第50話

 結子は家への帰り道、つらつらと考えていた。恭介のことをどう思っているのか、改めて考え直してみたのである。さっきは、明日香の前だったので、照れがあったのではないだろうか。思っていることを素直に言わないで、心の奥深くに隠しておいた気持ちがあったのではなかろうか。


 しかし、どうやら、そういうこともないらしいということに、家について夕食を取ってリラックスして眠りにつく頃になって、結子は気がついた。心の洞窟の中を探してみたけれど、隠された財宝などは見つからなかった。恭介のことは好きだけれど、明日香に向かって言ったこと以上の「好き」は出てこない。明日香が大和に向ける、ちょっと狂気をはらんだ一直線な気持ちのような特別な色合いが結子の「好き」には無いようである。つまり、普通に好き。


「ユイコはオレのこと、どう思ってる?」


 ベッドの中に入って天井を見ていると、恭介の顔が浮かんできた。今朝、公園で彼が質問したとき、どういう気持ちだったのか、分かる気がした。自分が相手に寄せている気持ちの方が、相手が自分に寄せる気持ちよりも大きいように思われて、その不均衡が恭介は不安だったのではないだろうか。そんな不安を抱えて、これまでよく五か月も付き合ってくれたものである。家に来てくれないわけだ。


 結子は、ベッドの上で煩悶した。恭介の気持ちに対して、いったい何を返すことができるのだろうか。何かを返したいのだけれど、では何を?


「何かを返してもらいたいなんて思ってないよ」


 と呆れたように恭介は笑うかもしれない。しかし、これは結子の問題なのである。実に五か月の間、寄せてくれていた気持ちに対して何かお礼をしたい。何をしてあげれば、恭介は喜ぶだろうか。考えているうちに眠くなってきた結子は、眠る前に、恭介に向かってメールを打った。


「明日は別々に登校しましょう」


 この件に何らかの光が見えるまでは、会わせる顔が無い。すぐにきた返信には、「分かりました」とだけあった。その素っ気なさは信頼の証である。結子は胸温まるものを感じながらも、ちょっとは心配してくれてもいいんじゃないかなあ、と自分勝手全開なことを考えながら、眠りについた。


 翌朝、結子は大和と一緒に登校することにした。昨日のことで、大和が被害を受けたか知りたかったからである。


「アスカちゃんに責められなかった?」


 青々とした空から容赦ない光が降る通学路を歩きながら、結子が訊くと、


「責められる?」


 不得要領な顔で大和が答える。


「なんだよ責められるって。電話で話したけど、別に普通だったぞ」


 結子は意外な思いがした。死んでほしいほど嫌いな人間を送り込まれた明日香が、送りこんできた大和に向かって携帯電話越しに金切り声を上げるシーンを想像していたのだが、そんなことにはならなかったらしい。


「ていうか、ちょっと機嫌良かった」


 大和が更に意外なことを言った。


 他人の不幸は蜜の味という。


――わたしの不幸を食べて気分が良くなったのかな。


 と、結子が意地悪いことを考えていると、


「友達と寄り道できたのが嬉しかったみたいだ」


 と大和。


「いやいや、それはないから、絶対」


 結子はやれやれと首を横に振った。男子というのは本当におめでたい。明日香は結子のことを完全に敵視しているのである。友達だなんて思っているハズが無い。


 そうかなあ、と納得いかないような顔をしている大和に、結子は、


「一つ訊いていい、ヤマト」


 改まった声を出した。


「なんだよ?」


 顔を向けてきた大和に対して、結子は、彼が明日香に対して抱いている気持ちを訊いてみた。


「なんだよそれ、突然」


「いいから。大事なことなの」


 それ以上訊き返したりしてこないところが大和のいい所である。大和は少し考えたあと、


「笑ってもらいたい」


 と静かに言った。


「はあ?」


 訊き返す結子に、大和はニヤリとして、


「アスカってさ、いっつもこんな顔してるけどさあ」


 そう言って自分の眉を指で吊り上げてみせてから、


「たまに笑うときがあると、すごく可愛いんだよなあ。だから、あいつにはできるだけ笑ってもらいたいと思ってる。それがアスカに対して持ってる気持ちだな」


 続けて、うんうんとひとりでうなずいている。


 聞いていた結子は軽く気持ち悪くなってきた。何を夢見る乙女のようなことを言っているのだろうか、この男は。しかし、一方で、それはいかにも大和らしい答えだとも思った。そういう能天気な答えが、彼の陽気な性格には合っている気がした。


「ふーん。でも、その割には、わたしに謝らないと別れるとか、ひどいこと言ったんでしょ?」


 結子がちくりとこの前のことを持ち出したが、大和は平然とした顔で、


「笑わせたいっていうのは、ご機嫌取ることとは違う。言うことは言うよ」


 言ってのけた。これには結子も素直に感心した。


「わたしとカエルを捕ってたあの頃のヤマトくんはどこに行っちゃったの?」


「まだここにいるよ。この前、見つけたからさあ、捕まえてそのとき一緒にいたアスカに見せたら、あいつ、チョー引いてた」


 大和は大和でちゃんと考えて明日香と付き合っているということが分かり、結子は、もしかしたら大和も特別な気持ちなく明日香と付き合っているのではないかと思って訊いてみたわけだったので、ちょっとがっかりするものを覚えつつ、妙にホッとする気持ちもあった。

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