第三十一話「公爵家の人々 7」
「常に笑顔。これが基本よ」
ソフィアによる礼儀作法講座で最初に教わったこと。
その言葉を思い出しながら努めて笑顔で、ライアンへと話しかける。
「ライアン様もこちらに来られていたのですね」
鏡がないので、完璧な笑顔ができているかはわからないが、俺の中ではにこりと優雅に微笑みながら声を掛けることに成功した。
ライアンから見れば俺は叔母にあたるが、年齢は向こうが一つ上。
なんとも複雑な親戚関係である。
呼び方に少し悩んだ。
親しみを込めるのであれば「ライアン兄さん」と呼んだ方が適切なのかもしれないが、どうもこちらに対していい感情を持たれていないのがわかっているので、なるべく穏便に済む呼び方を考えた結果、向こうは養子の俺とは異なり、本家の直系ということもあり、様を付けて呼ぶことにした。
「そうだが……」
話しかけても無視される可能性も考えていたが、ふいっと視線を逸らされはしたものの、不機嫌そうな声音で言葉を返しくれた。
いつも顔を合わせる機会で、俺が話す相手はライアンの父親であるエドガーとばかり。
実はこうやって言葉を交わすのは初めて。
イーサンに対する時は犬が尻尾を振るような無邪気な振る舞いはなりを潜め、俺に対しては相変わらずな仏頂面。
そんなライアン少年は、上品な服の上に、今は王立学校で護身術の授業で使うような防具を着けていた。
腰には訓練用の模擬剣もぶら下げている。
その様子からライアンは騎士に交じって訓練をしていることが推測できた。
エドガーもソフィアもかなりの魔術の使い手と聞いており、サザーランド家は勝手に魔術に重きを置いた家と勝手に思い込んでいた。
ただ、今日初めて会ったイーサンは騎士として活躍している様子であり、別に魔術に特別力を入れているわけではないのかもしれない。
「……何だ、じろじろ見て」
「あ、いえ。ライアン様も剣の訓練をされていたのですね」
「悪いか?」
「い、いえ。暑い中、しっかり訓練されていて立派かと……」
ふん、と鼻を鳴らしながらギロリと睨まれてしまう。
こっちはニコニコと応じているつもりだが、どうやらライアンのお気に召さない回答だったみたいだ。
確かに、少し視点を変えて俺がライアンの立場で自分より小さい子に「わー剣の訓練をして立派ですね!」と褒められた場合どうだろうか。
……ただの女の子であれば、褒められて嬉しくない男はいないが、俺の場合は一応剣聖という称号を貰った立場。
バカにされているとしか受け取れない。
では剣の腕が上であるという前提で、少し上から目線で褒めてみてはどうか。
これはこれで、年下の癖に偉そうなやつにしか思えない。
つまり、何を言っても機嫌を損ねる回答にしかなりえなかったような。
「……」
「……」
そんな気まずい空気が流れる中で、イーサンがライアンへと声を掛ける。
「なんだなんだ? ああ、そうかライアン、お前柄にもなく可愛い子を前にして緊張しているのか?」
「ちっ、ちがいます!」
イーサンはライアンの頭をガシガシと撫でながら笑う。
「冗談だ。ライアン、あとで剣の練習成果は見せてもらうから、すまないがカルキンさんを呼んできてくれ。頼まれてくれるかな?」
「は、はい!」
俺の時とは違い素直な返事でライアンは答える。
「うん、いい返事だ。ここにいるので頼むよ」
ライアンはこちらをひと睨みするが、すぐさま駆け出し、廊下の奥へと走り去っていった。
「私は仲良くしたいのですが……何だか随分と嫌われているようですね」
姿が見えなくなったところでポツリと言葉を漏らす。
それを聞いたイーサンは苦笑する。
「くくくっ、アリスは知らないかもしれないが、あれでも周囲はライアンのことを大人びた子供と評していたのだがな。アリスがそれ以上に大人びて見えるからそう見えるのか、はたまたライアンにも子供らしい一面があったと見るべきか」
「……私達はまだまだ子供ですよ」
「……実のところ、アリスはもっと年齢が上だったり?」
イーサンの言葉にドキリとするが、冗談で言っていることが表情から流石によめた。
「そう見えます? なら私、お酒を飲んでみたいのです。新しい妹との出会いに一杯奢って下さらないかしら?」
