第二話「新任教師 2」

 一度寮に戻り、着替えてくるという選択肢はあったが、それを俺は選択しなかった。

 理由は単純。

 先程夏服の存在を初めて知った俺が、夏服を持っているはずがない。

 戻ったころで夏服を持っていないのだ。

 今日だけであれば持ち合わせの薄手の服に着替えて登校しても、誰も咎める者はいないかもしれないが絶対に目立つ。

 ただ居るだけでも目立つ現在の状況なのに、さらに注目を浴びるというのは最悪だ。

 となると、俺にできることは身体に触れる風をがっちりガードしてくれているブレザーを脱ぎ、肩から掛けているバッグにしまうことくらいであった。

 それだけでも身体に籠る熱は大分緩和され、先程よりは幾分かはマシになった。

 ……マシになったのだが顔に残る熱は残ったまま。

 原因は俺の右頬をツンツンとつつきながら、カラカラと笑うエルサ。


「案外アリスちゃんって抜けてるのね。何だかアニエスがいっつもアリスの心配をしている理由がわかったわ。剣聖様剣聖様と騒がれてるけど、やっぱりまだまだアリスちゃんは目が離せない子供よね」


(本当は俺の方が年上だけどな……!)


 エルサには衣替えの季節を知らなかった子にしか映らず、からかわれているわけだ。

 言い訳をしたいが、俺は憮然とした表情のまま受け入れるしかなかった。


「本当はお見舞いに行きたかったんだけど、アリスちゃんがどこで療養しているのか全然情報がつかめなかったのよ。ごめんね。あ、今度全快祝いにチョコ持ってくるから」

「……今の時期だと溶けちゃうんじゃ?」

「むむむ。剣聖様にうちが支援しているお店チョコを献上して、大々的に『剣聖様御用達のお店』と宣伝しようと考えていたのに思わぬ罠が!」

「それってシャフラートですよね?」


 王都での有名な菓子店。

 アニエス、エルサと3人で王都を散策した際にお店の前を見たことがあるが、それはそれはすごい人だかりであったと記憶している。


「もう宣伝する必要もないほど繁盛してるし、私の名前なんか出しても意味がないような……」

「甘い、甘いよアリスちゃん。今や王都で過ごしていたら剣聖の話題が聞こえない日はないの」

「ぇえ……」


 すでに剣聖になってから一ヵ月以上が経過した。

 話題は一過性のものであり、雲隠れしていた俺の話題なんて既に廃れているものと思っていたが。


「それに商売は水物! 稼げるうちに稼いでおかないと駄目なのよ!」

「……エルサさんって将来、商人になりたいんですか?」


 いい所のお嬢様のはずであるが。


「あはは。その将来は考えたことがなかったかな。単に私はシャフラートのマスターには小っちゃい頃から色々と面倒を見てもらったから少しでも恩返しできたらいいなーって」

「なるほど。そういうことだったんですね」

「まぁ、ちょっとこの時期は確かにチョコは駄目ね。別のお菓子にするか……、あっ!」


 何かいい考えが思いついたようで、手をポンと一度叩きエルサが提案する。


「アリスちゃんがお店に来てくれれば全部解決ね」

「……さっきの話を聞いてると私が街に居たら大変なことになるのでは?」

「そうだった。剣聖様が街に居るなんて知れたら大変なことになりそうね」


 エルサはからからと笑う。

 お道化た口調で剣聖様とは言っているが、俺が剣聖になる前とエルサの態度は変わらない。

 気軽に話してくれるエルサはありがたい存在と言えた。


「アニエスはまだお仕事?」


 話題が変わる。

 俺達が住んでいる寮の方へと視線をやりながら、質問してきた。

 俺とは違った理由でアニエスもまたここ最近学校には来ていない。

 こちらは病欠などではなく、お姫様としての公務のため暫く学校を休んでいる。 

 当然その公務が何かまではエルサは知らない。


「寮には帰っていないようでしたよ? 私も最近会えてないなのでちょっと寂しいですね」

「てっきりアニエスのことだからアリスちゃんのお見舞いには公務の合間にでも毎日訪れてるものだと思っていたわ」


 病欠であったという設定の身。

 実はアニエスと同じ時期に森国へ行っていましたなどと口が裂けても言えない。


「アニエス姉さんも忙しいのでしょう」


 何も知らない体で嘯くのであった。


「お姫様も大変ね。はー、私は来週からある期末試験のことで頭がいっぱいだけど……同じ年のはずなのに何だか改めて身分の違いを感じるわね」


 はぁと溜息をつくエルサ。

 だが、そんな会話の中で俺は不穏な単語にピクリと反応せずにはいられなかった。


「期末試験……?」


 中間テストがほんのちょっと前にあった記憶はある。

 

「はぁ……。もう少しで夏休みだけど、試験は憂鬱よね。でも、アリスちゃんは真面目よね。私だったら病気にかこつけてそのまま休みまで学校さぼっちゃうかな。あっ、でも私がさぼっちゃうと普通に留年しちゃうからそれは駄目か」

「……エルサさん。私やっぱりまだ身体が本調子じゃない気がしてきました」


 エルサの独り言を聞きながら回れ右。

 寮に戻ろうとしたところ、ガシッと肩をつかまれた。

 

「……エルサさん放してください。なんだか太陽の下にいたらくらくらしてきたような気がします」


 にっこりとエルサは笑いながら答える。


「大丈夫よ。学校に行けば優秀なお医者様も常駐していますし、私達は何も心配することなく勉学にはげめばいいのです」


 先程とは違い、エルサはお嬢様らしい口調で言う。


「……さっきサボっても良いって」

「そんな事言ってないわ。私だったらサボっちゃうな。アリスちゃんは真面目だなーって言っただけよ」

「私、まじめ、違う」


 フルフルと首を振る。


「それに私はアニエス様から『もしアリスが学校に復帰したらサポートしてあげてね』とお願いされているのです。あと、『学校に行きたがらなくても捕まえてでも連れていくように!』と」

 

 この肩を掴む手が暴漢者のものであったなら、迷うことなく叩きつけることができる。

 しかし、俺の肩を掴むその手は友人のもの。


「さぁ、学校に行きましょう」

「…………はい」


 もっと学業に復帰する時期は考えるべきであったとちょっぴり後悔するのであった。

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