第77話

 何があったか訊くということは、大和は例の件については知らないということだ。


――キョウスケから聞いてないんだ……。


 結子は、自分は早々に明日香に話をしてしまったことをちょっと後悔したが、


――でも、向こうには聞く権利があったわけだから。


 とすぐに思い直した。明日香には協力を頼んだ手前、報告の義務がある。大和には無い。なので、


「喧嘩したのか? どっちが悪いんだ?」


 続けて訊いてきた彼に、結子は、


「その話はおしまいにして」


 言った。


 大和はねばりを見せた。「どっちが悪いかだけ聞いたらおしまいにする」


「じゃあ、キョウスケ」


「マジか?」


「マジだったら?」


「キョウスケに謝るように言うさ」


 その声に漂う真剣な雰囲気に、結子はため息をついた。


「もしかしたら悪いのはわたしかもしれない。でも、それを認められないの。認められないってことの意味分かる? 認めたくないんじゃないのよ」


「意味分からん」


 大和は首をひねった。


「でしょうね」


「何でもいいからとにかく仲直りしろよ」


「できるもんならやってるわよ」


「キョウスケが可哀想だろ」


「男の友情だね」


「なんかオレにできることは?」


「あるよ」


「なに?」


「お皿とお箸をテーブルに並べて」


 大和は肩をすくめるようにすると、分かったよ、と答えた。


 大和にできることは無いし、仮にあったとしてもしてもらうことなどできない。


 そのうちに遊びから帰って来たお気楽な弟と、仕事から帰って来たお疲れさまの父を迎えて、夕飯の席となった。


 弟と父は、大和が来るとなぜかテンションがアップする。


 その上がったテンションに駆り立てられるままに、


「泊まっていきなよ、大和兄ちゃん」


 弟がハンバーグを食べながら言うと、父も、「夏休みだしなあ」とビールを飲みながら同意した。


 すかさず、結子は、声を上げた。


「ちょっと! 二人とも! 年頃の女の子がいる家に、年頃の男の子を泊めるってどういうの!」


 それを聞いていた大和は悟りを開いたかのような静穏な顔で、


「安心しろ、お前を襲ったりしないからさ、ユイコ。もしそんなことをしたら、舌をかみきって死ぬよ」


 言った。


「どういうことよ! とにかく絶対ダメ!」


 男二人は、承服しかねるという顔である。


「大和兄ちゃんとゲームしたいなあ」


 と弟が言えば、


「久しぶりに大和君と一局指したいんだよなあ」


 父が続く。


「ゲームならお姉ちゃんがやってあげるから。あと、将棋じゃなくて、オセロだったら相手してあげるから、お父さん」


 優しくて愛らしい姉かつ娘よりも、隣家の少年に未練がましい視線を向ける二人の男どもから、結子は母に目を向けた。ここは女同士、彼女に味方してもらうしかない。


「うん、うん、マユっち。大和くん、今日はうちに泊めるから」


 しかし、その母までもが敵であった。携帯を取り出して、なにやら電話をしている。


 もうダメだこの人たちは、と思った結子は、


「ちょっと、ヤマト!」


 幼なじみの良識にかけることにした。


「うん?」


 大和は、ハンバーグをもぐもぐごくんとやったあとに、反応した。


「アスカに悪いと思わないの?」


「そりゃ思うよ」


「だったら!」


「でも、それはそれ、これはこれだ」


「意味が分からない」


「ユイコはバカだからなあ」


「しみじみ言うな! そして、失礼なこと言うな! 殴るよ!」


「殴られたってオレは止まらないぜ」


「無駄にカッコイイことを」


「オレ自身がカッコイイからなあ。何を言ってもカッコイイんだな」


 何を言ってもムダだと思った結子は、争う気力を無くした。


 なんとなくではあるが、大和の気持ちは理解できる。


 それはもしも大和が同じ状態だったら、結子も同じことをするはずだというそのことである。


 そうして、そのとき、


――ああ、こういうことなのか……。


 と腑に落ちたことがあった。


 このクサレ縁が永久に切れないものなのだと、切ろうとしても切れるものではないのだということを結子は認めた。それもそのはずで、結子は、切ろうとするどころか、自分からその縁を結ぼうとしていたのである。そりゃ切れるはずがない、と結子は思った。


 明日香ともめたときに、大和との間に魂の絆なんてものは結ばれていない、と言ったわけだけれど、それは改める必要があるかもしれない、と結子は思った。魂が結ばれているか何が結ばれているかは分からないが、確かに何らかのつながりがあるわけで、そうして、そのつながりに、明日香と恭介を巻きこんでいるのだと思えば、それが明日香の件と恭介の件の真相であると考えれば、考えて今さらそれが分かったのかと思えば、結子は、ため息をつくしかなかった。


「おいおい、冗談だよ、ちゃんと帰るからさ」


 結子のため息を誤解した大和が言う。


 帰ると聞いて、一瞬ハッとした結子は、そんな自分自身を深く恥じ入るだけの気持ちを持っていることに、ホッと吐息をついた。

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