第12話 雪の心は陽に照らされて

 私はまるで病院のようなその建物を前に、今すぐ家に帰りたいと思った。

 しかし、車のカギを閉めたお母さんに背中を押され、渋々歩き出す。



 もともと先生達に挨拶する予定で来たのに、校内の案内まで受けることになってしまった。

 先生がせっかくだから校内も案内してくれるというので、つい反射でお願いしますといったのが悪かったんだけど。


 先生が案内してくれるならまだしも、男子生徒が案内する手筈になっているらしい。

 女子生徒ならまだしも男子生徒となるとちょっとハードル高いなぁ……。



 陽介君……、じゃなかった、もう友達だから陽介って呼ぶことにしたんだった。


 陽介は柔らかい雰囲気というか、落ち着いているというか、話を聞いてくれるから話しやすい。

 初めて会ったときは他人だし、もう会わないだろうから八つ当たり気味に話しかけられたけど、今度の人はクラスメイトって話だし、気を付けないと。


 最近は体調もいいから、普通に学校行けるかもしれないし。クラスメイトとの関係は大事だよね!



 おそらくは職員用の入口なのだろう。少し狭い玄関から中に入る。

 入ってすぐの受付で入校許可書のようなものをもらい、スリッパをはいて校舎に上がる。


「少々お待ちくださいね。もうすぐ先生がいらっしゃいますから」


 そう言って通された応接室はこの高校の過去の栄光が所狭しと並べられていた。



「雪芽大丈夫? 無理しなくてもいいのよ?」

「大丈夫大丈夫! 陽介にも大丈夫だって言われたし」

「あらあら、陽介君と随分仲良くなったのね。その様子だとお父さんがまためんどくさくなりそうだわ」

「なんのこと?」


 お母さんの意味深な笑みの意味を、私は理解できなかった。


 確かに陽介とはまだ数回しか会ってないのに、随分仲良くなったと思う。

 陽介って話しやすいっていうか、こっちが踏み込んで欲しくない境界線を越えてくることはないから接しやすいんだよね。

 まあ、時々意地悪してくるのは嫌いだけど。


 あぁ、案内してくれる人も陽介みたいな人だったらいいなぁ。

 そうしたらこの先に待っている学校生活もきっと楽しいのに。



「お待たせしました。私が担任の山井田です」


 そんな風に思いをはせていると、応接室の扉から若い男の先生が入ってきた。

 すごい日焼け。運動部の顧問とかかな?


「先生、すみません、お忙しいところを」

「いえいえ。君が池ヶ谷雪芽さんだな。今日は気軽に校内を見て回ってくるといい」

「はい、よろしくお願いします」


 私たちは軽くあいさつを済ませると、少し話をした。

 学校に転入してからのことや、もしもの時の事、私が転入するクラスのことなど、ちょっとした話だった。


 それから場所を教室に移すことになり、私たちは先生の後について移動する。

 お母さんはまだ先生と話すことがあるようで、私はその間に校内見学をする流れだ。



 先生の話だと教室で先に案内役の生徒が待っているらしい。

 あー、緊張してきた……。


「ちょっと待っててくださいね」


 そう言うと、先生は教室の扉をあける。


「お、感心感心。だが宿題はそこまでにしとけ。来たぞ」


 教室の中から冊子を閉じる音と、息を吐く音が聞こえた。


「どうぞ」


 先生に促され、私は緊張で強張った表情を、何とか笑顔の形にする。

 そうして扉をくぐって、ついに案内人と対面した。




「はじめまして私――、ってあれ? 陽介!?」


「え、あれ? 転入生って雪芽だったのか!?」




 しかし教室の中にいた男子生徒は見知った顔だった。

 それもついさっきまで一緒にいた人。


 陽介は驚いた表情で私と先生を交互に見ている。

 きっと私も同じ顔をしているのだろう。お母さんも同じ表情だったから。


 先生だけは別の驚きだったようで、私たちより一瞬早く冷静さを取り戻した。


「なんだ、お前たちもう知り合いだったのか。じゃあ案内も問題ないな」


 思わず顔を見合わせる私たち。

 驚きのあまり二人して曖昧な返事を返したのだった。





 ――――





「まさか雪芽が転入生だったとはなぁ……」

「私もびっくりだよ。でもよかったー、友達がいるクラスなら不安にならなくて済むし!」

「むしろ俺が不安だよ……」


 まるで胃が痛むかのようにお腹を押さえる陽介。

 一体何を不安がることがあるんだろう?


「どうして?」

「お前みたいのが転入してきて、俺と友達だって知ったときの男子たちの猛攻を、しのぎ切れるかどうか不安ってことだよ……」

「どうゆうこと?」

「知らないならそれに越したことねぇよ」


 私の顔を見てため息をつく陽介。


 もうっ、いったい何なの?


