第三十五話「裸のつきあい」


 サチに背中を押され浴室へ入り、そのまま暫く歩くと木で作られたバスチェアが置いてあった。


(けっこう広いな)


 王城や寮の多人数が入る浴室と比べると狭いが、個人が使う浴室としては中々の広さを誇っていた。

 バスチェアに辿り着くと、肩をおされる。


「はい、アリスちゃん座って」


 促されるまま、バスチェアに腰を下ろす。


「サチが洗ってあげる!」


 嬉々とした表情を浮かべる。

 自分でやりますと主張したいが、サチの笑顔を見ると何も言えなくなってしまうのであった。

 サチはシャワーのコックへと手を伸ばし、横へと捻る。


(この世界のシャワーってどういう仕組みなんだろうな)


 などと意識を別のことにやっていると。


「いたっ」


 サチが小さなうめき声と共にシャワーヘッドを落とす。

 何事かと思い振り向くと、少し涙目のサチ。

 サチの視線は手に向けられていた。


「診せて」

「あっ」

  

 有無を言わせず、俺はサチの手を引き寄せる。

 サチの白い両手は所々皮が剥け、痛々しく赤くなっていた。

 シャワーの水が手に染み、痛みを伴ったのだろう。


(サチちゃんは今日初めて剣を握ったんだったよな……)


 初日からジンの指導のもと、何度も剣を素振りしていた。

 剣を振るための手になっていない、サチの手が悲鳴を上げるのも当然のことであった。

 

「ア、アリスちゃん?」


 暫くじーっと俺が手を取り見つめていたのに耐えきれなくなり、サチが抗議の声を上げる。

 俺は思い出したように口を開く。 


「癒しの風よ、《治癒ヒール》」


 無詠唱でもいいのだが、本職が治癒術師であるマリヤに言わせると、治癒術は詠唱を敢えて紡ぐことで対象者に安心感を与える効果があるとのことだ。

 それに倣い、俺は略式だが詠唱を行う。

 紡いだ言葉に反応し、優しい光がサチの手を包む。

 治癒術の基礎中の基礎。

 効果は自然治癒を促進する程度のものだが、今のサチにはちょうどよい術であった。


(上位の治癒術で傷を完全に無くしたら、手の皮はいつまでも厚くならないだろうからな……)


 水が染みても痛くならない程度、赤々しくなっていた肌の色味が薄れる辺りで治癒術を止める。


「どう?」


 サチは顕現した光に暫く見惚れていたが、俺の声で我に返る。

 自身の手をグーパーグーパーし感触を確かめ、続いてシャワーの水を当てる。

 先程と違い、もう痛みは伴わないようだ。

 サチは先程のような声を上げることもなく手に水が当たり、流れていくのを見送る。


「痛くない、痛くないよ!」

「効果があったようで良かったです」


 サチは目を丸くして驚き、次の瞬間には喜びを表す。

 表情がころころ変わるサチは見ていて飽きない。

 俺も釣られて自然に笑みが零れる。

 そうすると、またサチが目を丸くし驚きを露わにした。

 驚く理由がわからず、俺が今度は困惑していると、サチは満面の笑みを浮かべながら口を開く。

 

「アリスちゃん、やっと笑ってくれた!」

 

 サチの予想外の言葉に俺は面喰らい、二度三度と目を瞬く。


「そ、そんなに私ぶすーっとしてました?」

「うーん、ぶすっとはしてないけど、淡々としてた?

 最初はサチ嫌われてるのかなと思ったけど、父上が言うには恥ずかしがってるだけって」


 確かにサチの過度なスキンシップに赤面していたのは確かだ。

 それにジンと会話する時などは、昨日の戦闘で素の言動を聞かれてしまうため、今更年相応に見える振舞いをするわけにもいかず、淡々と会話をしていたような気もする。

 傍目からみると愛嬌のない子と見られてもおかしくはない。

 俺としては、そちらの方が自然体であったが、サチに嫌われてるかもという要らぬ心配を掛けていたようだ。


「うっ、そうですね。

 私はあんまり人と話すのが得意じゃなくて、ごめんなさい」

「そうなの?

