第七十話「vsジン」
どよめく場内を俯瞰する。
俺を持ち上げているセザールを恨めし気に睨もうとするが、さすがにそこまで首が回らない。
溜息と共に声を出す。
「言いたいことは色々ありますが、陛下が私に下さった剣が剣聖の証だったのですね」
「その通りだ」
「私は剣技に自信はありませんよ?」
「剣聖とは剣技に優れた者の証ではない。王国で一番強い者に与えられる証じゃ。
勇者殿以外に相応しい者がいるかね?」
「……本当の勇者は別にいるのでは?」
「確かに確かに。しかし、彼のものは今は遠い北の地。残念だがいつ帰ってくるかもしれない」
ここでセザールと押し問答を繰り返したところで俺が剣聖であるということを覆すことはできない。
「降ろしてください」
「うむ」
俺の言葉に応じ、セザールが降ろしてくれる。
柵により、俺の姿は闘技場の観客からは見えなくなったことだろう。
少し時間が経ち、闘技場では徐々にざわめきが大きくなっていく。
「だましたことは悪かった。
じゃが、こうでもせんと目立つことを好まんお主はこの場に来てくれなかったのではないかね?」
否定はできない。
確かに面と向かって「お前が剣聖である」と言われていたら、丁重に辞退し、逃げていたことだろう。
国王に対する態度ではないが恨めし気に、上目遣いでセザールを睨む。
残念なことに、俺の姿では迫力不足であったが。
セザールは腰を少し屈めると、悪戯気な笑みを受かべながら言う。
「剣舞祭のフィナーレ、多くの国民が楽しみにしておる。わしもお主の実力をこの目でみたいものじゃ。どうか、頼む」
俺はもう一度溜息をつき、覚悟を決めた。
ここで「絶対無理! 帰る!」と言う程の度胸は持ち合わせていなかった。
「わかりました」
「お主ならそう言ってくれると信じておったぞ! では早速――」
セザールが何かを言い終わる前に、軽くジャンプし柵の上に立つ。
次に闘技場中央に向かて、そこから跳躍した。
魔術を使うまでもない。
レベルにより強化された身体能力を思う存分発揮し、狙い通りの位置へ降り立った。
着地した瞬間、観客から歓声が沸き起こる。
(突然盛り上がったな?)
他人事のように思う。
着地した目の前には対戦相手であるジンが立っていた。
俺と違い、剣舞祭のフィナーレだからといって着飾っていない。
剣のスタイルからによるものか、予選でよく見た身を守る鎧も身に着けていない。
動きやすそうなシンプルな服装であった。
眼光は鋭く俺を見据えてはいるが苦笑気味に、そしてどこか呆れた顔。
「このような場所で会うとは」
「ええ、奇遇ですね……」
つい先ほどまで観客の一人であるはずだったのだから。
「成程な。剣の腕前、これからの伸びしろ。
考えてみれば剣聖に相応しい器だ。
弟子になる条件も、俺より強いことを証明してみせよということだったか」
ジンは喉を鳴らして笑う。
確かに、今となっては俺が弟子になる条件はジンが言った意味になってしまう。
だが、ジンは楽しそうだ。
いいえ、実は俺も今さっき自分が剣聖であることを知らされました! とはとても言えない。
何て言葉にすればいいか悩んだ挙句、俺はにこりと微笑んだ。
俺の表情を受け、ジンは宣戦布告と受け取ったのか獰猛な笑みを浮かべた。
どうやら選択を誤ったみたいだと、少し後悔する。
言葉もなく、ジンは腰の剣を、俺は刀を抜く。
今更ながらジンの情報を調べる。
レベル三十八。
最近対峙する竜という存在のせいでレベルの概念が壊れているが、人としては間違いなく上位のレベル。
強い。
以前対峙した際に、ジンは俺の攻撃を受け流していたことからも、ゲームのように単純なレベル差だけで圧倒できる相手ではないことは承知している。
剣術だけであればジンの方が間違いなく上だ。
油断なく刀を構えた。
◇
国王陛下に紹介された剣聖の正体はジンも知る少女であったが、どこか不機嫌そうであった。
剣聖としてアリスが紹介された時、ジンは「なるほどな」と納得した。
彼女の実力を知らない観客は「何の冗談だ?」と思っていた様子。
そんな静寂の中、少女は人外としか思えない身体能力を披露し、舞台に降り立つ。
降り立った少女は華麗であった。
観客は単純なもので、剣聖として紹介された少女の異様な身体能力を目にし、盛り上がる。
(美しい)
まだ、年端もいかない少女。
自分の娘と同じくらいの年齢であるはずだが可愛さよりも今日は服装のためか、ジンはそのような感想を抱く。
そして、己が望んだ好敵手であることに歓喜した。
互いに剣を構える。
アリスが持つ剣は新しくなっていた。
細く、緩やかに反っており、刃も片側にしかついていない。
(変わった剣だな)
だが、その剣は間違いなくアリスがガルネリ工房に依頼したものだろう。
なるほど、以前対峙した時よりも幾分か迫力が増しているように感じた。
得物がアリスに馴染んでいるのだろう。
神経を研ぎ澄ます。
集中していくにつれ、歓声は耳に届かなくなる。
やがて、試合開始の合図だけが耳に届く。
『それでは!
