第2話 大司教さまのお仕事

「――このように、主は、ハンメイル山脈をお作りになりました」


 ぱたりと聖練書を閉じ、説教台を降りる。

 祭壇の前まで移動すると、参拝者が皆、かたかたと椅子を引いて立ち上がった。

 正面の壁に架かった、巨大な杯字のロザリオ。

 ケヴィンはそれを見上げ、ふっと息を吐き、目を伏せた。


「天にまします我らの父よ。その御名のもとに、蒼天より賜いし我らの学びを歓び、感謝し、この祈りを捧げます」


 胸の前で、杯字を切って祈った。




「お疲れ様でした」

「おう。お前もお疲れさん」

 廊下をさっさと進んでいくケヴィンの後ろを、コポがくっついて歩く。

「俺この後の予定なんだっけ?」

「19:00に祈祷が入ってますね」

「あー、地鎮祭?」

「そうですね。馬で10分かかりませんから、近いですよ」

 ふうん、と生返事をし、階段を上がる。


「それにしても、きょうの説教は良かった。こう、雰囲気がね。参拝者が熱心で、主もお喜びだったかな」

「ふふ、きっとそうですね」

 とびきりの笑顔で抱きしめるそれは、これから執務室に積まれる新しい書類だ――これで、デスクの上にまた新しい山ができる。


 執務室の扉の前で立ち止まり、わざとらしくため息をついてみる。

 が、そんなことは意に介さず、コポはたったと脇をすり抜け、部屋に入った。

「この横でいいですか? 他のものと混ぜないでくださいね」

 まるで叱りつけるような口調の注意も、変声前の柔らかな声では迫力がない。

「へいへい」

 かろうじて何かのバランスを保つ書類の山を眺め、再びため息をこぼす。


「あ、きょうはシスターさんたちがおやつに何か作るようですから、15:00くらいに食堂に呼ばれてみるといいかもしれませんよ。では」

 コポはそう言い残し、返事も待たずに、大きなカゴを抱えて執務室を後にした。

 取り残されたケヴィンは、意味はないと分かりつつ、駄目押しのため息をついた。




 物事は、面倒だと思えば思うほど、面倒になる。

 この目の前にある、やたら字が細かく回りくどく句読点の少ない書類も、神が与えたもうた試練なのだから……

 自分を叱咤し文字を追うが、この集中力では視線が滑ってしまう。

 だいいち、辺境の教会の壁など、こんな紙をよこさずともさっさと直してしまえばいいのに。


「ああ、めんどくせえもんはめんどくせえ」


 マルセルとの約束は、あした。

 シスターのお呼ばれは、おそらく例のクッキーだろう。


 学生の青い時代を共にした親友が、国王になり、それもまもなく3年になる。

 誰よりも近く、誰よりもカジュアルに、誰よりも心から祝ってやりたい。

 何を土産にするか悩みに悩んだ結果、夫婦の似顔絵を描いた巨大なものを1枚と、リーファが好きなバラを色違いで数枚。

 マルセルは甘ければ何でも良いと思ったので、適当にお願いした。


 背もたれに寄りかかり、伸びをして、コルクボードに目をやる。


「アイネベーグさんの家かあ」


 きょうの祈祷先は、近くの領の有力者・アイネベーグ家の地鎮祭だ。

 なんでも、婿養子をとって、敷地内に娘夫婦の家を新築してやるらしい。

 当主とは顔なじみだし、その子供の祝い事であれば、できる限りのことを尽くして、建築作業の安全と、一家の幸せを祈りたいと思っている。


 ……そう、焼き菓子のことを考えている場合ではない。

 心の余裕を持って、祈祷に行かねば。


 残り時間はあと5時間。しかしおやつタイムはしっかり入れて、あと4時間。

 慌てて書類に取り掛かる。

「とりあえず、うん。ページ数の少なそうなものを拾って、ひたすらサインしよう」

 またコポに怒られる、と知りながら。




 意匠の凝らされたガラス細工の瓶から、少しずつ聖水を撒いていく。

 今回はあらかじめ大まかな間取りが決まっているので、玄関と水回りを重点的に撒いた。

 7本使い切ったところで、建築に使う木材で作った祭壇に、短剣を刺す。


 長い祝詞を述べ、皆が手を組んだのを確認し、朗々と響く声で宣言した。


「天にまします我らの父よ、我らは隣人を愛し、アイネベーグ家の繁栄と、この工務に関わる全ての者の救われんことをお祈りします。どうぞこの地を鎮め、お護りください」


 左手に杯のロザリオを掲げ、右手で素早く杯字を切った。


 祈祷を終えると、施主の娘が寄ってきた。

「本日は誠にありがとうございました。大司教さまが来てくださるなんて、感激です。これで無事に家が建ちます」


「いえいえ。受ける方の信仰が厚ければ、誰が儀式を執り行っても、神は良い方向へ導いてくださるのですよ。だからきっと、すてきなおうちが建ちます。わたしも完成を楽しみにしていますね」


 そう言ってケヴィンがにっこり笑うと、娘は、頬に両手を当て恥ずかしそうに頷いた。




 日はとっぷりと暮れ、木々の奥からは、フクロウの鳴く声が聞こえる。

 のんびりと馬を引き、たまに立ち止まりながら、ぽつぽつと明かりが灯る商店を眺めていた。


「あ、豆パンだって。食ってみたいなあ」

「だめです」

「晩餐中途半端だったじゃん」

「おやつにたらふくクッキーを食べたでしょう」

「ほら、タイムセールって書いてある」

「大司教……」


 カラフルな外装を施された軒先で、駄々をこねる白い祭服と、腰に手を当てる青い詰襟。

 店主は、どうおすすめしたものかと、困った笑顔を貼り付けている。


「あしたはストロアへお出かけになるのでしょう? せっかく書類を片付けたのですから、きょうはさっさと帰って、早く休んでください」

「ぶー」

 わざとらしく口をとがらせてみるが、ラスターのさりげない心遣いには、気づいている。


「……仕方ないですね。2つ買いますから、1つは大司教にあげます。もう1つは、私からマルセル陛下へということにして下さい」

「わーい」


 『世界で2番目に神に近い』大司教の1日は、こんな感じで、案外ふつうに終わる。

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