第46話

 声をかけてきたのは大和ヤマトである。


 こちらを窺う彼の目には心配そうな色がありありと見えて、結子ユイコはちょっとだけ気分が良くなった。


「実は不治の病に侵されてることが分かったの」


 結子は、ふう、と重苦しいため息をついた。


 大和は、真面目な顔になって言った。


「ユイコ、世の中には言っていい冗談と悪い冗談があるんだぞ」


「確かに冗談だけど、でもそうとも言い切れないところがあるの」


 そう結子が言うと、大和は気色ばんだ。


「どういうことだよ? ホントに病気なのか?」


「うん、恋の病という治らない病気にね……あれ、ちょっと、どこ行くの?」


 背を見せた大和に声をかけると、カノジョのところだという答えが返って来た。


「お前、全然大丈夫そうだし」


「見た目はね。でも心の中は結構傷ついてる」


「何か手伝えることは?」


 結子は首を横に振った。


 誰をおいても大和にだけは相談するわけにはいかない。


「じゃあ、アスカのとこに行ってくるよ」


「夕飯までには帰って来るのよ」


「分かったよ、お袋」


 大和が去って、がやがやとした教室の中でひとり、結子は思いを巡らせた。早急に頼れる人を見つけなければならない。あらかた知り合いの子の顔を思い浮かべて、それにバツをつけていった結子は、こういうことはもっと大人の人の方がいいのだろうか、ということに思い至った。そうして、すぐに思い当たった大人の相談相手は、母か、大和ママか、後はたまに行くカフェの女性オーナーだった。


 どの人もピンと来ない。母はあんまり相談ごとには向かないし、大和ママは逆に親身になり過ぎてくれて恭介を一方的に悪者にしてしまう可能性がある。カフェの女性オーナーの林さんのとこに行くには、安くないコーヒー代が必要である。いっそ保健室の先生にでも相談してみようかと考えてみたが、学校内でするには気が進まない話であり、結子は八方を塞がれた思いがした。


――こんなときに、ヤマトときたら!


 結子は、クサレ縁の男の子に心の中で悪態をついた。ただの八つ当たりである。


――何が、アスカのとこに行ってくる、よ。こっちは行きたくてもキョウスケのとこに行けないのにさ。ああ、イライラする。


 今頃きっと、大和と明日香は校舎の屋上あたりでふたり寝そべって、青空を見つめながら将来の夢でも語り合っているに違いない。熱射病にでもなればいいのに! と結子が思ったところで、まるで青天の霹靂へきれきのように突如閃いた考えがある。ハッとした結子は、しかし、その考えをしばらく吟味することにした。思いついたことをすぐに実行して、この前は失敗した。「カレシにお父さんを会わせちゃおう大作戦」のことである。それは今回の件の直接の原因では無いにしても、恭介の意に添わなかったことは確か。


 反省した結子は、じっくりと五分間、考えてみた。今思いついたことのメリット、デメリットを慎重に衡量する。そうして、メリットは、「他の誰からよりも有益なアドバイスを受けられる可能性」であり、デメリットは、「恭介とのことについてのプライバシーを知られること、および相談に行っても冷たくあしらわれるだけかもしれないこと」であるという結論を得た。


 結子は行動することに決めた。メリットの方が大きいように思えたのである。もっとも、メリットとデメリットの評価については、結子の心ひとつの問題であるから、とすれば、この利益衡量は初めからメリットの方に軍配が上がることが決まっている出来レースだったのではないかという批判もあることだろう。しかし、結子は気にしない。些細なことは気にしない大らかさこそ淑女にふさわしい。


「屋上デートはどうだった?」


 昼休み終わりの数分前に帰って来た大和が席につくと、結子は立ち上がって彼のもとに向かい、微笑みかけた。やたらと愛想の良いクサレ縁少女の様子に、大和は警戒の色を浮かべながらも、屋上になんか行ってないと答えた。


「どうして?」


「どうしてって……屋上には出られないこと知ってるだろ。鍵がかかってる」


「そうだったっけ。何でなんだろうね?」


「さあ。もしものことがあったらマズイからじゃないのか」


「なるほど。で、ものは相談なんだけどさあ」


「『で』ってなんだよ」


「『で』は『で』よ。『づ』の次にある字」


「面白いよ」


「でしょ。ひとつ訊きたいことがあるのよ。答えてくれる? ただし、何も訊き返さずにね」


 大和は考える素振りを見せたが、大事なことなのよ、と勢い込むと、とにかく言ってみろ、というように手を向けてきた。


 結子は言った。


「いつもアスカちゃんと学校から帰るとき、どこで待ち合わせてるの?」

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