試合――開始!』
先に動いたのはジンだった。
タチバナ流の極意は受けであるが、目の前の少女の攻撃は単純に受け流せるものではない!
先手必勝。
少女に向かって、剣を振り下ろした。
「――!」
捉えたはずの姿を見失う。
(《残影》か!)
自身も使えるスキル。
攻撃を回避すると同時に相手の死角に潜り込む技。
背後だ。
剣を振り下ろした勢いそのままに、ステップ。
躱す。
ジンの得意な体勢。
《陽炎》
スキルを用いた一撃。
ジンの目論見通り、アリスは幻視した剣筋を受け止めようとする。
(こんなものか)
戦いに私情は挟まない。
躊躇なく急所となる部分へと剣を突く。
少女の身体を剣が貫くはずだった。
「なにっ!」
驚きと共に、剣に伝わる衝撃。
野生の勘か、剣が達する直前にジンの剣が弾かれた。
重い一撃。
(小さな身体のどこからそれほどの力が!)
驚いている暇はない。
防戦に回れば主導権をアリスに握られると、直感が囁いていた。
だが、ジンの剣術には欠点がある。
タチバナ流は決勝で戦ったザンドロが属するヴァーグナー流のような攻めの技に乏しいのだ。
故にジンが採るべき戦法は攻めながら、己が最も得意とするカウンターの一撃を放つ隙を伺う。
いくら重い一撃がこようと受け流すことは容易。
自身より体格に秀でた者と、ジンは何度も対峙した経験がある。
それに、アリスの剣は未だ剣術と呼ぶ領域にない。
身体能力にものを言わせているだけ。
再び剣を交えても分かる。
甘い。
(俺が嬢ちゃんと同じ能力があれば、すでに三度は致命傷を与えている!)
アリスの攻撃は驚異であるが、ジンの急所を狙う攻撃は一度もきていない。
才能は素晴らしい。
チラリと伺うアリスの表情からは何も読み取れない。
淡々と剣を交えているだけにも見える。
否。
焦りが一切見られない様子は逆に不気味。
そう、ここまでの主導権はジンが握っているはず。
観客から見ても、ジンが一方的に攻めている展開。
(主導権を握っているはずなのに!)
ジンの頬を汗が伝う。
目の前の少女がにやりと笑った気がした。
アリスの雰囲気が変わる。
前に来る。
思考した時にはアリスの姿が目の前にあった。
苦し紛れの剣を振るう。
ぶつかった剣はこれまでとは比べものにならない威力を秘めていた。
「くぅっ!」
宙に浮く。
アリスの一撃を剣で殺しきれなかった。
衝撃そのままに、ジンは吹き飛ばされる。
ありえない。
これまで戦ってきた中で、渾身の一撃を貰い、身体に隙をつくられる場面はあった。
しかし、防御の型を意に介さず、吹き飛ばされるとは!
内心の動揺を隠しつつ素早く体勢を整え次の一撃に備えるが、アリスは追撃してこない。
ジンを吹き飛ばした位置で悠々と立っていた。
なめられている。
普通であれば怒りの感情が湧いてくるべきであるが、何故だか笑いが出てきた。
「いあ、強いとは思っていたが強いな。
想像以上だ。俺には勝てんな」
「なら、降参してくれませんか?
ジンさんが指摘した通り私は人を傷付けることを好みません」
首を傾げながらジンへとアリスは言い放つ。
「それはできない相談だな。なんせ、ここで勝たなきゃお前を弟子にできないからな」
「でも、すでに実力差は理解しているでしょ?」
傲慢な態度にもとれるが、アリスが言っていることは正しく、ジンも歴然たる差があることを理解していた。
だが、ジンは言い放つ。
「降参はしない。勝ちたければ俺に一撃を入れてみることだな」
かかってこいと、安い挑発を行う。
アリスは諦めたように一度大きく息を吐き、剣を構える。
ゆらりと、ジンは剣を構える。
簡単に一撃は入れさせない。
ジンは今更、己が剣聖に対する挑戦者であったことを思い出す。
(俺の全身全霊の一撃、届くか試させてもらうぞ!)
