第27話 無数の星々は星座になれずとも
それから時は経ち、8月15日。
俺は以前母さんと話していた女性、前回のループで雪芽の死を伝えてくれた人にコンタクトを取っていた。
そして聞かされた結果は悪い意味で予想を裏切らないものだった。
雪芽が死んだ。
それは過去に何度も聞かされた報告で、だが俺に過去と変わらない悲しみと虚しさを残していった。
発見した当初はまだ慢性期で、直せる見込みがあったと言うが、お盆に入って急性転化し、通常ではありえないスピードで白血病が進行していったという。
そして8月15日の朝、亡くなったと、そう言っていた。まるで何かの呪いのようだとも。
……やっぱり、俺に雪芽を救う
だったら、やっぱり夏希の言った通り、何度も仲良くなって、思い出をたくさん作って、この悲しみを、この虚しさを、紛らわすしかないのか……?
そう、そうだ。夏希。あれからもう一度夏希と会ったが、彼女は目も合わせず、口もきいてくれなかった。
隆平にも相談したが、それはお前が悪いと言って取り合ってくれず、俺はどうしたらいいのか分からなくなってしまった。
でも今は雪芽のことが大事だ。雪芽を救って、この繰り返す世界から脱出することが大事なんだ。
だって、どうせ夏希は夏休みが終わって、ループしたらみんな忘れてしまうんだから。
雪芽と仲良くなったことも、デスティニーランドで遊んだことも、俺を励ましてくれたことも、俺を打ったことも、全部、全部……。
だから訳の分からない夏希のことなんて放っておいて――
「……俺は、何を考えているんだ……?」
夕暮れの自室で我に返る。
俺は今、何を考えていたんだ……?
夏希を傷つけたのだろう? あんなふうに悲しそうに泣く夏希を見たのは初めてだ。そんな表情をさせておいて、放っておくだと……?
「俺は、なんて馬鹿なんだ……」
思わず自嘲の笑みがこぼれた。
最低だ。夏希が怒るのも当然だ。
こんな風に幼馴染一人の気持ちも分からず泣かせるような奴が、誰かを救うことなんで出来っこない。
雪芽を救うことが出来なくて、その方法に見当もつかず、そんなやるせなさから俺は大事なものを失うところだった。
せっかく夏希の存在が大切だと、これからもっと大切にしようと、そう思ったのに、これじゃあ逆じゃないか……。
大切にするどころか、
……今すぐに謝りに行こう。
スマホのメッセージじゃダメだ。直接顔を合わせて、目を見て謝ろう。
ループを抜けたらちゃんと謝れなくなる。だから今すぐに……!
そして俺は家を飛び出した。
晴奈の自転車を無断で借りて、夏希の家に向かって全力で走りだす。
空はだんだん暗くなってきて、せっかちな星が瞬き始めた。
そんな星に急かされるように、俺は全力でチャリをこぐ。
そうして気が付いたら夏希の家の前に立っていた。
風で煽られ髪はぐちゃぐちゃ、汗だくでみっともない姿だが、関係ない。
息を整えてインターホンを押すと、夏希の声が聞こえてきた。
『はい、小山です』
「俺だ、陽介だ。この前のことで謝りたいと思って――」
『帰って。しばらく顔も見たくない』
俺だとわかると、一瞬で冷たい声色になる。
本当に今すぐ帰ってほしいという感情が透けて見えるようだった。
でも俺はここで引くわけにはいかない。ちゃんと、伝えないといけないから。
「俺さ、あの時夏希が大切だって言ったよな。あれは友達として、幼馴染としてって意味だけど、嘘じゃない」
『ちょっと、いいから帰ってよ』
「帰らない。夏希にちゃんと話すまで、ここでずっと待ってる」
『迷惑だから、ホント帰って。切るわよ』
そう言ってインターホンから夏希の声は聞こえなくなった。
どうやら本当に切られたらしい。
それからどれくらいの時間待っていただろうか。空はすっかり暗くなってしまった。
ボーっと空を眺めていると、夏希の家のドアが開く音がした。
見ると部屋着姿の夏希が迷惑そうな顔をして立っている。
「ちょっと、迷惑だから帰ってって言ったわよね? なんでまだそこにいるの?」
「……夏希、ごめんっ!」
仏頂面の夏希に対して、俺は勢いよく頭を下げる。
勢い余ってチャリを倒してしまったが、気にしない。
「ちょ、なによ!? いきなり頭なんか下げて……」
「俺、夏希に酷いことしたんだよな? 何がいけなかったのか、俺はバカだからわかんないけど、夏希が傷ついたってことは分かった。俺にとって夏希は大事な友達で、大切な幼馴染で、特別な存在だから、ちゃんと謝っておこうと思って。俺にできることなら何でもする! だから俺に罪滅ぼしをさせてくれっ!」
「……バカ。その言葉自体傷つくってのよ……」
「え?」
小さくつぶやいた夏希の言葉は、俺の耳には届いてこなかったけど、夏希の顔には笑みが浮かんでいた。
俺が聞き返すと、夏希は緩やかに首を振って、ため息をついた。
「なんでもない。それで、何でもするんだっけ? じゃあ一つ聞いてもいい?」
「あ、ああ! 何でも聞いてくれ」
そこで夏希はゆっくりと近づいてきて、門越しに俺と対面すると、真剣なまなざしで問いかけてきた。
「陽介は私のこと、1人の女の子として見てくれてるの?」
その質問の意図は何なのか、俺にはわからない。
でも、正直に、今の俺ができる精一杯の誠意をもって答えよう。
「……ああ。夏希は立派な女の子だと思う」
以前の俺ならこうは答えなかったかもしれない。
幼馴染だから、友達だから、女の子というより男友達に近いかな。そう答えていたかもしれない。
きっと本当にそう思っていなくても、恥ずかしさをごまかすために、そう答えていたかもしれない。
でも、今は違う。
夏希の色々な面を改めて知って、今の夏希を知った。
昔とは違う、立派な女の子になった夏希のことを。
だから正直に答えた。今の俺から見た夏希を。
夏希はしばらく俺の目を見つめていたが、やがて満足げに頷いた。
「……うん、わかったわ。でもまだ許したわけじゃないから」
「え!?」
なぜか恥ずかしそうに目を伏せる夏希。
まだ許さないって、他に何をすればいいんだ……?