 ならサチと一緒だね!」

「え、サチちゃんも何ですか?」

「ムー、信じてないな。

 サチもあんまり人と話すの得意じゃないよ」


 俄かに信じられない。

 昨日出会ったばかりにも拘らず、俺へと物理的にも猛アタックをサチは仕掛けてきた。

 

「サチの近所ってお金持ちの貴族様ばかりなの」

「そうでしょうね……」


 来る時に見た周囲の家の外観を思い浮かべる。

 

「近所のお茶会とかに呼ばれることがあるんだけど、毎回サチは隅の方で大人しく座ってるのよ……。

 だって話す内容が、服が素敵とか、その装飾品が素敵とか、サチにはちっともよくわからないもの」


 溜息交じりにサチは俯く。

 あまり楽しい記憶ではないようだ。


「でも、サチちゃんは私を一目見た瞬間抱き着いてきましたよね?」


 サチの反応から、人付き合いが苦手というよりは、貴族との会話が合わないだけと推測できた。

 ただ、俺との邂逅に関していえば会話を交えることもなく、一方的にサチはこちらに好意を寄せてきた。


「それはね!

 何でか分からないけど、サチ、アリスちゃんの顔を見た瞬間こうビビビっと来たの!

 仲良くなりたい!って」

「そ、そうなんだ」

「また照れてる」


 うりうりとからかうように、サチは俺のほっぺをツンツンしてきた。


「せっかくの可愛い顔なんだから、アリスちゃんはもっとニコニコすべきだよ!

 ぶすーっとしてたら父上みたいに目がいっつもこんな吊り上がった顔になっちゃうよ!」


 サチは自身の目を指で上へと押しやりながら、俺へとその顔を見せる。

 本人は至って真面目に訴えているようであるが、見せられた顔は変顔。

 その顔を見て俺は堪らず噴き出した。

 なぜ俺が笑うのかサチはあれ? という表情を見せたが、俺に釣られサチも笑いはじめる。

 二人の笑い声が暫く浴室にこだました。

 その後、落ち着いた二人はやっとこさ身体を洗い、湯舟に身体を浸ける。

 短期間でもあるにもかかわらず、サチの人徳か、俺も自然な笑みが零れるようになった。 


「ねえ、アリスちゃん」

「何?」

「さっき、手を治してくれてありがとう」

「うん。どういたしまして」

「あれって治癒術だよね?」

「そう、治癒術」

「昼も道場でぶわーってやってのは魔術?」

「うん、魔術」


 俺の回答にほえーっとサチは声を漏らす。


「アリスちゃん、私より小さいのに色々できるのね!

 そういえば腰には剣を持ってたけど、剣もできるの?」


 目をキラキラ輝かせながらサチは問うてくる。

 この回答に少し逡巡する。

 剣の教えは受けていない。

 剣の教えを受けてはいないが、ステータスに身を任せた力任せな剣を俺は振るうことはできる。

 ただ、そのような回答をすることはできない。

 考えた末に口を開く。


「いえ、剣は単なる見せかけですよ。

 いざという時の為、おどしです」

「そうなんだー。

 なら私と一緒に父上と剣を教えてもらいましょう!」

「それは――」

「うん、それがいいよ!

 父上も剣は素人が握っちゃいけない!って口癖のように言ってるもの。

 何も知らないまま剣を持ってるのは危ないわ!」


 すでにジンから誘いを受けており断っていることは言えなかった。

 何故断ったのか追及されても、どっちにせよ墓穴を掘ることになりそうだが。

 憶測ではあるが、サチの反応からして、一緒に剣を学ぶという光景に憧れている様子である。

 なのでここはサチが納得いく答えを返すのが正解だろう。 


「そうですね。機会があればお願いしてみます」

「うん、そうしよう!」


 裸の付き合いで、サチとは随分距離を縮められたような気がした。

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