「可愛い妹のお願いだ。是非、叶えてあげようと言いたいところが、もう少し身長が高くなってからだな」
「あら、それは残念」
「っと冗談はこれくらいにして、ライアンのことは寛容な目で見てやってくれ。あれでも根は素直な子でな。初めてできた同年齢の対等、いや遥か上の存在が突然現れてあいつも戸惑っているのだろう」
イーサンはライアンが駆けていった廊下の方を目を細めながらみる。
「戸惑いですか?」
「もっと端的に表現するのであれば、嫉妬というべきか」
「嫉妬、ですか」
「剣聖アリスがそれこそ遠い国から聞こえてきた人物であったら憧れや尊敬で終わったかもしれないが、不幸な事に可愛い甥にはあまりにも近すぎる存在だ。私達の偉大なる父上の養子に迎え入れられたという点も大きいな。知っているかい、アリス」
「なにをでしょうか?」
「これまで父上は養子をとったことがない。理由はわかるかい?」
俺がもつ知識では、まず養子を迎え入れるというのはかなり特殊な事情。
当たり前のように行われているとの認識はないが、イーサンの語りから、こちらの世界では貴族が養子を迎え入れるというのは、割と当たり前のことであると捉えられた。
「……とる必要がなかったからではないのですか?」
ない知識から、質問に対して答えになっていない答えを返してしまうが、イーサンは俺の答えに頷く。
「その通り。父上の眼鏡に適う人物などいなかったからだ。父上の魔術の後継者に相応しいものがね」
「でもエドガーお兄様が公爵家は継いでおられるのでは?」
「家督は確かに。だが、サザーランドの代名詞となっている宮廷魔術師の役職は誰のものか。今もなお父上が就いている。仕方がない。私には魔術の才能がなかったし、優秀と言われた兄上でさえ未だに父上の足元に及ばない。残念だが、父上に我々は可愛がられはしたものの魔術の才能には見切りをつけられていたのだよ。まぁ、おかげで私は色々と自由にさせて貰えたので今となっては良かったのかもしれないが……」
「……」
事実を告げるのであれば俺のは才能というよりは神様より与えられたチート。
更には特段努力しているわけでもなく、イーサンの話を聞くのは何とも居心地が悪い。
そして、ライアンが俺を目の敵にしている理由もようやく得心がいった。
「剣聖だけではなく、魔術師としての才を、我らが父上に認められてファミリーとなったアリスのことが魔術の才能があり神童と称され、周囲にゆくゆくは父上の後継者とおだて育てられてきたライアンにとっては複雑な心境というわけさ」
「……そういうことだったのですね」
「と、まあそんな事情もあるが、私としては是非切磋琢磨する関係になり、サザーランド家を盛り上げて欲しいと思っているよ」
「はい。そうしていきたいです。でも事情をきくに、すぐに仲良くというのは難しそうですね」
「いいや、そうでもないさ。一つ簡単な方法を私が伝授しよう」
本当にそんな方法があるのか、とイーサンを見上げる。
「一度実力差をわからせるためにボコボコにしてみるといい」
「ええ……」
涼しい笑顔で本気で言っているのかわからないことを口にする。
「余計嫌われるような……」
というか今以上に避けられる未来しか見えない。
そんなことをイーサンと話していると再び廊下から足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
どうやら使いに出したライアンが戻ってきたようだ。
「さて、可愛い甥がアリスに嫉妬しているという話には少し付け加えておくことがある」
「……なんでしょうか」
「実は私もアリスに少し嫉妬しているんだ」
「…………」
表情こそ先程と変わらず穏やかな笑みを浮かべているように見える。
口調も何気ない会話の延長線のようであった。
だが、細められた瞳の奥はちっとも笑っていなかった。
------------------------------------------------------------------------------------------------※28~30話で「裏技?」と付けていた話題を「公爵家の人々」に変更しました
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