第35話 浴衣の少女たちは夏に踊る
今夜暇なら花火大会に行こう。
あいつからそんなメッセージが届いたのは、日も傾いてきた午後4時頃だった。
「ま、まさかね? どうせ隆平も誘ってとかってオチなんでしょ? さすがに陽介との付き合いも長いんだから、だまされたりしないわよ?」
そう言いながら、かれこれ1時間ほど、私はせこせこと準備を進めていた。
浴衣の着付けはお母さんにお願いするとして、ちょっとは化粧とかもしていった方がいいのかな?
ま、まぁ、どうせ陽介は気づきやしないんでしょうけどっ!
「……でも、花火大会の会場は街とは反対の方だったわよね? ってことは隆平が来るはずもないか。……え、ってことはホントに!? いやまさか……。でももしかしたらっ」
「夏希。さっきから何一人でぶつぶつ呟いてるの?」
「うわっ! お、お母さん……。驚かせないでよ」
「夏希が着付けしてくれって頼んだんでしょ? ほら、時間ないんじゃなかったの?」
私の背後に立っていたお母さんは、いつから私の姿を見ていたのか、意味深な笑みで浴衣を持っていた。
別に期待してるわけじゃないから、と言っても聞かない顔だな、これは。
ま、まあ、確かに少しは期待してるっていうか、万が一二人きりの花火大会だった場合、テキトーな格好だと嫌だし、それだけだからっ!
「……お願いします」
「はいはい、じゃあパパッと着付けするから、服脱ぎなさい」
それから私は、お母さんに着付けをしてもらう最中、ずっと陽介の真意について考えていた。
誰かが一緒ならまだわかる。詳細を言わずに私を誘ってくる位のこと、陽介ならやりかねないし。
でも、二人っきりだとしたら、これは一体どういうことなのだろう?
夏休みに入ってから陽介には会ってないし、その前も普段と変わらない感じだったのに、いきなりそんなお誘いを受ける理由が分からない。
「うむむ……、どっちなんだ……?」
「どっちでもいいじゃない。陽介君といっしょに行けるって、夏希大喜びだったんだから」
「べ、別に喜んでなんかないわよ!?」
「はいはい。……よしっ、これで終わり! いつもみたいに大股で歩いちゃだめよ? 浴衣はスリ足で歩かないとすぐ着崩れしちゃうんだから。着崩れしたら陽介君に下着姿、見られちゃうわよ?」
「う、ううるさいなぁ! それに私は普段大股なんかじゃないからっ」
鏡に映った私は、普段とはまるで別人のようで、まるで女の子の様だった。
まぁ、女の子なんだから当然なんだけど、おしとやかさ? みたいなのが上がった気がする。
「……でも、この浴衣、ちょっと派手すぎない?」
「何言ってんの。これくらいしないと陽介君に振り向いてもらえないわよ?」
「別にいいわよ! ……ま、まぁ? 変じゃないならいいんだけどさ」
鏡に映る私の後ろで、お母さんが笑みを浮かべる。
恥ずかしくてうつむいた視界に、真っ赤な
……やっぱ派手じゃない? 下地が
「ほら、裾割りするから、ちょっと足開きなさい」
「こう?」
「そう。そしたらちょっとだけ膝曲げて。こんな感じで」
お母さんは小さくスクワットをするような動きで、膝を曲げる。
私はその動きをまねて、ほんの少しだけ膝を曲げた。
「あっ、ちょっと楽になった」
「ふふっ、夏希におしとやかな動きなんて難しいでしょ? ちょっとしたおまじないみたいなものよ」
「私にだってそれくらいできるってば!」
ほんとかしらと笑って、お母さんは化粧下地を手に取る。
「ほら、お化粧もお母さんがしてあげる。夏希に任せたらとんでもなく濃い化粧になりそうだもの」
「ちょ、それどういうことよ!?」
「そのままの意味よ? まったく、最近はよくなってきたとはいえ、夏希もまだまだね」
困ったように笑うお母さんを見て、私は当分この人には頭が上がらないなと感じていたのだった。
――――
「じゃあ行ってきます!」
「ええ、いってらっしゃい。がんばるのよ~」
「別に頑張らないからっ!」
車の中からひらひらと手を振るお母さんに背を向け、私は駅舎に向かって歩き出す。
陽介とここで合流して、電車に乗って会場の最寄り駅まで行く手筈になっていた。
「よっ、夏希! おまた、せ……?」
少しすると、陽介が暗闇の中から現れた。
この辺は街灯が少ないから、人がいるのが分かっても、それが誰かは分からないから、陽介だと分かるまでに時間がかかった。
陽介は、挨拶のために挙げた手を力なく下して、呆けた顔で私を見ていた。
……なによ? 私の浴衣姿がそんなにおかしい?
