第44話 親友の関係は何故に喜べぬ

 俺は床に落としたスマホを手に取る。

 汗で滑り落ちそうだが、何とか持ち上げた。


 ゆっくりと、スマホの液晶を見る。

 時間が経ち過ぎていたのだろう、液晶はすでに暗くなっていた。


 あぁ、くそっ! 震えが止まらない……。

 上手く、電源ボタンが押せない。



「くそっ!」


 俺は自分の膝をしたたかに打ち付ける。


 こんなことで、いちいち怖がってるんじゃねぇよ!

 こんなの、以前にもいくらでもあっただろうにっ!


 15日に雪芽が亡くなったと聞かされるのを待つとき。その15日に雪芽が無事かどうか、連絡を待っていた時。

 17日に雪芽が倒れて、21日に亡くなってしまった知らせを聞くとき。

 そんなこと、今まで何回もあったのに、何がそんなに怖いんだ?



 もし、もし俺の推測が正しくて、雪芽と仲良くなることが雪芽の寿命を延ばすことになるのだとしたら。

 いや、その推測はおそらく正しい。飯島さんもそう言っていた。


 そしてこの間の15日、雪芽の手相を見た飯島さんは、後のメッセージで俺にこう言ったのだ。




『雪芽さんの未来ですが、確かに見えつつあります。まだ不安定ですが、死相の方が薄れているとでも言いましょうか。うまくいけば、もしかするかもしれません』




 そんなことを言われたからかもしれない。


 もしかしたら、今回は上手くいくかもしれない。そんな希望が打ち砕かれたとき、俺はどうなってしまうのだろうか。

 そんな得も言われぬ不安が、俺の手を震わせて止まらない。


「……でも、それじゃあだめだ」


 それじゃあ、前に進めない。

 俺が望んだ未来は、こんな所には転がってないんだから。

 今まで涙を呑んで、苦しみや悲しみを押し殺してきたのは、こんなところで立ち止まるためじゃない。

 雪芽と笑って過ごせる未来のためなんだ。



 雪芽との思い出が、頭の中を駆け巡る。

 雪芽の笑顔が、溢れている。

 その時、手の震えが止まった。


「すぅ……、はぁ……」


 俺の指が、ついに電源ボタンを押した。

 液晶に明かりがともる。



 8月17日、12時15分。

 通知の欄にあるメッセージには、こう書かれていた。




『わかった! じゃあ準備できたら連絡するね!』




 それは、確かに雪芽からのメッセージだった。



「……あぁ、よかった。よかった……!」


 スマホを胸に抱きしめて、俺は一人、ずっとそう呟いていた。

 ただ、よかったと。ずっと、呟いていた。





 ――――





 それからしばらくして、俺は落ち着きを取り戻していた。

 飯島さんに雪芽がひとまず無事であること、これから伺う旨を伝えた。


 そしてさっき、雪芽からもう行けると連絡があったのだ。

 はやる気持ちを抑えて、電車の時刻を確認する。


 一番近くて14時26分。ちょうどいい頃合いだ。



 駅に向かう道すがら、俺は緩んだ思考を何とか引き締めようとしていた。


 今までの経験上、倒れてしまうタイミングで雪芽が無事ならば、雪芽は死なずに済む。

 でも、雪芽が死んでしまわない保証なんて、どこにもないのだ。

 時間が巻き戻る、なんてことが起こるこの世界では、保証も何もない。油断していると何かを見落としかねない。気を引き締めていけ。


 それでもペダルをこぐ足は軽く、約束の時間よりずっと早く駅についてしまった。



 いつものベンチに腰掛けて、ぼうっと田んぼを眺める。

 水に映りこんだ積乱雲が、田んぼの中を泳いでいる。


 ……メッセージでは元気そうだった。でも、実際に顔を見るまでは安心できない。

 もしかしたら急に体調が悪くなってしまうかもしれない。

 そんな悪い想像ばかりが頭に浮かんでは消えていった。


 車の音が近づいては通り過ぎていくたびに、焦りと不安が募っていく。



 やがて、一台の車が駅の前で止まった音がした。

 近づいて来る一人の足音。聞きなれたサンダルの音。


「あれ、陽介もう来てたの? もしかして待たせちゃった?」


 改札から姿を現した雪芽は、俺を見つけると驚いたような表情を浮かべた。


「……いや、俺も今来たとこだから」


 最後見た時と変わらず、元気な姿の雪芽を見て、俺はこみ上げてくるものを抑えるのに必死だった。


 ……無事だった。元気だった。雪芽はまだ元気で俺の目の前に立っている……!