 そんなことを話しながら今は廊下を歩いている。

 教室ではお母さんと先生がお話し中だ。



「ねえ、これからどこに行くの?」

「んー、ひとまずここにある主だった場所を案内するよ。まず数研かな」

「数研?」

「山井田さんの巣」

「なにそれっ」


 そうして案内された数研は、数学の教科書や参考書、先生方の机が所狭しと並べられた職員室のようなものだった。

 どうやら数学の先生専用の職員室みたいなもののようだ。



 そこに入ると、陽介は苦虫を噛み潰したような顔をして、低い声で呻いた。


「どうしたの?」

「んー、ここに来ると課題が増えるような気がして嫌なんだよな」

「なにそれ」


 そんな意味の分からないことを言って、陽介は数研から出ていく。

 私もそれに続くと、部屋を出たところで、陽介が知らない少女に声をかけられていた。



「あ、陽介。山井田先生いる?」

「いやいないぞ。今は俺たちの教室にいると思うけど、たぶん話はできないだろうな」


 誰だろう、この子。

 健康的に焼けた肌、短く切りそろえた髪、よく筋肉のついた体。


 私にないものを大方持っているようなこの少女は、陽介の友達だろうか。あるいは陽介の……。



「ふーん、じゃあまたあとで――って! 何その子!?」

「あ、こいつは――、まあ、どうせ後でわかることだしいっか。こいつは今度うちに転入してくる池ヶ谷雪芽」

「あ、どうも。池ヶ谷です」


 少女はそれからしばらくの間放心したように私を見つめていたが、やがて正気に戻ったのか、陽介となにやら小声で話し始めた。


 なんだろ、私そんなに変な服じゃないし、おかしな行動もしてないからそんなに驚かれるようなことは何もないと思うんだけど……。


「な、なるほど、大体の事情は分かったわ。うん、池ヶ谷さん、だっけ? 私は小山夏希。陽介と同じクラスでこいつとは幼馴染なの」

「あ、そうだったんですね。仲がいいから恋人なのかと」

「ここ、恋人!? 私とこいつが!? ありえないって!」


 私がつい口走ると、小山さんは動揺した様子を見せた。

 あれ、もしかしてこの反応は脈ありなのかな?


「そうだぞー。昔の夏希はそれはそれはがさつで男勝りでさ。こいつの恋人になるやつは苦労するぞー?」


 しかし、こんなにわかりやすいサインにも、陽介は気づいた様子はなかった。

 それに目に見えて落胆する小山さん。


「ちょっと! それどういう意味よ!」

「いや、そのまんまだろ。小学校の時男子と喧嘩して泣かしてたじゃん」

「今はそんな事しないわよ!」


 あぁ、いいなぁ。私もこの人たちとそんな幼少期を過ごしたかった。

 そう思わせるほど、彼らのやり取りからは、仲の良さが伝わってきた。



「そ、それで、池ヶ谷さんは今こいつに校内を案内されてるんでしょ? だったら私も付いて行く。どうせこいつじゃろくな案内できないし」

「おい、それどういうことだよ」

「そのままよ。あんた案内する場所も決めてないでしょ」

「うっ」


 言葉に詰まる陽介。

 どうやらこれと言ってプランがあったわけでは無さそう。まあそのほうが陽介らしいと思うけど。


「ねっ? 池ヶ谷さんはどう?」

「私もそれでいいですよ。人数が多い方がいいでしょうし」




 ……嘘だ。


 本当は少し不安だった。




 私は忘れかけていた緊張がぶり返すのを感じていた。

 この小山さんは私のクラスメイトになる人。そんな人に変な子だって思われたら大変だ。

 そう思うとどんどん表情は硬くなっていって、陽介や晴奈ちゃんと話すみたいに話せない。


「まあ、同じクラスになるんだし、敬語はいいよ。あと気軽に夏希って呼んでね」

「はい」

「あはは……」


 つい口から出た言葉はとっつきにくい固さを孕んでいて、あわてて言いなおそうかと思ったけど、もうタイミングを逃していた。



 夏希さんは困ったように笑うと、飲み物を買ってくると言い残して走り去ってしまった。


 やっちゃった……。

 そう思っていると、陽介が行こうと言って歩き出した。



「なあ雪芽」


 歩きながら、陽介は私に声をかける。


「大丈夫だよ。お前はそのままで全然変じゃないから。俺だって今こうしてお前と友達になってるんだから、何も不安に思うことなんてないよ」


 私は言葉が出ず、ただ頷くことしかできなかった。


「クラスメイトになるからって嫌われちゃいけないなんてことはないし、変に自分を偽って接していくのは大変だと思う」


 陽介の声色はいつもと何も変わらなくて、気を使ってるわけじゃないってことは分かった。


「まあ確かに最初は偽っていかないと難しいけどさ。そうしないと相手が混乱しちゃうからな。いきなりありのままの人間を受け止められる人なんてそうそういないし」


 そう。だから私もありのままをいきなり出しちゃいけないって思って――。


「でもさ、俺と接する時の雪芽の感じは、なんていうのかな。前に壁を張っていた時よりよっぽどいいって感じる。それが雪芽のありのままなら、それは夏希にも受け入れられるものだよ」


