第二話「工房の酒飲み」

 俺は早速、刀のお礼を言う為に学区を南下し、鍛冶区にあるガルネリ工房を訪ねることにした。

 急ぎであれば、身体能力を存分に発揮し、屋根の上を伝っていけば大きく時間を短縮できるが、今日は気分転換も兼ねてその方法はなしだ。

 道の石畳を靴で叩きながら進んでいく。

 鍛冶区に到着したのは昼下がりになった頃であった。

 迷いなく歩を進め、程なくして目的のガルネリ工房に着く。

 扉の前に立ち、今更ながら大事なことを思い出した。


(ガルネリさん、この時間だとすでに飲んでる……?)


 ガルネリはドワーフ族であり、テンプレの例に漏れず大の酒好き。

 俺自身は運がいいのか悪いのか、ガルネリが酒を飲んでいるところを見たことがないが(無理やり断酒させていたとも言う)。

 話を聞くところによると午前中に剣を打ち、一仕事を終えたガルネリは酒を飲むのが日課。

 すでに店仕舞をしている可能性があった。

 その時はまた出直すしかないかと思いながらも、扉に手を掛ける。

 扉に鍵はかかっておらず、すんなりと開いた。

 まずは顔だけ、店内を覗き込む。

 相変わらず工房の中は、日中であるにもかかわらず、カーテンを閉められているために薄暗い闇に覆われている。

 今開いた扉から差し込む光があるおかげで店内の様子がわかる有様。


「お邪魔します――うっ……!」


 俺の鼻孔をつーんとした臭いが風に運ばれ、届く。

 酒の臭い。

 思わず鼻を摘まむ。

 それほどまでに強烈な臭いであった。

 幼い身体のせいでアルコールに耐性がないこともあわさり俺は涙目。


(間違いなくすでに飲んでる! うん、今日は帰ろう)


 回れ右。

 日を改めようと決意した時であった。

 カンカンッ。

 金属を叩く音が工房奥から耳に届いた。

 その音に眉をひそめる。

 酒の臭いがしたので、てっきり今日の仕事を終え自由時間――もとい酒盛りに興じているものと思ったが。

 鍛冶をしている音が聞こえるということは、ガルネリは今も仕事をしていることになる。

 思い直し、俺は開きかけていた扉に身体を滑り込ませ、工房の中へと入る。


「うわぁ……」


 店に入ると、まず目がいく本来は剣の製作依頼といった商談が繰り広げるべき場所。

 受付台には大量の空になった酒瓶が置かれていた。

 よくもまあ飲んだものだ。

 しかし、これでは店の営業に支障をきたしていそうである。

 ガルネリは王都で有名な鍛冶職人。

 こんな状態で大丈夫であろうか。


(俺が来た時、こんな状態になっていることはなかったけどな。

 もしかして断酒していた反動でこんなことに……?)

 

 禁断症状という文字が頭に浮かぶ。

 若干の疑問や不安を覚えつつも、断続的に響き渡る音がする部屋――鍛冶場へと進む。

 扉を開けるとそこには真剣な表情で灼熱の赤い塊を叩く男が部屋の中央に座っていた。

 この工房の主、ガルネリだ。

 長い髭を顎にたくわえ、分厚い筋肉に覆われた男。

 若干顔は赤いが、これは酒のせいではなく、炉から轟轟と燃える火により照らされた影響だ。

 しかし、この工房に足を踏み入れてもなお酒の臭い。

 一体どこから、と疑問に思い目を横にやる。


「……」

 

 無言で原因の存在を見た。


「くはっ。生前はドワーフ族の酒なんざ、酒精が強いだけの糞酒と思っていたが、なかなかどうして」


 その部屋にはもう一人、胡坐をかきながら酒瓶片手に、ごくごく酒を飲んでいた。

 いや、人ではないのだから一人と表現するのは的確でないのかもしれない。

 俺はそいつを知っている。

 というか、今朝も会った。


(どこに行ったのかと思えば、こんなとこにいたのか)


 燃えるような赤い髪、整えられた顔、少し古風な服装。

 名をアントニオ・ストラディバリ。

 歴史上最高の鍛冶師にして、初代国王にして、初代剣聖。

 偉大な人物である……はずだが。

 ジト目でその姿をみる。

 ストラディバリは酒瓶を呷り、一息つくと、俺の姿に気付いたようだ。


「よう。剣聖様じゃねえか」


 顔見知りを見つけたと、酒瓶を持っていない方の手をぷらぷらと振る。

 その振舞はただのおっさんであった。

 少しだけ、ほんの少しだけ、数百年も、精霊へと身を昇華してなお自身の願いの為に生き続けた存在に尊敬の念は残っていたが、今完全に砕け散った。


「……こんなところで何してるんですか?」

「見ての通り。酒を飲んでた」

「ここは酒場じゃないですよ?」

「酒をどこで飲もうが個人の自由だ。

 それより、こんなところまでアリスが足を運んで来たのは俺様を探してか? 

