第23話 絶望の終わりは希望に満ちている
晴奈に誘われて川に行って以来、俺は外に出ることを怖がらなくなった。
俺が思っているほど世界は異常じゃなくて、俺が引きこもろうが外に出ようが変わらず回っていく。
俺の周りの人たちは、夏休みが始まる前と何も変わらず俺と接してくれて、それが俺の支えになっていた。
川に行った時の由美ちゃんのあれには驚かされたが、思えば由美ちゃんは唐突にああいったことをやらかす子だった。前もデスティニーランドデートを言い出したのは由美ちゃんだったもんな。
それにしても今まであまり意識してこなかったけど、由美ちゃんって意外と……。
って、妹の友達相手に何を考えているんだ、俺はっ!
そんな風に俺は、日がな一日雪芽の死やこの世界の理不尽さを嘆くことはなくなった。
全く考えなくなったわけではないにしろ、他に意識を向けられるようになったことはいいことだと思う。
そういった意味では由美ちゃんに感謝だな。
文字通り体を張ってくれたわけだし。そう、体を。体、を……。
「お兄ちゃん」
「うおっ」
「……なんかニヤニヤしてなかった? キモイよ」
「……してねぇし」
今までどうなってもいいや、生きる希望が見いだせない、そんな風に思っていたはずなのに、ふとした瞬間あの背中に感じた柔らかさのことを考えている。
我ながら単純でバカだとは思うが、童貞というものは総じてそういうものだ。
「これからお墓だってさ。準備して」
「わかったよ」
そして今日は8月15日。以前デスティニーランドデートをした日だ。
そのことを、雪芽の手のぬくもりや笑顔を思い出すと胸が痛む。
……あの時は楽しかった。今では随分と昔のことのように感じる。
今彼女は何をしているんだろうか。元気にしているのだろうか。
鉄信さんが言ったように、俺が雪芽を連れ回さなかったら雪芽は死ななかったかもしれない。そんなことを言い訳にして、俺は未だ駅に近づくことはできなかった。
そんなことをしているうちにお盆も終わりの時期で、今は送り盆のためにお墓に行くところだ。
母さんに手渡された菊をもって、俺たちは車に乗り込む。
車の揺れに合わせて菊の花が揺れる。
お墓につくと、既に結構の人が墓地におり、普段は見ない賑わいを見せていた。
母さんは車を降りるなりいろんな人と挨拶をしていた。
あの人は本当に顔が広いというか、人と話すのが好きというか、社交的だな。
それだから噂好きになるのも必然なのかもしれない。
俺たちはそんな母さんに声をかけて、自分たちの先祖の墓に向けて歩き出す。
山の上にあるこの墓所は、山の斜面にいくつものお墓が立ち並ぶ。
母さんは景色がよくて仏様も寂しくないなんて言うけど、この墓所から見える夕日はとても寂しく見えた。
墓前に花を供えて、水をかける。
線香を焚き、手を合わせる。
――どうか安らかにお眠りください。
目を開けた視界に菊の花が揺れているのが映った。
白くてきれいで、まるで雪芽のようだ。
「……雪芽」
「あら? あんたその子知ってるの?」
「え?」
俺がふと呟いた雪芽の名前に、母さんが反応した。
母さんが雪芽のことを知っている……? どういうことだ?
「か、母さん、雪芽のこと知ってるのか!?」
「ええ。最近あっちの住宅街に越してきた池ヶ谷さんちの娘さんでしょ? 噂に聞いたのよ。とってもきれいな娘さんだって」
「……雪芽は越してきていたのか」
「なによ~。あんたも隅に置けないわねぇ! 綺麗な女の子と知り合いになるなんて!」
茶化す母さんを適当にあしらって、俺は思考を巡らす。
雪芽は俺たちが何をしなくてもこちらに越してきたのか。
「母さん、池ヶ谷さんはいつ頃越してきたかわかる?」
俺がそう問うと、母さんは少しの間考えるそぶりを見せた後、曖昧さを
「確か3日前だったかしらね。お盆の前に引っ越しなんて大変だわねと思ったから」
ということは8月の12日に引っ越したということだ。
俺たちが雪芽の引っ越しを手伝ったのは確か8月6日だった。
じゃあ、俺たちが関わらないと雪芽たちが引っ越してくるのは8月12日になるのか……。
俺たちが雪芽の友達になると、引っ越しを決意するのが少し早まる。そう考えると少しだけ嬉しい気持ちになった。
「そうか、そうだったんだ……」
「お兄ちゃん、顔」
晴奈に言われて顔に手をやると、どうやら俺はにやけていたらしい。
最近はこんな風に普通に笑うことができるようになってきたのか。
この約2か月は俺にとって絶望の連続だった。
雪芽が白血病に倒れて、そのまま逝ってしまって。
再び出会えたと思ったら雪芽は俺のことを忘れていて、そのまま俺のせいで死んでしまって、俺も後を追おうとしたけど死ねなくて。
でも晴奈のおかげで外に出て、由美ちゃんのおかげで元気になってきて。俺は少し希望を持てるようになってきた。
俺が何をしなくとも雪芽はちゃんと生きていて。
だからもしかしたら俺が関わらなければ雪芽は生きていられるんじゃないか。そう思ったんだ。
根拠はない希望だった。でも、そうなればいいなと思った。
だから、帰り道に母さんと知らない女性の会話が耳に入ってきたとき、俺のそんな希望はあっけなく打ち砕かれたのだ。
「えっ! 池ヶ谷さんちの娘さん、今日亡くなったの?」
「…………え?」
母さんの驚いたような声が聞こえてきて、俺は思わず足を止めて振り返る。
「そうなの。池ヶ谷さんちの娘さん、引っ越しされてから倒れちゃってね。それでうちの病院に入院してたんだけど、今朝亡くなっちゃったのよぉ」
「い、いつ倒れたんですか!?」
詰め寄る俺に、母さんも女性も戸惑いの色を隠さない。
「え、えっと、倒れたのは引っ越しの直後だったかしら……。ところであなたは?」
「すみません、私の息子です。こら陽介――」
それからの母さんたちの会話は俺の耳に入らなかった。
雪芽が、死んだ……?
