第四十二話「アニエスの壁」


「一組、一組っと」


 学年があがり、普段踏み入れることののない一階の廊下をザンドロは一人歩く。

 もう少しすれば普段の喧噪が廊下にまで漏れ聞こえてくる時間となるが、始業の時間まではもう暫く時間がある。

 学年が違うザンドロが歩いていると目立つし、今は剣舞祭でそこそこ校内で名前が知れ渡っているため、人気のない廊下はありがたかった。


(よくよく考えたらアリスもこんな早い時間には来ていないか……)


 ユリアンに促されるまま、アリスが所属している教室に向かうことにしたが、ザンドロは今更その思考に至る。

 しかし、もうすぐ目的の一年一組。

 ここまできたのだ。

 無駄足になっても確認だけはすることにした。

 すぐに一年一組の教室に着くと、入口の扉から顔を覗かせ中を見る。

 想像した通り、人はまばら。

 残念ながらアリスの特徴である珍しい黒髪を発見することはできなかった。


(出直すか)


 決意し、踵を返そうとしたタイミングで、ザンドロは声を掛けられた。


「私のクラスに何か御用ですか?」


 ザンドロが振り返ると、校内では誰もが着ている指定の制服にもかかわらず、他の生徒と一線を画す凛としたオーラを漂わせた女生徒が立っていた。

 その女生徒は友人のユリアンをして「他人に興味がない」と評されるザンドロでも知っている。


「これは、アニエス様。おはようございます」

 

 胸に手を当て、軽く一礼する。

 敬意を払うべき相手だ。

 王立学校で知らない者はいない。

 この王国の第一王女アニエス・アルベールだ。

 やわらかな笑みを浮かべているアニエスは、凛とした雰囲気を漂わせる反面、どこか親しみやすい雰囲気を合わせもつ。


(なるほどな。たくさんの男子生徒が玉砕するわけだ)


 初めて間近でアニエスと接したが、普段色恋沙汰に興味を示さないザンドロでもアニエスの魅力を理解することはできた。

 一方、アニエスはザンドロの言葉に困った笑みを浮かべていた。


「確かに私は王女という立場ではありますが、学校では一生徒に過ぎません。

 なので様は不要ですよ。

 ええと、確か……ザンドロ先輩」


 頭の隅から思い出しながらも見事ザンドロの名前を言い当てた。

 さすがは王家の血筋と言うべきか。

 きっとザンドロが剣舞祭で有名になったため知っているのではなく、学校中の生徒の顔と名前を把握しているのだろう。


「いえ、流石にこの国の王女様相手に敬称なしで呼ぶのは少し……」


 流石に本人に言われても王女相手に敬称も付けずに呼ぶのは躊躇われ、素直に頷くことはできなかった。

 アニエス本人もザンドロの返しが分かっているようで、苦笑しながらも「一生徒ですからお気になさらず」と繰り返し、本題に話を戻す。


「それでザンドロ先輩。

 こんなに朝早くから、私のクラスに何か?

 誰かお探しですか?」


(そういえば、ユリアンの情報ではアニエス様とアリスは一緒の部屋で暮らしているって言ってたっけ)

 

 アリスもアニエスと一緒に登校していればよかったのだが、アニエスは一人で登校してきたようだ。

 だが、アリスのことを学校内で最も知っている人物が目の前のアニエスであり、聞けばアリスがいつ頃学校に来そうかといった情報は教えてもらえそうであった。

 せっかくの機会なので尋ねてみることにする。


「はい。こちらのクラスにアリス・サザーランドさんが所属していると聞いて訪ねて来たのですが……」


 ザンドロはそこで言葉を区切る。

 特に理由があったわけではない。

 ただ、目の前に立つアニエスの雰囲気がアリスの名前を出した途端に変わったような気がした。

 先程と変わらず、やわらかな笑みを浮かべているアニエスではあったが、何故か周囲の温度が下がったように錯覚する。


「それで、ザンドロ先輩はアリスにどのような用事でしょうか?」


 ニコニコしながらアニエスは尋ねているだけなのだが……、詰問されている、そんな錯覚に囚われる。 


「えと、アリスと話したいことが――」

「駄目です」

「えーと、少し話すだけなんだけどダメかな?」

「駄目です」


 ぴしゃりと有無を言わさぬ様子でアニエスが即座にザンドロの言葉を拒絶する。


「ええと、理由を聞かせてもらっても?」

「竜を撃退したりと、一躍アリスの名前は校内に広まり、その後からアリスに交際を申し込む方も出てきました。

 ザンドロ先輩もそういった用事ですよね?」


 断定する口調でアニエスは続ける。

 後ろにはアリス本人がいるわけではないが、アニエスは両手を広げ通せんぼう。


「アリスはまだ十歳です!

