第28話 今日の失敗は明日に雪ぐ

 朝目が覚める。時刻はいつもと同じ、9時20分。

 急いで支度をしながら、晴奈に自転車を借りると声をかける。


 晴奈は眠たそうに返事をしていたが、借りてもいいらしいので借りていくことにした。



 俺は自転車にまたがりながらついこの間まで考えていたことを再び考え出す。


 結局、雪芽を救うことはできなかったのだ。

 1ヵ月早く病気を発見できたところで、雪芽の寿命が延びることもなかった。

 これで、考えうる限り一番まっとうな方法は効果がないことが分かってしまったのだ。


 俺は再び絶望しそうになっていたが、いまなおこうして立っているのは、夏希のおかげだった。

 夏希、あいつが俺を励ましてくれていなかったら、今俺はこうして立っていない。



 ……夏希、柔らかかったなぁ。

 って、俺は何をボーっとしているんだ! 今はそんなこと考えてる場合じゃないだろうに。


 でも、夏希はなんであんなこと言ったんだろう?

 女の子として見てくれ、抱きしめてくれと。それで許してあげると。

 それじゃあまるで夏希が俺のことを……。


「って、そんなわけないだろ!? 夏希だぞ? いままでそんな素振りこれっぽっちもなかったし、第一俺があいつに好かれる要素なんてないしっ!」


 思い至った原因は、およそ現実的ではなかった。


 いままで10年ちょい一緒にいたのに、そんな素振りはこれっぽっちもなかったはずだ。

 それに、俺は顔も普通だし、スポーツもあまり得意じゃないし、勉強もそこそこ。これといって面白いことも言えないし、夏希に好かれる要素なんてこれぽっちもないのだから。


 きっともう高校生なのだから、今までのように男友達感覚で接してもらうと困るってことだろう。

 いろいろと、心も体も女性になってきているから、あまり同性のように扱われると困るってことじゃないか?


 ……でもそしたら抱きしめてなんて言わないよな?

 いや、もしかしたらわざとそうして触れることで、俺に距離感の重要性を伝えたかったのかもしれんっ! 事実俺はこうして距離感を計りかねているわけだしな!


 うん、きっとそうだ。自惚れるな俺。ハグなんて友達どうしてよくやることなんだろ? ほらアメリカとかではキスも挨拶だって聞くし。


 そうに違いない。そう思い込むことで、俺は思考を強制的に切り替える。

 危ない危ない、危うく勘違いして大変なことになるところだった。



 今重要なのは夏希が俺のことを好きかどうかじゃなくて、雪芽を救う方法なのだから。


 俺の勝手な予想、というか希望なのだが、雪芽を救うことがこのループを抜けるキーになるんじゃないかと思っている。

 このループを抜け出さない限り、俺たちは未来へ進めない。いつまでも繰り返す夏休みの中に囚われたままだ。


「でも、方法がなぁ……」


 見つからないのだ。これといった方法が。

 正直高校生の俺ができる、病気から雪芽を救う方法なんて、病院に駆け込むくらいしかない。

 しかしそれが否定された今、俺は次の方法を考えなくてはいけないわけだが、これといって思いつくものがないのだ。




 ……占いとか?




 バカバカしい、かつての俺ならそう一蹴しただろうが、今はそうも言ってられない。


 母さんの知り合いの看護師の女性の話だと、白血病がありえない速度で進行していき、雪芽は死に至るという。




 確か……、、と言っていた。




 一般的に、白血病が急性転化という時期に入ったとき、患者の余命は数ヵ月と言われている。

 それなのに雪芽の場合、急性転化してからおよそ3日で死に至るのだ。まさに呪いのように。


 そういった超常的なものを、俺は話半分に聞いてあまり信じないたちなのだが、こうして繰り返す夏休みに囚われている以上、信じるほかあるまい。



 でも、お祓いや占いを雪芽に受けてもらうためには、雪芽と仲良くなる必要があるだろう。

 いきなり「君、呪われてるかもしれないからお祓いとか行ったほうがいいよ」といわれて、素直に行くやつがいるだろうか? いやいない。


 まあ、この前血液検査を受けたほうがいいといきなり言ったわけだが、あれは雪芽に思い当たる節があったからうまくいったのだろう。

 もともと体が弱かったという事実から不安になり、受けに行ってくれたと考えれば自然だ。


 そこでまずは雪芽と仲良くなり、遊びに誘う感覚で、「ちょっとあの辺にマジ当たる占いあるらしーよー? マジ行きたいんだけどぉ」といえば、女子はきっと食いついてくる。そうに違いない。

