第六十八話「七代目剣聖」

 五区の闘技場にはアニエスと同じ馬車に乗り込み向かう。

 何故だかアニエスは俺の様子が気になるようで、「動きにくくはないか?」「髪は視界の邪魔にならないか?」「剣の感触はどう?」としきりに尋ねてきた。


(今日はやたらとお節介焼きモードだな……)


 若干ゲンナリしながらも、それ以上にやっと観ることができる剣の戦いに思いを巡らせていた。

 馬車は程なくして目的地の闘技場に着く。

 アニエスが降りると、すぐさま先導係の騎士が前に進み出る。

 続いて降りると多くの騎士が、闘技場の入口まで整然と並んでいた。

 慣れない光景に俺は少し気後れする。


「ほら、アリス行きましょう」


 ぱっとアニエスに手を握られる。

 流石はお姫様といったところ。

 俺と違い、両脇に立つ騎士など街中に生える樹木と同じくらいの感覚なのであろうか。

 普段と変わらぬ様子。

 極力騎士の方には目を向けないようにしながら、アニエスの横に並び闘技場の入口に辿り着いた。

 入口を通り、改めて闘技場の大きさを実感する。

 遠目で見ても大きな建造物であることはわかったが、思っていた以上の規模だ。

 元の世界でいうドーム球場くらいの大きさ。

 今俺達が歩いている廊下が王室専用の通路だからなのかもしれないが、天井には鮮やかな色彩で天井画が描かれている。

 歩きながらも、つい上を見上げてしまう。

 そして先導する騎士は螺旋状の階段を昇っていき、俺達もそれに続く。

 思ったより長い階段だ。


(アニエス姉さんは歩くのが大変そうだ……)


 俺の着ている服は、見た目の華やかさからは想像できないほどに軽く動きやすい。

 一方、アニエスの長いドレスは動きにくく重量もなかなかあるだろう。


(俺だったらこけるな)


 足に服をひっかけて転ぶ未来が見えた。

 アニエスの後ろについている俺は、アニエスが転ばないか内心ヒヤヒヤし、いつでもカバーできるように神経を張り巡らせている。

 そんな心配をよそに、アニエスは一段一段、ゆっくりと階段を昇っていく。


「ふぅ……」


 階段のどのあたりまで昇ってきたか俺にはわからないが、遠目でみた外観から未だ階段の中腹あたりと推測する。

 アニエスが足を止め一息つく。

 後ろを歩いていた俺も一段、階段を昇りアニエスと同じ段に立つと顔を覗き込む。


「アニエス姉さん、大丈夫ですか?」

「どうして私達の観覧席は上なのかしら。寧ろ試合を観戦するのであれば下の席の方がよく見れるじゃない……!」

 

