第3話 杯のご加護がありますように

 夜が明け、空が白み始めた。

 聖大教会の霊樹の下に集まったのは、ケヴィン、アズウェル、ハースナー西大陸司教とウィント東大陸司教。

 墓地を取り囲むように、フェイ警護隊長と警護隊員数人が立っている。


 堅牢に組まれた木製の寝台には、礼拝堂の祭壇に使われているものと同じ、シルクのクロスが引いてある。

 艶を帯びた銀糸で刺繍を施されたその上に、ティンバーは、静かに腰かけた。

 アズウェルは、ティンバーの後ろ手に回り、肩にケープをかけ、耳元で声をかける。


「まもなく教王猊下がいらっしゃいます。儀式の初めに、大司教から最終確認の説教がありますので、もし気が変わったら、その時にお申し出ください」

 ティンバーは、黙って頷いた。


 程なくして、近衛隊と共に教王が現れ、皆が一斉に礼をした後、教王がティンバーに声をかけた。

「ティンバーさん。私が教王の、ネルサン・ロドニーです。主はあなたと共にあられます。どうぞ、リラックスなさってください」

「はい、お心遣い痛み入ります」

 そう言ってティンバーはぎこちなく礼をした。




 典礼用の祭服姿のケヴィンが、ティンバーと向かい合うように立った――肩から金の帯をかけ、魔法石をはめ込んだ冠をかぶっている。

「儀式を執り行う前に、説教を行います。このロザリオをお持ちになってください」

 肩からかけたロザリオを手渡す。

「それでは始めます」


 ケヴィンは、ティンバーと目を合わせ、ゆっくり話し始めた。


「主は、地形をお創りになり、わたしたちは、そこから自然発生しました。その後何千年にも渡り、生態系が分岐していくのを、主は、ずっと見守ってくださっています」


 ティンバーはケヴィンの目を凝視したまま、黙って聞いている。


「聖練書の中に、このような一節があります。主は、1人の男に、ぶどう酒を与えます。そして、どうぞ好きなだけお飲みなさい、と言います。それと同時に、飲みたくなくなったら無理をして飲まなくてよい、とも」


 ティンバーは、目線だけをケヴィンの胸のあたりへ視線を落とす。


「それと全く同じことで、主は命を守ってくださるけれども、生きていたくないというのなら、無理して生きていなくても良しと、おっしゃっています」


 ティンバーは、不自然なほどに身じろぎひとつしないまま、ぼーっと、ケヴィンの胸元を見つめ続ける。


「主は命を押し付けませんし、わたしは、あなたのお気持ちに従うだけ。あなたの命はあなたのものです」


 表情を硬くするティンバーに向けて、ケヴィンは少し微笑み、優しく尋ねた。


「……これが最終確認です。どうなさいますか?」

「私は、死を選びたいと思います」


 これで、儀式の執行が決まった。


 アズウェルが声をかけ、ティンバーは寝台の上に体を横たえる。

 そして、各人が手に持った聖水を、順番に周りの地面に撒いてゆく。

 最後のウィントが撒き終わったところで、教王が、静かに近寄った。

 ティンバーが握っていたロザリオを手に取り、小さな声で長い祝詞を述べる。

 そして教王は、再びそれをティンバーの胸の上に置いた。

 ティンバーは、それを強く握りしめ、ぎゅっと目をつむる。




「たったいま、蒼天より、我らが父の眼差しを受けました。あなたの命は果たされます」


 ケヴィンは目を伏せ、呪文を詠唱した。

 白い光が、寝台の周りを包んでゆく。

 すると、木々のざわめきや、風の音、生物たちの気配が薄まり、無に近い静寂が訪れる。

 皆、首から下げたロザリオを手に取り、両手を組んで目を閉じた。

 さらに長い呪文を唱えはじめると、光はどんどんその量を増し、やがて、ティンバーの姿が見えないほどの光量になる。


「あなたの魂と記憶は、この霊樹のもとで、安らかに鎮められます。迷うことなく、主の導かれる道をまっすぐお進みください」


 ケヴィンは、短剣の魔法石をひと撫でし、手に魔法力を溜める。

 2歩下がり、両手で握り直す。


永遠とわに、杯のご加護があらんことを」


 ケヴィンは、短剣を一気に振りかぶり、渾身の力で、振り下ろした。


――――ビュッッ!!!


 砂が舞い上がり、取り囲んだ者たちの祭服の裾がめくれるほどの強い風が、空を切り裂く。

 一直線に放たれたそれは、白い光の前で四方に弾けて広がる。

 誰もが目を開けていられないほどの、強い光。

 

 やがて、周囲が音を取り戻し始めると、皆が目を開いた。

 寝台に横たわったティンバーは、静かに、目を閉じたままだ。

 肩を上下して激しく息を切らしながら、ケヴィンは寝台に近づき、ティンバーの胸に手を当てた。

 脈が無いことを確認し、2歩下がって、ゆっくりと杯字を切る。

 皆もうつむき、目を伏せ、杯字を切った。


「天にまします我らの父よ。その御心のままに、この方の魂が霊樹の下で安らかに眠れるよう、お護り下さい」




 儀式が済むと、ティンバーの亡骸は、フェイの指揮のもと、警護隊員によって、馬車に乗せられた。

 ここから、火葬場へ運ばれ、待っている両親と、ホスピスの医者と看護婦たち、なんとか連絡がついたかつての恋人の立会いのもと、荼毘に付される。


 ケヴィンが汗でびっしょり濡らした額を拭っていると、教王への挨拶を終えたウィントが、後ろから、ケヴィンの腰を軽く叩いた。

 無言で目配せをし、そして、聖大教会の方へ去っていく。

 ハースナーは、太い右腕をケヴィンの肩を抱き、一言労って、帰っていった。

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