 雪芽がそういうたぐいを好きかどうか知らないけど、女子はみんなそういうのが好きだって聞いたし、大丈夫だろう。



 結局やることは変わらないけど、明確に目標は決まった。今はそれに向けて全力で走っていくだけだ。


 疲れてきた足に再び力がみなぎる。

 過去の悲しみを振り切るように、俺は全力で自転車をこいだ。





 ――――





 駅に着くと、電車が目の前を通過していくところだった。

 それを懐かしく思いつつ、俺はチャリの鍵をとって改札をくぐる。



 改札を抜けて左手のベンチに目をやれば、そこには相変わらず真っ白な雪の妖精が座っていた。


 以前と変わらず、涼しげな顔で向かいのホームを見つめている。

 やっぱりこの瞬間だけは何度繰り返しても複雑な感情が溢れてくる。

 雪芽に会えて嬉しかったり、これからどうしていけばいいのか不安になったり、また拒絶されたらどうしようと怖くなったり、今回も最後は死んでしまうのかなと思うと悲しくなったりする。




 あぁ、でも――。




 今、この瞬間だけは確かに雪芽はそこにいる。生きて俺の目の前にいるんだ。

 何て声をかけよう。何を話せば雪芽は俺に心を開いてくれるのだろう。



 雪芽がゆっくりとこちらを見る。

 目が合うと、俺たちは互いに小さく会釈をした。

 そのまま立っているのも変なので、俺はベンチに向かって歩き出す。


 その最中、雪芽からの視線を感じた。

 ちょっと見すぎただろうか……? 不審に思われてないといいのだが。



 ベンチに腰掛けて、しばらく沈黙が続いた。

 何て話しかければいいんだろう。今までは自然とできていたはずなのに、いざ仲良くなろうとすると言葉が出てこない。

 そうだ、まずは当たり障りのない会話を……。


「えっと、今日も暑いですね」

「……? そうですね」


 雪芽は怪訝そうな顔で俺を見る。

 やばいやばい、フォローしないとっ……!


「いや、その、この駅に人がいるのは珍しくて。それにこの辺じゃ見ない顔だったから……」

「そうなんですか」


 俺の苦し紛れの言い訳に、雪芽は納得した様子だったが、会話が続かない。

 今まで意識しないでできていたことが、意識してもできない。

 俺はどんなふうに雪芽と距離を縮めていったんだっけ? 初日は何を話していたんだっけ?


 確か補習に遅刻だという話をしてた気がする。


「今日は俺、学校で補習だったんですけど、遅刻しちゃったんですよね~」

「はぁ……、そうなんですか?」


 それでも雪芽の反応は芳しくなかった。

 俺は無理に会話を続けようと試みたが、雪芽の目はどんどん不信感を募らせていくだけだった。


 なにが、いけないのだろう。


 うまく会話が続かなくて、焦った末に浮かんでくる言葉は支離滅裂で、それを口に出すたびに雪芽は俺を変な人を見る目で見てくる。

 やめてくれ、そんな目で俺を見ないでくれ……!