 ……そうなのかな。

 もしそうなら私はもうちょっと、素直になってもいいのかな。




「人と近づくために偽った自分がさ、人を遠ざけるなんて、皮肉だと思わないか?」




 そう言って振り返った陽介の顔は、今まで見たどの笑顔より優しいものだった。

 私はその笑顔に照らされて、凝り固まっていものが溶けていく気がした。


 溶けた何かは目の奥からあふれ出し、頬を伝っていく。



 思えば簡単なことなのに、私は空回りしてばっかりで。

 夏希さんにも変な子だって思われちゃって。

 そう思ったら涙が止まらなかった。


 そんな私を見て、陽介はどうしたらいいのか分からないようで、あたふたしている。

 あぁ、ごめんね陽介。迷惑かけちゃいけないのに。



「あぁ、ほらっ、これ使って涙拭け。んでこれ使って鼻かめ。泣き足りなかったら泣いてもいいけど、夏希が帰ってくるまでには泣き止んでくれよ? 俺が怒られるから……」

「ふふっ、やっぱり陽介は、バカだね」

「んだよもう。人がせっかく慰めてやってるのに……」


 そう言って頭を掻く陽介を見て、やっぱり私は笑うのだった。





 ――――





 それから帰ってきた夏希さんに、陽介はこっぴどく叱られていた。

 私も弁明したんだけど、夏希さんはそう言うことじゃないと言って取り合ってくれなかった。



 でも、叱られてふてくされる陽介と、そんな陽介をさらにきつく叱りだす夏希さんを見ていると、なんだか笑いがこみあげてきて、笑っちゃいけないって思ってるのに笑ってしまった。


 それを見た夏希さんも何がおかしくなったのか笑いだして。

 ただ一人、陽介だけが訳が分からないといった様子で正座していた。



 それから校内案内が再開したが、私にさっきまでの緊張はなかった。

 そして気が付けば互いをニックネームで呼ぶ程度には打ち解けていた。


「ここが女子更衣室ね。体育の授業の時はまずここにダッシュよ」

「うんうん。あまり走るのは得意じゃないけど、私頑張る!」

「おおっ! その調子だよユッキー」

「でもその時はなっちゃんが面倒見てね?」

「もちろん!」



 なっちゃんはとってもいい人で、互いの間にあった壁はあっという間に取り払われた。

 というよりも私が一方的に壁を張っていただけで、なっちゃんは最初から仲良くなろうとしていたんだ。


 そんな私たちの様子を後ろから見ている陽介はというと、いったい何が起こったのか分からないという顔をしていた。


「なんでお前たちそんなに仲良しになってるの?」

「別に仲良くなっちゃいけない訳じゃないでしょ? なによ? 羨ましいの陽介」

「ちっげーしぃ、羨ましくなんてないもんねっ! 俺は雪芽と既に友達だから!」

「は? 私たちももう友達だけど。ねー、ユッキー?」


 違うよな? という陽介の視線をスルーして、私は笑顔で頷く。


「もちろんっ! なっちゃんとは今日会った気がしないもん」


 それを聞いて陽介は納得がいかないとばかりに抗議する。


「おいおいそれはないだろ!? 俺の時は4回会わないと友達になれないって言ってたのに、夏希だと1回でいいのかよ!?」

「それは顔を合わせただけの場合だよ。陽介とは特に遊んだりしたわけじゃないし」

「えぇ~……」


 信じられないものを見た、といった表情で陽介は肩を落とす。

 ちょっと悪いことしたかな? でも友達の友達は友達みたいなものだって聞いたことあるし、別にいいよね?


 それからしばらく陽介は文句を言っていたが、校内案内が終わるころには何も言わなくなった。

 ちらっと顔を盗み見てみたが、笑っていたので別に怒ってるわけじゃなさそう。



 そうしていろいろあった校内案内も終わり、私はお母さんと合流して帰ることになった。


 なっちゃんと陽介とはここでお別れ。最後にまた夏休み中に予定が合えば遊ぶ約束をして、彼らと別れた。

 山井田先生もいい人だったし、陽介やなっちゃんがクラスメイトなら、新しい学校生活も安心だよね。



 こうして、私の不安は今日、真夏の太陽に照らされて一つ、溶けてなくなったのだった。

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