「あ、陽介。遅かったじゃないのよ?」
うん、陽介の後ろには誰もいない。これはもしかするかもしれないわよ……!
「え、あぁ、すまんすまん。それにしても夏希、馬子にも衣装とはまさにこのことだな」
「ちょっと! どういう意味よそれ!」
会って二言目が失礼すぎなのよ!
しかし、私が声を荒げると、陽介はいつものようにへらへらと笑ってごまかすのではなく、やけに真剣な顔をしていた。
「あ……、ごめん。さすがに言いすぎた」
「ちょ、どうしたのよ急に? なんか変なものでも食べたの?」
「いや、夏希も女の子なんだから、余り失礼なことを言っちゃいけないなと思って。うん、可愛いと思うぞ。赤色が夏希によく似合ってる」
……ホントにどうしたのかしら? 頭でも打ったの?
でも、陽介は至って真剣にそう言ってくれてるみたい。それ自体は嬉しいんだけど、どんな心境の変化があったのか不思議でならない。
……ま、いっか! 珍しく陽介が私をほめてるわけだし!
余りストレートに可愛いって言われると、ちょっと照れるけど……。
「わ、分かればいいのよ! さ、行きましょ」
お母さんグッジョブ! 赤色が似合ってるって言われたし、あの人の見立ては間違ってなかったってことね。
「あ、ちょっと待ってくれ。この後晴奈たちも合流する予定だから」
「……やっぱりか」
予想していたけど、やっぱりがっかりするなぁ。
もしかしたら二人っきりなのかもって思ってたのに。まぁ、陽介にそんなことを望んだ私がバカだった。
「ん? 何か言ったか?」
「ううん、なんでもないわよ。で、誰が来るの? 晴奈ちゃんだけ?」
まだそれなら希望があるんだけど、陽介の口ぶりからしてそれはないだろう。
なんせ晴奈
「晴奈の友達の由美ちゃんと、今度俺たちのクラスに転入してくる予定の雪芽って奴。二人ともいい子だから、夏希もすぐ仲良くなれると思うぞ」
いい子、ね。名前からしても女の子かなぁ……。
その二人が陽介のことを好きじゃないことを祈るしかないわね。
「……ってちょっと待って! うちのクラスに転入してくる!? なんであんたがそんな子と仲良くなってるわけ!?」
「まぁ、いろいろあってな。仲良くなった」
「説明になってないわよ!」
それから陽介に転入生について詳しく説明させて、一応は納得した。
しかし、その雪芽、さん? は陽介のことどう思ってるのかな? 陽介の言う通りただの友達だったらいいんだけど……。
「お、来たみたいだぞ」
遠くから車のヘッドライトが近づいて来る。どうやら陽介のお母さんのものらしい。
車は駅舎の前で止まると、中から3人の女の子が出てきた。
最初に出てきたのは、白の下地に、淡いピンクの牡丹を散らした浴衣を
確かもう中学生だって聞いてたけど、相応の可愛らしさがある。陽介の妹とは思えないわね。
最後に会ったのは私が中学の2年位の時だったかな? あの時は陽介のことでいろいろあって、あまり晴奈ちゃんのことまで覚えてないけど、それでも大きくなったなと実感できるくらいには覚えてる。
次に出てきたのは、紺色の下地に、淡い黄色のヒマワリが映える浴衣に身を包んだ、元気そうな女の子。
見たところ中学生っぽいし、晴奈ちゃんの友達だっていう由美ちゃんかな?