 駄々を捏ねるように不満を漏らす。


「そんなところで観戦すると、護衛が大変なのでは……?」

「ドレスも重いし、どうせ服なんて誰も注目しないのだから制服でいいじゃない」

「どこに目があるかわかりませんし」


 アニエスはげんなりといった表情。

 その様子を見て、俺は一つの案を微笑みながら提案をする。


「では、私がお姫様抱っこで上まで運びましょうか?」

「えっ!?」


 アニエスからは予想外の反応が返ってくる。

 あわあわわといった様子で、顔を赤くすると俺から距離をとろうとする。

 狭い階段の上。

 すぐにアニエスの背後は壁に阻まれた。

 俺は首を傾げ、その行動を疑問に思う。

 当のアニエスもはっと我に返り、コホンと可愛らしい咳払いをすると、普段の振舞に戻る。


「流石に私にも体裁というものがあるし、アリスに抱っこして上まで連れて行ってもらうと足を怪我したのかと思われるわ。気持ちだけでもありがとうね」


 にこりと微笑むと、休憩はもうういのか、先程よりも幾分か早いペースで階段を上へ上へとアニエスは昇り始めた。

 何だか元気になったならいいかと、俺は無言で後に続く。

 結局、前を行くアニエスの顔が赤くなっていることに誰も気付くことはなかった。



 ◇



 ようやく外の光源が見える。

 長い階段を抜けた。

 吹き抜けた風が耳元を通過する。

 心地よい風だと思ったのも束の間。

 すぐ、風と共に会場全体の歓声が耳元に届いた。

 まだ試合も始まっていないのにすごい熱気だ。

 俺達が辿り着いた場所は闘技場の一角、バルコニーのような造りとなっている。

 俺とアニエスは惹かれるように、闘技場全体を見渡せるであろう前の柵へと近づく。

 悲しいことに、俺の背丈はバルコニーの周囲に取り付けられた転落防止用の柵よりも低い。

 柵に近付き、つま先立ちをすることでどうにか外の景色を見ることができた。


「「おおー!」」


 同時に声を上げる。

 元来お祭り好きでもあるアニエスも目を輝かせた。

 闘技場にはどこに目をやっても人で溢れ返っていた。

 俺達のいる位置から人々は豆粒のようにしか見えないが。


「すごい人ですね!」


 俺はつま先だちをやめ、頭をひっこめるとアニエスに話しかけた。


「本当にね」


 闘技場の雰囲気を直に感じる。


「姫様、こちらです」


 続いて、先導してくれた騎士が席まで案内をしてくれた。


「ありがとうございます」


 アニエスはニコリと天使のような笑みを浮かべ、騎士を労う。

 騎士は敬礼を行うと、踵を返していった。

 案内された席にアニエスは腰を下ろす。


「アリスは座らないの?」  


 俺は困惑の表情を浮かべる。   

 案内された席はこの場所においても、最も高価そうな席が置かれていた。

 即ちここは王族が座る場所なのだろう。

 アニエスの隣は間違いなく国王陛下が座る位置と思われた。


「アニエス姉さん、私がこの場所に座ってて大丈夫でしょうか?」

「大丈夫よ。アリスは堂々としてればいいわ」

「ならいいのですが……」


 席に腰を掛ける。

 座るとちょうど真正面に闘技場の中央を見ることができた。

 まさにVIP席。

 一息つくと、俺は周囲を見渡してみる。

 この場所には護衛の為と思われる騎士が既にあちこちに立っていた。

 もちろんそれだけではない。

 俺達が座る場所以外にも席はある。

 すでに着席している人もちらほら。

 着飾った服からもわかるように、相当身分が高い貴族に違いない。

 そんな貴族は俺の方をたまに窺うような視線を向け、隣の席の者と口元が見えぬように会話をしていた。

 推測ではあるが、場違いな俺のことを話題にしているに違いない。

 慣れない環境に少々萎縮してしまうが、それを察してかアニエスが俺に気を掛けしきりに話掛けてくれた。

 時間が流れ、周囲の席も大方埋まったであろうか。

 両脇に騎士を従えながら、国王陛下セザール・アルベールが登場した。

 席に座っていた面々も一斉に起立し、胸元で軽く敬礼を行う。

 俺もそれに従う。

 予想通り、セザールは俺の席の方へと向かってくる。

 そのまま通過し、席に着くかと思っていたが俺の前で立ち止まると一言。


「久しいな。変わりはないか?」

「はい。充実した日々を過ごしております」

「それはなによりだ」


 セザールは笑みを浮かべながら、自身の席――アニエスの横に着席した。

 今更ながら付き従っていた騎士の一人が、俺とも顔見知りである騎士団長エクトル・ベルリオーズであることに気付く。

 向こうもこちらに気付き、軽く会釈をくれ、俺も返す。

 エクトルは昨日の事件に関して奔走しているようで、目下には深い隈が刻まれていた。

 時間があれば後で、昨日の件で分かったことを尋ねてみようと思う。

 さて、セザールが登場したということはいよいよ試合の開始時間が迫ってきたということだろう。

 一先ずは、これから始まる試合を楽しもうと決意する。  


『大変長らくお待たせいたしました! これより、剣舞祭フィナーレ、剣聖との試合を執り行いたいと思います。進行役は私、ディアナ・ダムラウが務めさせて』


 予期したタイミングで、澄んだ女性の声が響き渡る。


『それでは早速、剣聖と対戦する今年度剣舞祭優勝者の入場です。ジン・タチバナ――!』


 爆発したかのような歓声が闘技場で沸く。

 正面右側のゲートから一人の男が現れた。

 ジン・タチバナ。

 俺も知る人物。


(ジンさんが優勝したのか。

 さすが。

 そういえばジンさんが剣聖に勝ったら俺は弟子になるって約束したっけ)


 そんなことを思い出しながらも、ジンに対して俺も惜しみない拍手を送る。

 何気なく隣のアニエスを見ると、何故だが緊張している様子であった。

 声を掛けようかと悩むが、今は止めておくことにした。

 中央にジンが到着すると、歓声が止み進行役の次の声を待つ。


『続きまして、待ちに待った剣聖の登場です。第四十二代目国王、セザール・アルベール陛下より紹介たまわりたいと思います。

 会場の皆さまは上にある貴賓室にご注目下さい』 


 進行役の紹介を受け、セザールは席を立つと闘技場の観客から見えるように柵の近くまで歩み寄る。

 口が開かれる。


『それでは紹介しよう。

 百年ぶりに現れた七代目剣聖を。

 その名を、アリス・サザーランド――!』

「はい?」


 俺の口から漏れた声は、大歓声で打ち消される。


(ドウイウコトダ?)


 俺の聞き間違えか、と首をひねる。

 助けを求めるように隣のアニエスへと視線をやる。

 顔は笑顔、淡々と拍手。


「アニエス姉さん……?」


 ただ視線を絶対にこっちに向けてくれない。

 ちらりと剣聖の名を「アリス・サザーランド」とのたまった本人、セザールへと視線を向けると、いい笑顔でこちらを見ており、「こちらに来るように」と手招きをしている。

 俺はここでようやく図られたことを理解するのであった。

 しかし、突然の出来事に理解が追い付かず、まともな思考ができない。

 促されるまま、席を立つとセザールの横に行く。

 歓声は届くが、柵のおかげで闘技場からは俺の姿は誰にも見えないだろう。


「ふむ」


 俺の姿を捉えたセザールは顎髭に手をやり、一瞬思考すると突然俺の両脇に手をやると、闘技場全体に俺が見えるように持ち上げた。


『アリス・サザーランドである』

 

 俺を視界にやると、沸いていた歓声が一転。

 静寂が訪れた。


(ドウシテコウナッタ)


 その様子を俺は死んだ目で眺めていた。

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