 せめてもう少し大きくなるまで交際はNoです!

 あと、知らない男性が近づくとアリスは怯えるので声を掛けるのもNoです!

 もし、無理やりにでもアリスに近づこうっていうのなら私がもつあらゆるコネというコネを使い、先輩だって容赦はしません」


 アリスのことを話し始めてからというもの、アニエスが先程まで纏っていたはずの凛とした雰囲気は霧散していた。

 威嚇するように唸っているが、どこか可愛らしさが抜けないアニエスであった。

 ザンドロは微笑ましくその姿を見ていた。


(ユリアンは色々推測していたが、二人の関係は難しくない単純なことだったんだな。

 知り合った経緯はわからないが、ただ身寄りのないアリスのお姉ちゃんとしてアニエス様は頑張ってるだけなんだ)

 

 といっても一国の王女様の敵リストに加えられるのも嫌なので交際の意思はない旨と、すでに先日学校をサボっていたアリスと商業区で知り合い顔見知りであることを伝える。


「……そうなのですか?」


 真偽を見極めるように、アニエスはザンドロの瞳をじーっと見つめてくるが、やがて


「嘘は言っていないようですね」


 ザンドロの言葉が真であることを認めてくれた。


「……知り合いであることは認めましょう。

 でも、本当にアリスと付き合いたいという思いはありませんか?」

「うん、そういった思いはないから大丈夫だよ」

「ふーん、まあいいでしょう。

 残念ながらアリスは、その、体調が今日はすぐれないので学校には来ません」

「そう、なのですか」


 アニエスの答えを聞き、残念に思う。

 ザンドロがアリスを訪ねたのはもちろんただ立ち話をしたいわけではなかった。

 すごく真剣に、かつ楽しそうに試合を見ていた姿を思い出し、剣舞祭本戦出場者に渡されている本戦の観戦チケットを渡そうと思っていたのだ。

 そして、明日からザンドロはその本戦に参加するため学校には来ない。

 今日が観戦チケットを渡すラストチャンスだったのだ。


(勝手にアリスの欠席は仮病かと思っていたけど、本当に体がよわいんだな……)


 ザンドロの中では軽快に街中を歩き、目を輝かせながら試合を観戦するアリスの姿が焼き付いていた。


(体が弱くてベッドから出れなくて、余計にああいった剣技に憧れを抱くのかもしれないな。

 剣を普段持ち歩いてるのもそういうことか?

 ……アニエス様の過保護っぷりを見るに、アリスの行動を否定しそうにないしな。

 しかし、困った。

 どうやって渡そうか)


 悩んだ末に、アニエスを通じてアリスに渡してもらうことにした。


「その、アニエス様に頼むのは申し訳ないのですが、これをアリスに渡してもらえないでしょうか?」


 一枚の紙をアニエスに渡す。

 剣舞祭の本戦、全戦を観戦できる王都内ではプレミア価値が付いているチケットだ。


「それと、体調が回復したら是非試合を観に来てほしいとも伝えてもらえないでしょうか?」

「……わかりました。アリスに伝えておきます」


 ザンドロを再び疑う眼差しでアニエスが見つめる。

 これは早く退散したほうがよさそうだと思う、行動するよりも早く、再びアニエスから質問が飛ぶ。


「ザンドロ先輩はアリスのことどう思っているのですか?」


 さて、何と答えるべきかザンドロは悩む。

 あまりアリスを褒め称えると、「やはりアリスと交際目的では?」と疑われる危険がある。

 今でも十分危うい。

 ここは無難な回答を。


「私にもアリスのような妹が欲しかったです」

「でしょ!」


 ザンドロの答えにアニエスは勢いよく喰いつく。

 その後暫く、アリスがいかに可愛いかを始業開始間際まで滔々と説かれた。

 普通であれば一国の王女と上級生が長時間も廊下で話していれば目立ちそうなものだが、廊下を通りがかった生徒は「またか」という生暖かい視線を送ってくるだけであった。

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