どういうことだ、雪芽が病気で倒れるのはまだ先のはずだ!
なのに、なんで、今朝死んで――
「う、嘘ですよね? だって雪芽はまだ……」
「嘘なんてつかないわよぉ。とっても綺麗な子だったからよく覚えてるわ。白血病だって聞いてたけど。でも入院してから3日で亡くなるなんて、ちょっとおかしいのよねぇ」
なんで、なんでだ……。
だって俺は今回雪芽に関わっていない。顔すら見てないのに。
なにもしてないのに、俺が関わらなくても雪芽は死んでしまうのか……?
確かに、俺が関わらなければ雪芽は死なないなんて確証はない。でも、連れ回さなければ少しでも寿命が伸びると思っていたのに……。これじゃあむしろ短くなってるじゃないか……!?
「どうして……、どうしてだよ……! 俺はどうすればいいんだよぉ!!」
夕日で燃える空に叫ぶ。
理不尽に雪芽を奪っていく世界に、俺はありったけの声をぶつけた。
晴れてきた心の闇が、広がっていくのを感じる。
どうしようもない、無力感、虚無感、そういったものが俺の中に広がってくる。
あぁ、こんなに虚しくて、どうしようもないのに、俺には逃げることも許されないのか……。
この世界は、神は、俺に何をしろってんだよ……。どうすれば、この地獄を終わらせられるんだよ……。
――――
あれから俺はどうやって家に帰ってきたのだろうか。
確か、家族に支えられながら帰ってきた気がする。
あぁ、また雪芽は死んでしまった。今度は誰が何をしたわけでもなく、病気で死んでしまった。
俺が何をしなくても、何をしても、彼女は死んでしまう。
何をすれば彼女が生きていられるのか、もうわからない。
俺だけに記憶があることも、不自然だ。
「陽介、いる……?」
俺の部屋の扉の向こうからいつか聞いたセリフが聞こえてくる。
夏希だ。また山井田に言われてきたのだろう。
「……ああ」
今はそんな気分じゃなかったが、それでも聞いてみたいことがあった。
今俺が抱えている気持ちを、誰かに聞いてほしかった。
どうせもう終わってしまうから。俺の夏休みはきっと繰り返すから。
だから信じてもらえなくても聞いてみたいことがあった。
「入るよ」
「ああ」
夏希はあの時と同じように扉を開けて恐る恐る入ってくる。
それを俺はかつてと同じような目で見つめているのだろう。
「うわぁ、陽介の部屋に入るの久しぶりね。でもあまり変わってないんじゃない?」
「……」
「あ、えっと、ごめん。それどころじゃないんだったわよね……」
全く同じ反応か。面白いような、面白みのないような。
「えっと、山井田先生に言われてね、様子見て来いって。それできたんだけど、何があったのよ?」
「夏希」
「な、なに?」
夏希は少し緊張しているのだろうか、一歩下がってこちらの次の言葉を待っている。
前回はそんなことにも気が付かなかった。
「もし、もし俺が死んだら、お前はどうする? どう思う?」
俺が唐突にそう聞くと、夏希は意味が分からないという顔をした後に、急に焦り始めた。
「も、もしかして陽介、あんた死ぬとか考えてるんじゃないわよね!?」
そんな的外れな言葉に俺は思わず失笑する。
死にたくても死ねないんだ。死のうなんて考えるもんか。だって痛いし、苦しいし、あんなのはもう二度とごめんだ。
「ちげーよ。ただ単純に興味があったんだ。で、俺が死んだら、お前はどう思う?」
「そりゃ、悲しいわよ。いっぱい泣くだろうし、しばらく立ち直れないと思う」
もう一度問いかけると、夏希は考えることなく答えた。
そのことに少し驚きつつも、俺は次の質問をする。
「じゃあ、俺が死んだあと、もし仮に、俺と出会う前まで時間が巻き戻って、何度も俺が死ぬ世界があったとしたら? その世界で自分が死ぬことができないとしたら? お前はどうする?」
その質問に、夏希はしばらく考え込んだ。
俺にだって答えが出せないんだ。そんな簡単に答えられるわけがない。
それでも何か答えを求めてしまう。この夏休みが終わる前に、今後の俺の道を示してほしかった。
「そんなの辛いと思うけど……。死ねないならやることは一つでしょ」
「なんだよ、それ」
夏希はあきれたように笑うと、当然だとばかりに言い放つ。
「あんたを死から救う」
「……は?」
「だって、陽介が死んじゃうのは辛くて悲しいし。だから救うの。何をしてもね」
