……争うつもりは無いそうですよぅ」
やけにフランクな東洋龍だなぁと軽く現実逃避をかましつつ、東洋龍の言葉を二人へと伝える。
通訳と聞いて一瞬こちら側の言葉も通訳しなければならないのかと思ったが、よくよく考えれば東洋龍はシドの発した「翻訳魔法」を聞き取って理解している素振を見せている。
もし通訳するなら東洋龍の言葉だけで済みそうだと一人安堵していると、どうするか決めたのかクラヴィスさんが私を緩く抱え直して頷いた。
「剣を下ろせ。トウカは通訳を」
「……はっ」
「全員に掛けた方が早くないです?」
「翻訳魔法は一度に一人しか掛けられん。
それに魔力を持たない君は必要ないが、本来翻訳魔法を掛けるには儀式が要る」
「そういうの最初に言っときましょ」
言われた通り剣を下げたシドを横目に提案してみたが、予想外過ぎる答えに素で突っ込む。
滅茶苦茶気軽に使われてたから、もうすっかり、頭をぽんって触るだけで掛けられる物だと思ってた。本当は儀式が要るとかなぁにそれ。
そういえばさっき東洋龍も使えるのは珍しいみたいなこと言ってたね。つまりパパンがすごいだけでは? いつものことじゃん。あっはっは。
気を取り直し、クラヴィスさんの肩に手を置いて態勢を整え、改めて東洋龍を見上げる。
威圧感はすごいままだけれど、話が通じると思えばちょっと怖くないかもしれない。うん、強面なだけだよ。厳つすぎて睨まれてる気がするけどダイジョブダイジョブ。
とりあえず動転して変な伝え方をしないよう、聞こえる通りそっくりそのまま二人へ通訳しよう。
きゅう、と無意識に力を込めて服を握り締める私に、クラヴィスさんはただ少しだけ腕に力を入れて前を見据えた。
「私の名はクラヴィス・ユーティカ。このノゲイラの地を治める領主だ。
そして私の養子のトウカと従者のシド」
【ワシは《渡る者》の一柱、名は……はて? なんじゃったか……忘れてしもうた。まぁ好きに呼んでくれて構わん。
しかし領主とは……この地を治めるのはパラダイム家の者ではなかったかのぅ? 縁はあるようじゃが、随分と遠いモノしか感じぬ】
「この地を治めていた者は悪事に手を染め、民を苦しめていたため捕らえられた。
それに代わって先日私が領主となった」
【そうかそうか……あやつは良い人物だったが、子々孫々ともなればわからぬなぁ】
クラヴィスさんの言葉を皮切りに始まった東洋龍との対話は、思っていた以上に穏やかな物だった。
緊張からか声が震えそうになり、所々閊えながらもどうにか東洋龍の言葉を聞こえるまま伝える私に、クラヴィスさんやシドだけでなく、東洋龍からも労わる視線を感じる。
口調とかも合わさってまるで厳ついけど優しい近所のおじいちゃんみたいな印象になってきたよ。
そう考えれば少し緊張も和らぐというもの。
東洋龍が物憂げに目を伏せたのもあり、僅かに空いた間にこほんと小さく咳払いをして喉の調子と気持ちを切り替え整えた。
「貴殿の口ぶりからして、随分昔からここにいたのか?」
【ずっとでは無いがな。この世界じゃと……そうじゃのぉ、500年ほど前ここで過ごしておったことがある。
その時もこうしてこの地を治める者と話し合ったが、お主らの様子じゃと伝わっておらんようじゃの】
「あぁ。ここ数ヶ月、歴代領主の手記なども目を通して来たが、貴殿について何も知る事は出来なかった。
……今この地に暮らす民は貴殿に怯え、この湖に近付けなくなっている。
ヘティーク湖は我らにとって数少ない資源の一つだ。どこかへ移る事はできないか」
【すまんが、ワシにも事情がある。この場所からしばらくは動けん】
「事情、とは?」
はてさて、ずっと忙しそうだとは思っていたがパパンはちゃんと寝てるのだろうか。
余裕ができて気になる事がちらほらと出てきているが、東洋龍が首を振ったのに対し、クラヴィスさんの眉間に一瞬皺が寄ったのを目の当りにしたので、通訳に専念することにした。
これは、あれだよ。不機嫌とかそういうのじゃなくて、問題の対処法を考えながら状況を把握しようとしてるだけだと思う。この間領主の横領の証拠が新しく見つかった時の表情と同じだもの。
【少し前に力を使い過ぎてしもうての。
魔流の流れるこの地にしばらく留まり、力を蓄えねばならん】
「魔流……神脈のことか」
「神脈?」
「地下深くに流れる膨大な魔力の流れだ。
ノゲイラに大きな神脈が流れているのは知っていたが……そうか、それで離れられないのか」
聞こえたまま伝えるのは良いが、理解できない単語が出て来てつい呟くと、すぐさま答えが返ってきた。
元の世界でいう霊脈とかそんな感じの理解で良いのかなぁ。
魔力が存在しているこの世界だととてつもなく重要そうに思うが、『知っていた』だけとなるとそこまで重要視されていないのだろうか。
納得した様子で呟き、空いている片方の手を口元に宛てて思案するクラヴィスさんを見て、東洋龍が申し訳なさそうに頭を下げた。
【此処を移動するとなると、別の場所を探さねばならん。
しかしワシにはこの土地が一番合っておってのぅ……ワシとてここに生きるモノ達の暮らしを脅かしたくはないが、ここに留まりたいんじゃよ】
ノゲイラとしてはここから離れて欲しいけど、東洋龍としては離れたくない、と。
通訳した後、皆黙り込んでしまい気まずい沈黙が場を満たし、私もどうしたものかと首を傾げる。
少し話しただけだが、この東洋龍は私達に害を与えようとしない存在だとわかるんだ。実力行使や追っ払ったりなんて野蛮な真似はしたくない。
ちらと視線を横に向ければ、水面には東洋龍が近くにいようと構わず悠々と泳ぐ魚たちの姿が見え、森の方からはのどかな小鳥たちの囀る声が聞こえてくる。
厳しい自然の中で生きる動物達が、これほど強大な存在を前にしても気配を殺さず自然のままに在る。
それはつまり、東洋龍の存在は彼等にとって自然な物だから、という事だろうか。
……言っちゃえばこっちは漁業とかができれば良いんだよね。妥協点ありそうじゃない?
「ねぇねぇ! 龍さんって人を食べる?」
【いいや? たまに水は喰らうが……生まれてこの方、肉を喰ろうたことは無いなぁ】
「それで生きていけるの?」
【ワシら《渡る者》は魔力を糧に生きておる。
仲間の中には人を食う物好きもおるが、ワシは血なまぐさいのが大嫌いでなぁ。もっぱら魔流から魔力を得ておるんじゃ】
「はぇー……すっごいのね《渡る者》って。何かよくわかんないけど」
【それはそうじゃろう。ワシらは普通人に姿を見せる事は無い。知っている方がおかしいほどじゃよ】
はいはーいと勢いよく手を上げて質問した私に対し、東洋龍は少しだけ驚いた様子を見せたものの昨日の晩御飯を思い出すかのように答えてくれる。
少々想像したくないことも聞こえてきたが、そこはスルーし、期待以上の答えににんまりとパパンを見上げた。
「何か思いついたようだな?」
「はい、共存可能だと思われです」
東洋龍との会話を伝えてはいないのだが、私達の様子を見て内容は察せたんだろう。
見上げた瞬間目と目が合い、私が切り出す前から先を促された。さっすがパパン、話が早いわぁ。
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