この子は顔のあどけなさに対して体が相応じゃないわね……。胸とか、私より大きいんじゃないの? ちょっと悔しいんだけど……。
そして最後の子が車から出てきたとき、隣で陽介が息を呑む音が聞こえた。
しかし、そんな陽介を睨み付けることが、その時の私にはできなかった。
なぜならその時、私もその子に見とれていたから。陽介と同じように息を呑んでいたから。
その子は、白の上に、淡い色の朝顔を散りばめた浴衣を身に纏い、陽介を見つけると笑顔を浮かべ、私を見て少し緊張気味に会釈をした。
この子が陽介の言っていた転入生の雪芽さんだろう。
陽介から名字聞いてないから、いきなり名前呼びになっちゃうけど、まぁ、クラスメイトだしいいよね。
にしてもこの子、とんでもなく美少女だ。
透き通るように白い肌、きめ細かく艶のある黒髪、おしとやかを絵にかいたような綺麗な所作。どこをとっても完璧に思える。
もし、もしこの子が陽介のことを好きだとしたら、私には万に一つも勝ち目はないかもしれない。そんな弱気なことを考えてしまうほどに、彼女は美しかった。
「よ、よし、全員揃ったし、電車ももうすぐ来る。いよいよ花火大会に出発だな」
「ちょっと待ってください! その前にいろいろやることがあるでしょう? 自己紹介とか、あたしたちの浴衣姿の感想とかっ!」
陽介が私より一瞬早く正気に戻って、出発を宣言するが、それを由美ちゃんが遮った。
まあ確かにそうだ。私は彼女らのことを全然知らないわけだし、彼女らも同様に私のことなんて知らないはずだ。自己紹介は必要のはず。
「そうだな。じゃあ紹介しよう。こいつが俺の高校の友達、小山夏希だ。でこっちが――」
友達、ね。
まぁ、今はそれでもいい。
きっと。いつかきっと、友達じゃない、特別になってやるんだから!
そうして自己紹介を済ませ、会場へ向かう電車の中でいろいろ話をしているうちに、雪芽さんも緊張が解けてきたようで、私たちとも普通におしゃべりできるようになっていた。
そうして話をしてみると、雪芽さんはとってもいい子だった。
何というか、純粋の塊のような子で、よくこの年までこんなに純粋でいられたものだと思った。
そんな雪芽さんと私は、あっという間に仲良くなって、気が付いたらあだ名で呼び合うほどの仲になっていた。
陽介はそれを羨ましそうに、それでもどこか嬉しそうに見ていた。
「なに~? 私とユッキーが仲良くなって羨ましいの?」
「ああ、そうかもな。羨ましいのかもしれない。でも同じくらいに嬉しいんだよ」
「どういうこと?」
電車を降りて会場に向かう道すがら、私がそう尋ねると、陽介は微笑んだ。
その笑みは、なんて言ったらいいんだろう。夏休み前の陽介では決して浮かべないような、まるで大人のような笑みだった。
「夏希と雪芽が仲良くなって、そしたらこの先の学校生活も安心だろ?」
「そうだね。なっちゃんがいてくれたら私、学校行くのが楽しくなると思う!」
そう言ってユッキーは笑う。
最初に感じたちょっととっつきにくい印象は、今のユッキーにはもうない。
こんな笑顔を向けられたら、うちのクラスの男子は皆殺しになりそうね……。
……こいつはユッキーの笑顔を見て、何とも思わないのかな? それとも、もうすでに陽介はユッキーのことが――
ちらりと、私たちの後ろに立つ陽介の顔を盗み見ると、陽介は微笑んでいた。
その視線はユッキーだけに向けられているのかと思いきや、どうやら私たち全員に向けられているらしかった。
まるで、子供たちが元気に遊ぶ姿を眺める親のように、そんな平和な日常を噛み締めているような、そんな笑顔だ。
……そうか、さっき私が陽介の笑みに感じたものはこれだったんだ。
夏休みが始まってから今まで、陽介に何があったのかは知らない。
でも、陽介がこんな些細な日常を愛おしく思える、そんな経験をしたのだということだけは分かった。
「……その中に私がいなかったのは残念だけどね」
「うん? なっちゃん、何か言った?」
「ううん、何でもないわよ! さ~て、今日はとことんまで楽しむわよ~! 陽介! ちゃんとお金持ってきたんでしょうね?」
独り言をかき消すように、私は気持ちを切り替える。
だって今日は花火大会なんだから。こんな気持ちは場違いなのよ。
「おいおい! 俺におごらせる気満々かよ!?」
「いいでしょ? こんなにかわいい女の子たちが一緒に花火大会に来てあげてるんだから! ひとまずリンゴ飴が食べたいわ!」
「ったく、しょうがねぇな……。よっしゃ、食いたいもの食いな! 俺がおごってやるよ!」
陽介の一言に、皆沸き立つ。
あれが食べたい、これが欲しい。そんな様々な要求にも、陽介は笑顔で応えている。
ホントは二人っきりがよかったけど、これはこれでいいのかも。
私たちの花火大会は、そんな風に賑やかに始まったのだった。
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