第2話 石を投げられるうさぎ

「はじめまして。修道司教をしております、アズウェル・ラドクロワと申します」

 にっこりと微笑むと、ティンバーは、薄く笑ってぺこりと頭を下げた。


 体調面を考慮し、ティンバーの個室へ出向いたふたりは、ベッドの横に椅子を並べて座った。

 ティンバーは、半分起こした状態のベッドに背中を預けている。


「きょうは体調はいかがですか?」

 アズウェルが優しく声をかけると、ティンバーは、眉間にしわを寄せた。

「息苦しさはないのですが、全身だるいので、ベッドからですみません」

「いえいえ、とんでもないです」


 アズウェルは、居住まいを正して切り出した。

「わたしは38歳なので、ティンバーさんとは同年代ですから、お気持ちは分かりますよ」

 ティンバーは、驚いたように目を見開いた。

「司教さま、私より年上なのですか。10くらい下かと思いました」

「とんでもない」

 アズウェルは、顔の前で手を振って笑う。

「病気の有無は置いておいて、同じ四十路前の男として、ティンバーさんのお考えは分かります。人としての矜持があるうちに、ということでしょう?」

「はい、そういうことです」

 ティンバーは、重いまぶたを伏せた。


「良ければ、そういうお気持ちになった経緯を聞かせていただけませんか?

「構いませんが、すごく単純な話ですよ。ただ死んでいくのを待つだけの日々に嫌気がさした、ということです」

「それはいつ頃から?」


 ティンバーは、ふーっと長く息を吐き、語り始めた。


「バルデア病にかかったのは、おそらく4年前だろうと言われていて、でも実際に気づいたのは、3年半くらい前に、黄斑が出始めてからです。かかった時点で、もう助からないと分かっていますから、その時は『余生は楽しく生きよう』と心に決めたんです。仕事が好きだったもので、近所の医魔術院で回復をしてもらいながら、両親とともに暮らしておりました」


 懐かしむよう、軽く微笑みながら、前方の壁を見つめる。

 アズウェルは穏やかに問いかけた。

「どんなお仕事をされていたんですか?」

「馬車の修理をする仕事をしていました。トランク片手に、毎日あちこち出向いて」

 ティンバーの表情が、少しだけ明るくなる。

「それはやりがいがあったでしょうね」

「はい。とても好きでした」

 しかし、その表情もすぐに曇った。


「でも、だんだん症状が悪化して、出たり消えたりしていた黄斑が、消えなくなりまして。そうすると、客商売もできませんし……何より決定的だったのは、結婚を考えて付き合っていた女性と別れたことです。彼女は最後まで支えると言ってくれましたが、もう死ぬに決まっている自分に付き合わせて、彼女の大事な時間を奪うことはしたくなかったのです」


「それはお辛い決断でしたね」

「はい。その時点でもう、私は、生きることを諦めたのだと思います」


 沈痛な面持ちのティンバーを見て、ここまで静かに見守っていたケヴィンが、問いかけた。


「それからはずっと、果命の儀のことが頭にあったのですか?」

「はい」

 手短に答えたティンバーは、キュッと唇を結ぶ。


「もちろん、何度も考えました。生きているだけで、命があるだけですばらしいのだとか、このホスピスに移ってからは、良くしてくださる皆さんのことを考えると、バカなことを考えてはいけない、とも」


 でも、と言って続ける。


「私には、どうしても分かりませんでした。死ぬと決まった運命があって、その過程に何の意味があるのだろうと。どうせ結果が同じなら、その過程をどう生きようと、意味がない。楽しく生きたってつまらなく生きたって、どうせ死ぬのですから」


 死期を認めた者の悲痛な声は、ふたりの心に、重苦しい何かをもたらす。

 しばらく黙ったあと、アズウェルが口を開いた。


「ひとつ誤解を解いておきたいのは……主は、人の命は、その人のものでしかないと、明確におっしゃっています。ですから『周りの人たちを悲しませないために』生きるという選択をするおつもりなのでしたら、それは間違いです。あなたの人生は、あなたのことだけ考えればよろしいのですから」


「結果、親不孝になっても、ですか?」

「ええ」

 アズウェルは淀みなく答えたが、ティンバーは、表情を曇らせたまま、考え込むように眉間にしわを寄せた。


「そしてもうひとつ、ティンバーさんがおっしゃる、楽しく生きてもつまらなく生きても、死ぬという結果は変わらない……という話ですが。これは難しい話ですね」

 アズウェルは、聖練書を取り出し、パラパラとめくる。


「ヒントになりそうなのは、聖練書に出てくる、年老いたうさぎの話でしょうか。麦酒に酔った男たちが、うさぎに、次々と石を投げつけるんです。逃げても逃げても石は止まず、野次馬も出てきて、囃し立てるのですね。それを見て主は、傍に立っていた少年に、こうおっしゃるのです」


 アズウェルはめくる手を止め、ページの中ほどを指差し、ティンバーの方へ向けた。

「命は、死に向かって、滑らかに静かになっていくわけではありません」

 ティンバーは、少し前かがみになり、ページを覗き込む。

 しばらく行を追った後、小さくうなずいて、目線を離した。


「人はしばしば、死ぬことについて、静かに無になることだとだと思っています。確かに、亡くなったあとは無です。ですが、死ぬ過程とは、必ずしもそうではありません。病気になったA点から、亡くなるB点までは、一直線で結ばれるわけではなく、激しく揺れた線のように、良いこともあれば悪いこともありつつ、B点に向かっていくということです」


 アズウェルらしいロジカルな説明に、ケヴィンは感心しつつ付け足す。


「その波を含めてご自分を愛したいと思う方は、残り僅かの時間を大切にするでしょうし、その波を味わう前に発つことでご自身を大切にしたいと考える方は、果名の儀を選ばれる。それぞれの考え方です。どちらも間違いではありません」


 ふたりの説明を聞き終えたティンバーは、壁の一点を見つめたまま、つぶやくように言った。


「わたしは……人間に生まれて良かったと思いました。自分の死に様を自分で決められる……これが、人たるものかもしれません。石を投げられても生きるしかできないうさぎとは、違います」


 そう言って、涙をポロリと流す。

 アズウェルは、ハンカチを渡しつつ、優しく微笑む。

「決断されましたか?」

「はい。果名の儀を、お願いします」

 アズウェルがケヴィンの方を見やると、ケヴィンは、大きく頷いた。


「分かりました。では、教王猊下からの許可が下り次第、儀式を行います。通達が行くのがおそらく明日、執行は明後日になると思います。残り僅かの時間ですが、ご自分の思うように過ごしてくださいね」


 ティンバーは、目に溜めた涙を袖で拭い、深々と頭を下げた。

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