 しばらくそんなことを続けてから、俺は雪芽と話すことを止めた。

 これ以上話すことは思い浮かばなかったし、俺の心も持たなかった。


 どうして、どうしてだ? 話そう、話さなきゃって思うほどに言葉が出てこなくなる。

 ……考えてみれば俺は雪芽とちゃんと話して、仲良くなったのは一度しかないのか。



 雪芽が初めて死んでしまって以来、俺は雪芽に背を向けてきた。

 口では向き合うと、逃げないと決めても、実際に顔を合わせて、こうして先を見据えて話をしたのは初めてだ。

 前回は入院することがある程度分かっていたから、ぶっちゃけた話もできた。

 その前は会うことすら怖くて逃げてたし、その前は顔を合わせた途端に我を忘れた。


「俺は、ダメダメだな……」


 そんな俺の呟きに、雪芽は何か言いかけたが、結局何も言わなかった。


 ごめんな、微妙な雰囲気にしちまって……。

 そう謝っても、きっと雪芽は訳が分からないといった顔をするのだろう。



 あぁ、くそっ、挫けそうだ……。

 雪芽を救うって決めたのに、もしできなくても、仲良くなって思い出をたくさん作ろうって決めたのに。

 やることなすこと上手くいかなくて、雪芽が死ぬ度に悲しくて、虚しくて。


 その悲しみは乗り越えようとしてもどんどん積もり積もって、その高さを増していく。

 だから抱えたまま前に進もうとしても、こうしたふとした瞬間に俺の胸から零れ落ちてしまう。



 胸からこみ上げてくるものを必死に押しとどめ、俺はベンチで俯く。


 そうしてしばらく涙をこらえていると、アナウンスが流れた。

 もう電車が来てしまう。


 雪芽ともっと話したいことがあったはずなのに、俺は何もできないままここを立ち去るのか。


 電車がホームに入ってくる。

 俺はのろのろとベンチから立ち上がり、電車に向かって歩き出す。



「あの」


 その時、たまらず声をかけたといった雰囲気の雪芽の声が聞こえた。


「補習、大変でしょうけど、頑張ってくださいね」


 振り返って見えた雪芽の目は、至って真剣に、俺のことを心配して言ってくれているようだった。


 その見当違いな声援に、俺の頬は思わず緩む。

 その緩みは次第に笑みに変わっていって、やがて声を上げた笑いに変わった。


「はははっ! うん、そうだな、その通りだ!」


 急に笑い出した俺を見て、雪芽は驚きと戸惑いをごちゃまぜにしたような表情を浮かべる。


「ありがとう、頑張るよ。きっと成し遂げて見せるから、待っててくれ」

「え? は、はい……?」

「じゃっ!」


 戸惑う雪芽をホームに残したまま、俺は電車に乗り込む。



 雪芽はベンチに座ったまま、呆然としている。

 態度が豹変した俺に、戸惑っているようだが、それは以前俺が雪芽に感じたものと同じだと思った。


 やけに俺に突っかかってくる雪芽を、俺は最初変な女だと思ったのだ。

 それから今までが嘘のように笑うようになった雪芽を見て、戸惑った。

 それでも俺たちは友達になれた。


 確かに俺と雪芽じゃ考え方とかは違うかもしれないけど、できない訳じゃない。だから大丈夫だ。俺はまだ頑張れる。


 俺は閉まるドアに背を向け、整理券を手に取り、車内奥へと歩いていく。


 雪芽に頑張れと言われたんだ。挫けてる場合じゃない。

 雪芽が言った頑張れとは違うんだろうけど、それでも俺は頑張る気になれた。



 今日はもう雪芽とは会えないけど、明日ならきっと会える。

 だから今日の失敗は明日そそぐとしよう。ひとまず今日はこれでよかったと思うほかない。


 第一印象は最悪だろうけど、それでも俺のことを覚えてくれればそれでいい。

 昨日会った変な人でもいい。雪芽の記憶の中に、俺がいるならそれでいいんだ。


 まあ、まだ一日は長いけどな。

 これから学校に行くわけだし、その後も結構時間はある。

 だからその間にどうするべきかいろいろ考えておこう。隆平や夏希に話を聞いてもらうのもいいかもしれない。


 ……やっぱり夏希はいいや。隆平に話を聞いてもらおう。

 何かまだ夏希の顔を見るのは恥ずかしいというか気まずいというか……。あぁもうっ、よくわからん!


 夏希はあの時のことを覚えてないだろうから、関係ないかもしれないが、俺にはもう少し整理するための時間がほしい。



 俺の中に渦巻くいろいろな思いを乗せて、電車は進んでいく。


 夏休みはまだ始まったばかりだ。これからなんとでもなる。

 だからまずは明日から、より良い一日にしていこう。

 そう決意して車窓から外を眺める。


 ……うん、だからまずは山井田に怒られるところから始めるとするか。

 はぁ、初日遅刻確定なのは何とかならんのかねぇ……。

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