「陽介、すごい汗だよ? そんなに急いで来たの?」

「え? あ、ほんとだ。すげー汗……」


 隣に座った雪芽の指摘で、俺は初めて自分が汗だくだったことに気が付いた。

 額にも、首にも、胸にも、足や手にでさえ。


 それは暑さから来たものか、ストレスから来たものなのか、あるいはその両方か。

 どちらにせよ、俺は慌てて汗を拭く。


「そんなに急がなくても、時間はまだあるんだから」

「そう、だな」

「……どうしたの? なにかあった?」


 俺の様子がおかしく見えたのか、雪芽が心配そうに俺の顔を覗き込む。

 その様子からだと体調は良さそうに見える。



「……なぁ、体調はどうだ?」

「え? 体調? 別に問題ないけど……。どうして?」

「ほら、最近いろいろ連れまわしちゃっただろ? だから悪くなってないか心配でさ」

「全然! こっちに来てから咳も出ないし、貧血っぽくもならなくなったし、とっても元気!」

「そっか。うん……、そっか」


 隣で笑って見せる雪芽の笑顔を見て、俺は初めて実感したんだ。

 まだ雪芽は元気だってことを。


「変なの……。でも、心配してくれてありがとね」

「……友達なんだから、当たり前だろ?」

「うん……、そうだね」


 俺は今すぐにでも踊りだしたい気分だった。

 でも同時に、零れそうになる涙を抑えるのに必死だったのだ。





 ――――





 そして飯島さんに手相を見てもらった帰り、俺たちは無人駅に戻って来ていた。

 飯島さんは雪芽の手相を見た時、安心したような表情を浮かべていたけど、雪芽に掛けた言葉はあたりさわりのないものだった。

 飯島さんからは事前に後でメッセージを送ると言われていたから、どんな結果だったか気になるけど今は我慢だ。



 だいぶ日も傾いてきた駅で、俺は雪芽の背中を見つめていた。


 俺にはひとつ、気になることがある。

 それだから、俺は思わずその背中に声をかけた。


「雪芽」

「ん?」


 振り返った雪芽は、まだ元気そうな様子で、それは今日はもう大丈夫だろうと思わせるものだった。

 だから、思い切って聞いてみることにしたんだ。




「雪芽にとって俺は……、何だ? まだ友達のままなのか?」


「……え?」




 俺の問いに、雪芽は驚いたように目を丸くする。



 かつて飯島さんは言った。

 雪芽の寿命を延ばすのには、雪芽と友達以上の関係になる必要があると。親友になることが望ましいと。

 そして、親友になりたい。それはかねてからの俺の願いでもあった。


 なら、こうして無事に17日を過ごせている今。俺たちの関係は何なんだ?

 俺は、雪芽が心を許せるような、そんな存在になれたのか? 特別になれたのか?

 それを、聞いてみたいと思ったのだ。



「俺はお前の親友に、なれたのかな……? 4回会って友達。じゃあ親友はって聞いたら、雪芽は教えてくれなかっただろ? だから気になってて、さ」

「あぁ、なるほど。そっちかぁ……」

「え?」


 雪芽は残念そうに眉尻を下げる。

 でもすぐにそれは笑顔に塗り替えられて、俺がその疑問を探る前に雪芽は続けた。


「実はね、私も親友って何なのか、まだよく分からないんだ。晴奈ちゃんは妹みたいにかわいいと思うし、なっちゃんとは気兼ねなく話せるから親友のような気がするけど……。親友って何なんだろうね」


 その疑問は確かに俺も抱いたものだ。

 何をもって親友というのか。飯島さんは互いの内面をつまびらかにできるとか何とか言っていたけど、難しくてやっぱりよく分からなかった。


「俺もよく分かってないが、特別仲のいい友達を親友って言っていいんじゃないか」

「特別仲のいい友達かぁ。私には比較するような友達がいないから、何とも言えないけど、なっちゃんや晴奈ちゃん、陽介ほど仲良くなれた友達はいないよ」

「それって……」


 雪芽は小さく頷くと、




「きっと私と陽介は、親友ってことなんだと思う」




 確かにそう言ったのだ。

 曖昧さを孕んではいても、確かに。


 俺と雪芽が、親友……。

 待ち望んでいたはずの言葉だ。なのに、なんでだろう。




「おめでと! これでようやく友達卒業だねっ!」




 そう言って笑う雪芽の笑顔が、寂しそうに見えるのは。

 あれほど親友になりたいと願っていた俺が、それほど嬉しくないのは、なぜなんだろう。


「……そっか! うん、ようやく親友になれたんだな! なんか口にすると照れ臭いな」

「あはは……、たしかにちょっと照れちゃうかも」


 そうして二人笑いあった。

 その笑顔がどこかぎこちないのは、なぜなんだろう。

 口から出る笑い声が、乾いて聞えるのはなぜなんだろう。


 ……なんで、なんだろう。

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