「……私を抱きしめて。そしたら許してあげる」
両手を体の前で組み、恥ずかしそうに左右に揺れる夏希は、確かに女の子だった。
今までの、男勝りでがさつな夏希じゃない。ただの女の子だ。
「……わかった」
俺が意を決して頷くと、夏希は門を開ける。
近づく夏希を受け入れるため、俺はそっと腕を広げる。
夏希は恥ずかしそうに顔を伏せ、目を合わせないまま、そっと俺の胸に両手を当てる。
そこから夏希の熱が伝わって来て、俺は体が熱くなるのを感じていた。
そのままゆっくり夏希は俺の首元に額を当てる。
そして俺の背に腕を回した。
俺もゆっくりと腕を夏希の背に回し、優しく抱きしめた。
「……陽介汗臭い」
「……うるへえ」
俺の口癖に、夏希はクスリと笑う。
「陽介の体、硬くて、昔とは違うんだね」
「夏希も、柔らかくて、昔とは全然違う」
「……変態」
「なんでだよ」
夏希はもう一度小さく笑うと、頭の位置をずらした。
ふわりと香るシャンプーの匂いは以前より強くて、風呂に入った後なんだと思った。
「陽介はさ、こんな風に私を抱きしめてても、何とも思わないの……?」
そういう夏希の顔は伺えないが、声から不安な様子が伝わってきた。
「いや、かなりドキドキする。夏希って女の子なんだなって分かる」
俺がそう言うと、夏希はそっと俺から離れていった。
そしてはにかみながら顔を上げると、後ろ手で手を組み、
「そう、私は女の子なんだから。思い知ったかっ」
そう言って笑う夏希は魅力的で。
それはまるで、夜空に咲いた花火のようだ、なんて思ってしまうほどだった。
……うん、やっぱりそうだ。
「やっぱり夏希は魅力たっぷりだと思うよ」
そういうと、夏希は一瞬驚いたような表情を見せ、呆れたようにため息をついた。
「そういうところ、やっぱり陽介は陽介のまんまね。……まあ、そんなところも含めて好きになったんだけど」
「え?」
後半、夏希の声は小さくて、よく聞こえなかった。
でも、夏希はそれについては答えてくれなくて、ただ微笑みだけを返した。
「じゃあお願いも聞いてもらったし、許してあげる。でも、今後は私のことを女の子として扱うようにっ! いいわね?」
「ああ。約束する、いや、誓うよ」
「ならよしっ」
そうして夏希は家の中に消えていった。
小さく手を振る夏希は、恥ずかしそうにしていた。
俺は夏希が家の中に消えていくのを見送ると、自転車を起こしてペダルに足をかける。
こぎだした自転車は快適に進んで、汗ばんだ体に夜風が心地よかった。
空を見上げると、天の川が見えた。
首を回すと星座が顔を出す。
あれが夏の大三角。あっちは北斗七星。そんな風に星座を数えていく。
……きっとこの夏休みもなかったことになるのだろう。
空にちりばめられた、星座になれなかった無数の星々のように。
俺だけが覚えている、無数の夏休みのその一つになっていくのだろう。
だから夏希が今日のことを覚えていることはない。
でも、俺だけは覚えておこうと思った。
今日のことを忘れず、夏希との約束を守っていこう。
そして雪芽と作る無数の思い出の中に、夏希も一緒にいてもらおう。
そうしたら、きっとあの天の川のように、俺の思い出は光り輝くのだから。
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