 一度は俺様の誘いを断っておきながら、やはり武人の血が騒いだか。

 わかるぞ、その気持ち。

 剣を交えたくて仕方がなかったのであろう?」

「違います」


 同類にしないで欲しい。

 こちとら平和主義者だ。

 短い付き合いのストラディバリの性格はいまいちわからないが、戦いを拒んでも、無理矢理襲い掛かってくる可能性もあった。

 だが、俺の断りの言葉を聞くと「何だつまらん」と一言。

 再び酒瓶を呷る。

 どうやら突然剣を向けてくることはなさそうだ。


「で、何でガルネリさんの工房に?」  

「暇だったのでな。ジュゼ坊の剣をみてやってたんだ」

「ジュゼ坊?」


 聞きなれない名前に俺は首を傾げた。


「その呼び方はやめてくれんか」


 いつの間にか金属を叩く音は止んでおり、俺とストラディバリの会話にガルネリが割って入り、苦虫を噛み潰したような顔でガルネリは言う。


「なんだもう打ち終わったのか」

「そんなわけなかろう! 打ってる横で酒なんぞ飲まれたら集中できんわ!」

「ふん、未熟だな」

「ぐぬぬ……!」


 今度は炉の炎ではなく、怒りでガルネリの顔が赤くなる。


「お二人は知り合いだったのですか?」


 親し気なやり取り。

 俺は当然の疑問を口にする。

 でも知り合いというのは、自分で口にしながらも変な話だ。


(そういえば、華月はガルネリさんとこいつが共に鍛えたとか言ってたっけ?)


 ガルネリに依頼し、製作してもらった『華月』と銘付けられた刀。


「……一応、わしに剣の鍛え方を教えてくれたお師匠になる」


 ガルネリの答えに、俺は再び首を傾げる。

 師匠、つまり鍛冶師としての師匠がストラディバリ。

 でも実際のストラディバリは数百年前に死んだことになっている。

 いや、まぁ精霊となって今の目の前にいるわけではあるが、その姿を今回の剣舞祭で見せたものと思っていた。

 これはストラディバリの姿を見た国王陛下の言葉から予想するに間違ってはいないだろう。


「まぁ、師匠といってもわしが鍛える剣にあれこれケチをつけて、酒を飲んでいるだけじゃったがな」


 肩をすくめながらガルネリは言う。


「ストラディバリさんは剣舞祭の時期にしか現れないと思ってましたけど」 

「ふむ。一応、わしのところに現れたのも剣舞祭近くの頃にしか現れんかったぞ。

 そういえば、お師匠さんは何でまたいるんじゃ。

 いつも剣舞祭が終わったらどこぞに消えとったが」


 答えを求めて、二人でストラディバリの方を見る。


「そりゃ簡単だ。

 俺様の待ち人は見つけた。消える理由がないだろう?」

「歴代の剣聖にも姿を見せなかったのは?」

「俺様が戦うに相応しい場所にまで至らなかったからだ。

 実を言うと俺様をもってしても、精霊と同存在のこの身体をお前さんたちにも姿が見えるように維持するのにはなかなか力を消耗する。

 力を消耗した後に行く着く先は、今度こそ俺様という存在の消滅に他ならない。

 無駄に顕現し、無駄に力を消耗するのは阿呆のすることであろう」

「因みに、どれくらいが維持の限界なんですか?」

「他に力を使わなければもって百年ってとこか」

「十分なのでは……」


 この世界の平均寿命は知らないが、人族であれば十分すぎる時間。


「馬鹿を言え。

 俺様はいつ現れるかもわからなかった待ち人を待っていたのだぞ? 

 なるべく力を温存するのは当然。

 故に見込みのある者を俺様は実体化せず、剣の精霊として見守り、そういった者がいない時はなるべく眠り、そのようにして毎年開催される剣舞祭で見込みある者が現れるの待っていた」

「じゃあ何故ガルネリさんには姿を?

 歴代の剣聖に対してのように声だけでもよかったのでは?」


 俺の質問に「何を当たり前のことを」と言わんばかりにストラディバリは嘲笑う。


「こうやって実体化しないと酒を飲めないからな」


 かっこいい顔をしながら糞みたいな理由をぶっちゃけた。


「ソウデスカ」


 真顔で頷いておく。


「確かにわしの目の前に初めて現れた時も一方的に剣を打ち、一方的に酒を要求してきたのお……」


 そこでふと気づく。

 俺が質問した内容に対して、ストラディバリは論点を少しずらしている。


「あれ、でもお酒が飲みたいのであればこれまではどうしていたの?」

「誰かを見守っているときは酒を要求し、こっそり実体化して飲んだ。

 剣舞祭の時は俺様の剣が仕舞われている場所に、酒も供えられていたゆえ、それを飲めば事足りた」

「でもそれってガルネリさんにだけ姿を見せている答えにならないですよね?」

「……」


 これまで即座に疑問に対して答えていたストラディバリが黙る。

 暫しの間の後に、再び口を開く。


「たまたま、本当にたまたま、子供が剣を打っていたのを見てな。

 ちょうどその時の俺様は今すぐにでも酒を飲みたい気分だったんだ。

 だが、さすがに無償で酒を飲むのもな。

 そこで俺様がジュゼ坊に剣の打ち方を教える対価に酒を要求したわけだ」

「ふーん」


 そういうことにしておこう。


「厄介な者に目をつけられたわい……」

「昔は目を輝かせてすごいすごいとはしゃいでいたのに。

 やれやれ、歳はとりたくないものだな」

「いつのことを言っておるんじゃ……!」


 きっと当時、ストラディバリは未熟ながらも、ガルネリが打った剣にどこか魅せられ、久しく忘れていた鍛冶師としての職人魂にも火がついたのだろう。

 暫く繰り広げられた二人の応酬を、俺は微笑ましく見守った。

  

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