アリスが迷いなく飛び込んでくる。
ジンに一撃を入れんと、決意が籠った瞳だ。
迎え撃つはタチバナ流秘奥義。
《流華閃》
言葉にすれば単純なスキル。
交えた剣を受け流し、その衝撃を殺すことなく相乗し、相手へと返す技。
瞬きする間もない交錯であったはずだ。
ジンにはスローモーションのように感じられた。
剣がぶつかり合う。
荒れ狂う暴風のような一撃だ。
返せるか?
(返せるかではない返す!)
アリスの剣の威力を吸収する。
見事、アリスの一撃を封じ込めカウンタによる一閃を放つ。
「はぁあああああああああ!」
だが、渾身の一撃は空を斬る。
代わりに、腹部に衝撃が走った。
技はアリスを捉えたように思えたが。
視線を下にずらす。
いつの間にか懐に潜り込んだアリスが、ジンの腹へと一突き。
アリスの剣がジンの腹部から引き抜かれるのを他人事のように眺めた。
「……参った」
辛うじて、それだけを声に出しジンは仰向けに倒れた。
◇
(危なかった)
俺は単純にジンの防御を力任せにこじ開け、その隙に後ろに回り込んで意識を奪おうと企んでいた。
しかし、企みは失敗した。
攻撃は受け流され、逆に致命傷となりうる一撃が放たれた。
後退も、横に躱すことも間に合わない。
選択したのは更に加速し、剣が俺に到達する前にジンへと一撃を放つこと。
弾かれた刀を再び振りかざし、間に合うのか?
そんな疑問も頭に浮かんだが、今日初めて振るう刀は俺のイメージする通りの軌跡を、いや、想像したよりも早く描いた。
紙一重、俺の攻撃の方が先に届いた。
ジンは降参を口にすると、俺の目の前で倒れた。
それと同時に耳をつんざくような歓声が沸く。
終わった。
少し、安堵すると共に刀をしまう。
(ってやってしまった!)
動かないジン。
腹部からは血がドクドクと溢れ出し、地面を染めていく。
血の気が引く。
俺は慌ててジンの隣にしゃがみ込むと治癒魔術を発動する。
淡い光が辺りを包むと、俺が貫いた腹部の傷はみるみる修復されていく。
「あとは我々が処置しますので、剣聖殿は皆の歓声に応えてあげてください」
声を掛けられる。
少し遅れて、闘技場で待機していた治癒術師が到着したのだ。
ここは専門家に任せるのがいいだろう。
立ち上がり、場所を譲った。
慣れた手つきで容態を確認すると、ジンは騎士が運んできた担架に乗せられる。
入場してきた門へと消えていった。
顔を起こす。
歓声はやまない。
これが自身に向けられたものというのは不思議な感覚であった。
こういう時にどうすればいいのか俺は知らない。
おずおずと、ぎこちない動きで観客に向かって手を振る。
歓声は一際大きくなる。
いつまで手を振ってればいいのか、このまま俺もこの場から退場していいのか。
そんな疑問を抱き始めた時、今度は入場門から騎士が隊列を組み、規則正しい行進と共に入場してくる。
その中央には国王であるセザール・アルベールがいた。
俺の前まで騎士が着くと、両脇に分かれ、セザールまで一本の道となる。
(前まで来いってことか?)
もう、どうにでもなれという気持ちで騎士が作った道の中を歩く。
やがてセザールの前に辿り着くと、取り敢えず、跪く。
セザールの手によく知る剣が握られていることに気付いた。
そう、以前もセザールの手から下賜され、今は王城に置いてきたはずの剣。
もう分かってはいたが、その剣が剣聖の証である剣だったということだ。
「アリス・サザーランドよ、見事な戦いであった。
改めて其方を第四十二代セザール・アルベールの名に於いて七代目剣聖であることを認め、証である剣を授ける!」
あきらめの境地で、剣を受け取るため腕を掲げる。
しかし、予想した剣の重みは来ず。
「ふはははははは、待ちに待ったぞ!」
知らない声が聞こえた。
高笑いと共に。
驚き、俺は顔を上げる。
剣聖の証である剣は、突如現れた赤髪の青年の手に握られていた。
「貴様は俺様と剣を交えるに相応しい」
青年は不敵な笑みを浮かべ、俺を見つめていた。
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