「で、でも、俺を救う方法なんて分からないんだぞ!? そんな状態でどうやって救うんだよ!」
俺の叫びに少し驚いた顔をする夏希。
それでもすぐに優しい微笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「だったら仲良くなればいいのよ、もう一度」
「仲良く……?」
「そう。だって、陽介は私と仲良くなる前なんでしょ? じゃあも一度仲良くなって、いろいろな思い出を作るの。そうしたら私は陽介が死んじゃってもその楽しかった思い出を胸にその後も生きていける」
「でも、何度も俺は死んじゃうんだぞ!? 必ず! それでも仲良くなるのかよ!? そんなの辛いだけじゃないか!」
夏希は俺の叫びを聞いても微笑みを絶やさない。
そうして夏希は俺の目の前まで歩いてきて、そっと俺を抱きしめた。
触れ合う体から伝わる夏希の体温は、いつかと同じように温かくて、安心する。
「辛いだけじゃないわよ。確かに陽介が死ぬたびに私は辛くて悲しい気持ちになる。涙が止まらなくなるかもしれない。
でもね、楽しかった時の思い出を何個も何個も積み重ねていけば、いつか楽しい思い出が辛い思い出を上回る。
それに、何度も陽介と出会いからやり直して、やりたかったこと、言いたかったことを言える。
それできっといつか、私は陽介の特別になって、隣に立って、その幸せをまた積み重ねていけるって、そう思う」
楽しかった思い出が、辛かった思い出をいつか上回る……。
だから何度でも仲良くなるってのか……?
「夏希はすごいな……。俺には到底無理だよ」
「そんなことないよ。私の知ってる陽介なら絶対できる。だからそんな悲しい目をしないでよ。涙なんか流さないでよ」
俺はいつの間にか涙を流していた。
それは夏希の制服の肩に吸い込まれて、小さなシミを作った。
でも夏希はそれを気にすることなく、俺が泣き止むまでそうやって抱きしめ続けてくれた。
俺が泣き止むと、夏希はそっと離れて、俺の隣に座った。
「どう? 少しは落ち着いた?」
「……ああ、ありがとう。夏希に聞いてよかったよ」
「そう」
夏希はそれ以上何も聞いてこなかった。
俺の意味の分からない質問に文句も言わず答えてくれて、叫んだり泣き出したりする俺を見ても何も言わず慰めてくれて。
俺はいい幼馴染を持ったな。
「じゃあ私は行くけど、ちゃんと補習、来なさいよ」
「ああ、行くよ、必ず」
俺がそう返事をすると、夏希は満足げに頷き、部屋から出ていく。
「あ、そうだ」
扉に手をかけた直後、夏希は思い出したように声をあげた。
「えっと、できれば返事、聞かせてくれない?」
そう尋ねる夏希の顔は少し赤くて、恥ずかしそうに笑っていた。
でも俺には何のことやら見当もつかない。
返事、何か聞かれたのだろうか……?
「え、っと、ごめん。何の返事だ?」
俺がそういうと、夏希は残念そうな、それでも納得したように笑った。
「ははっ……。まあ、陽介だもんね、そうだよね……。うん、わかった。また今度改めて聞くことにする! その時はちゃんと返事、してよね」
そういうと、何か吹っ切れたように夏希は扉を開けて出ていく。
俺はそれを呆然と見送るだけだった。
それからしばらく夏希の言っていた返事とやらの心当たりを探していたが、結局見当たらなかった。
しかし、夏希の残してくれた言葉は、俺の今後に射す希望の光だ。
雪芽を救う。死の運命から、何としても。
もしそれができないと確定したときは、何回でも仲良くなって、夏休みでできるありったけの遊びをして、そして親友になる。
そうだ、俺はついぞ果たせなかった親友に、雪芽の特別になるんだ!
だから今は辛く悲しくても乗り越えて行く。
乗り越えられなくても、抱えたままで進んでいく。
そう、だからいくつもの悲しみを乗り越えて、俺は進もう。次の夏休みに。
その先にどれだけ辛いことが待っていても、もう挫けない。
何度でもやり直して、雪芽と何度も仲良くなって、俺はいつか必ず雪芽と一緒に学校に行くんだ。夏休みのその先を、生きていくんだ。
絶望して、虚無に身を落としている場合じゃない。
俺の雪芽を救う大それた計画は、今日ここから、始まるのだから。
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