第76話
翌日の月曜日は終業式だった。
月曜に終業式があるということの意味が全く分からない
昨日別れてから
式だけで一日終了。お昼は食べないで帰ることができる。
帰りの時に、校門前とか、生徒用玄関前とか、教室前とかで、恭介が待ち構えているかもしれない、と思ったけれど、予想に反して彼は来なかった。
会わなくて良くてホッとした反面、顔が見れなくてがっかりという気持ちがあり、さらに、「怒っているんだろうなあ」と思うと、何だろうか、胸が痛くなった。その胸の鈍痛に押される格好でこちらから恭介に謝りに行けたら、そういう風にして可愛い女の子を演じられたらどんなにか楽なことだろう、と結子は思った。
しかし、どうやらそのようなことをするには、結子は少し人生を誠実にとらえ過ぎているようだった。誠実なことは良いことだが――なにせ悪い誠実ということの意味が分からない――誠実すぎることは良くないだろう。何事も、過ぎたるはなお及ばざるがごとしである。
「ちょうどいい感じで生きなさい」
とは誰の言葉だったか。母か父か、どっかのエライ人か。とはいえ、「生きているということ」と「その人が生きている」ということが分けられないものである以上、そんな命令は無意味である。結子は結子らしく生きるしかなく、そうして、結子のする行為はすべからく結子らしいと言うべきだろう。
そんなことまで結子は考えたわけではなかったが、とにもかくにも、こちらから恭介に譲歩する筋のことではないという頭はあった。
家に帰ったその日の午後、何もすることの無い結子は、仕方なく勉強をして時を費やした。一応は、母との約束も履行しなければならない。
――これから夏休みかー……。
窓の外から見える景色がうす暗くなって来た頃、結子は部屋の中で、ごろん、とラグの上に横になった。
二日後から早速、夏期講習が始まるわけで、勉強によって恭介への鬱屈した気持ちを紛らわすことは、しかし、彼と同じ塾だからできないのだということに気がついて、更に気が重くなった。塾内で恭介の顔を見たりしたら、見なくてもいつ見るかしれないと思えば、気を紛らわすどころではない。
――紛らわす……?
結子は自分の心の動き方に弱気を見て、ぞっとした。紛らわしていいような気持ちではない。全体、紛らわしてどうなるというのか。どうにもなりはしない。そもそも、自分の気持ちから目をそらすような貧弱な心のありようは、結子の嫌うところだった。だったはずだった。
「ひどい顔してるぞ、お前」
夕食の準備をしているときに鳴ったピンポンに応えると、玄関先での、来客の開口一番である。
「ほっとけ」
何しに来たのかと、結子は尋ねた。
「別に何をどうってわけでもないけど。ただ来ただけだ」
「ただ来ないでよ。プリンは?」
「『ブルーム』の豆乳プリンがある」
そう言って、大和は、手に下げていたプラスチックの白い箱をゆっくりと掲げてみせた。
結子は、入室を許可した。
「いらっしゃい、ヤマトくん」
リビングにいた母が言う。
「お夕飯、食べていきなさい。今、ユイコが作ってるから」
そのつもりです、と大和は厚かましいことを答えた。
「大根おろして」
結子は、大和をキッチンの隣につかせた。
「そうしてると、仲のいい夫婦みたいねえ」
母がここぞとばかりに冗談を飛ばす。
恭介というカレシがいることを知っているにも関わらずのそのつまらないジョークに、結子は、大人の自由自在さを見た。結子もそのうち、そうやってデリカシーというものを無くしていくのだろうかと思えば、
「大人になるって悲しいことだね」
言うと、
「ユイちゃん、それ、ママに失礼じゃない? ねえ、大和くん」
母が大和に助けを求めた。
「はい、そう思います」
母に同意する大和に、結子は、手止まってるよ、とキツい声を出した。
今日のメニューはハンバーグだった。それを大根おろしと青じそソースで食べる。
「それで?」
大和が、大根をしゃしゃしゃっとおろしながら言った。
「それでって?」
「キョウスケと何かあったのか?」
大和の声は、世間話をするような気安さである。
「別に何もないよ」
それに答えた結子の声は少し震えたようだった。
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