第四十四話「仲直り」
迷宮を脱した俺は久しぶりに寮へと戻ってきた。
可及的速やかに、アズ・スーン・アズ・ポシブルである。
急ぎ戻ってきたが、迷宮から地上に戻った時にはすでに夜。
寮まで戻ってきた現在、夜もだいぶ更けていた。
今日は遅いし、アニエスに謝るのは明日にしようと心に決める。
だがせっかくなので懐かしいアニエスの寝顔でも拝ませてもらおうと、こっそり窓から覗き見ることにした。
最近頻繁に使う名前もない魔術。
空中に不可視の階段を創り、一歩一歩跳ねるように昇りアニエスの部屋がある三階へ。
窓の端からこっそりと中を覗き見る。
目を閉じ、祈りを捧げている少女がいた。
アニエスだ。
月光に照らされた髪は幻想的に闇に浮いており、一枚の絵画のようだ。
何を祈っているのかわからないが、強く目を瞑り必死に祈りを捧げていた。
俺はその姿に息を呑み見惚れてしまう。
ふと、閉じていた目が開かれる。
ばっちり目が合った。
硬直。
予定外の出来事。
どうするのが正解か思考を巡らす。
一瞬の間、導き出された答えは。
「こ、こんばんは」
考えた挙句にこれか! と俺は自身の対応力のなさに失望しながらも、ぎこちない笑みを浮かべつつアニエスに声を掛けた。
硬直していたアニエスは――
「アリス!」
「っいた!」
閉じていた窓を開け放ち、俺のおでこに激突。
少し涙目になりながらおでこを押さえ再びアニエスに目をやると。
空中に身を投げ出し、アニエスが飛び込んできた。
「ッ! 危ない!」
慌ててアニエスを抱き留める。
ここは三階、何を思って飛び込んだのか抱き留めなければ落下し大怪我をしていた。
胸に抱き着いてきたアニエスは泣いていた。
「ひっぐ、アリスよかったよぉッ。
迷宮で行方不明って聞いてッ……!」
今更俺はどうしてアニエスが祈っていたのかを理解した。
「アニエス姉さん、心配かけました」
「そうよ! 心配したんだからッ。
部屋の荷物もなくなって、帰ってこないし!」
「うん、ごめんなさい」
「勝手にいなくならないでよねッ。
もう会えないかと……、私が一方的に、あやまらなきゃって、なのに」
「ごめんなさい」
俺はただただ謝る。
ぎゅっとアニエスが俺を抱く腕に力がこもる。
アニエスが泣き止むまで月あかりの下、抱きしめ続けた。
泣き止んだアニエスに促され、今夜は久しぶりに一緒に寝ることにした。
二人枕を並べる。
最初はドギマキしていた状況だが、今の俺には居心地よく安心できた。
顔を向き合わせ会話する。
「アリス、髪きっちゃったの?」
アニエスは俺の短くなったか髪を手にしながら残念そうに。
「うっ、勝手にきっちゃってごめんなさい」
アニエスが俺の長い髪を切ることに断固として反対していたことに思い出す。
少しずるいが俺は矛先をかえようと次の言葉を発する。
上目遣いに。
「……にあってません?」
「うんうん。長い髪も素敵だけど、今のアリスも素敵よ」
にっこりとアニエスは微笑む。
「私もアリスにあわせて切ってみようかな?」
金色の美しい髪を手にしながらアニエスは告げる。
俺は慌てて止める。
「だ、駄目です。アニエス姉さんの髪は!」
「ふふふ、ありがとう。
でもアリスの髪とお揃いはしばらくできないの残念だなー」
「……またすぐ伸びますから。その時はお願いします」
「うん、任せて!」
その答えに上機嫌に頷くアニエスであった。
俺は今のアニエスなら大丈夫だろうと考え、ずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「アニエス姉さん、一つ聞きたかったことが」
「ん、なに?」
「どうして私を避けていたんですか?」
そう、気のせいでもなく再会する前のアニエスは俺を頑なに避けていた。
怒っているのか嫌われているのかわからなかったが、再会したアニエスの様子からはどちらともとれず、俺はますます訳が分からなくなった。
もう直接尋ねてみるしか答えは分からない。
「そ、それは……」
「それは?」
「秘密よ! き、今日は遅いから寝るわよ。
明日は学校に行くんだから!
おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
ぷいっと俺とは反対方向をむいてしまう。
結局俺はアニエスがなぜ自分を避けていたのかわからないままであったが、またこうして隣にいれるならいいかと納得し、眠気に身を委ねる。
暗がりの中、アニエスの顔が真っ赤になっていることに俺が気付くことはなかった。
夜が更けていく。
◇
朝、日常が戻ってきた。
俺にとってはどこか非現実的ないまの日常。
アニエスに連れられ、久しぶりの学校に向かう。
腰には、今は青を宿した剣を吊るしている。
本当は収納ボックスに仕舞いたかったが、青が宿っているためか収納することができなかった。
部屋に放置するわけにもいかず、持っていくしかない。
ただ、どうやら下賜された剣は相当名のある剣と予想できた。
これ以上騒ぎを起こしたくない俺は平凡な剣の形に魔術で偽装し、持ち歩くことにした。
青にとっては初めての外の世界。
昨日から静かに外の空気を満喫しているようだ。
なんて思考をしていると青の声が脳内に響く。
『アリスのおかげで外の世界を歩いてる。
夢みたいだ』
「どういたしまして」
青の言葉に俺は簡潔に返す。
『ねえ、アリスは神についてどう思う?』
唐突な青の質問にきょとんとする。
青の言葉に夢の中に出てきた神様の姿を思い出す。
あれが本当に神様なのか、ただの妄想かは定かでないが俺はなんとなく本物の神様であると判断していた。
「そうだな。
よくわからないけど、神様を名乗る割にはどじで、どっか抜けてて、それでも世界のことを心配している。
そんな存在なんじゃないの?」
『これは君より永く生きた僕の、神に迫害された竜のただの恨み言でもある。
聞き流してもらって構わない。
けど忠告しておく』
青ははき捨てるように言葉を続ける。
『神に慈愛の心などない。
断言する。
ただ造った箱庭で僕たちが何をしようとするのか楽しんでいるだけ。
それが滅びに向かおうとも神が楽しめればそれで満足する。
手など差し伸べない。
やることは引っ掻き回すことだけだ。
より自分が楽しめるようにね』
俺はこの時、青の言葉を理解することはできなかった。
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