キティ編

仔猫遊戯 前編

 ねえ神様。どうして獣は人に恋をしてはいけないのですか? わたくし達の世界が分かたれていると言うのなら、どうして交わす言葉が、交わる身体があるのですか? 捕食と被食の関係性なら、どうして姿を似せたのですか?


 こんな世界、間違っていますよね。わたくし知っているんですのよ。愛も正義も信頼も。それ単体に意味はない。所詮世界は弱肉強食です。力があるものが勝ち、力のないものが負ける。


 我が君。愛おしい人。わたくしのたった一つの世界。


 あなたを手に入れられない世界なら、すべて滅ぼして差し上げましょう。


 人が獣を愛玩するように、あなたを一生閉じ込めて飼い殺してあげましょう。


 あなたが呪詛を吐くその口をわたくしの口で塞ぎ、あなたの欲のすべてをわたくしの中で受け止めてあげる。


 わたくしのあなたへの情は、海より深く山より高く、空を覆い尽くし星々を飲み込み、太陽に弓引いてもまだ足りない。


 かくも邪悪なる獣の情欲かな。

 でもね? わたくしはただ、あなたを一生懸命愛しているだけなのですよ。






 もし、神様。あるいは神罰を下すこともできない無能なただの偶像様。懺悔ではありませんよ。どうかそこで黙ってわたくしのつぶやきを聞いてくださいませ。わたくし今日はとても機嫌がいいの。最愛のお方を檻に閉じ込めた記念日ですから。


 今はまだ機会を窺っている最中ですの。だってカタルシスを得られるのは一度きりでしょう? 遅過ぎても駄目。早すぎても駄目。うふふ。わたくし演出には力を惜しまないつもりです。




 さあさあ皆様、お耳を拝借! 聞いてくださいませ、嗤ってくださいませ!

 かつては見世物小屋の虎! 史上最低、邪知暴虐の雌猫! 我が君、我がただ一人の主、イライアスに絶対の愛を誓う狂信者! それがわたくし、バスティトー!


 キティ、キティ? 愛おしいあなた、その名は所詮偽りですよ。あなたが気に入っているみたいだから、わたくしもそれでいいわ。わたくしはキティ。あなたにとっては可愛い仔猫ちゃん。でもね、我慢できなくなったら牙を剥きますよ。肉食獣の怖さ、教えてあげましょう。


 無知な我が君。可愛らしいお方。わたくしが夢の中でどれほどあなたを犯して汚して陵辱し尽くしたのか、あなたはちっとも知らないまま。でもそれもその内覚え込ませてあげましょう。あの人のすべてはわたくしのもの。わたくしの思うまま。




 まあ、こう述べてはみましたけど、客観的に見て言い訳のしようもない極悪人と言うだけでして、わたくし本人は自分のことも自分のしたことも、悪いなんてこれっぽっちも思っていませんけどね。

 恋に狂っただけですよ。今も、昔も、これからも。


 それでも地獄行きを免れる気もなくってよ。たかが少し苦痛を味わい拷問される程度でしょう? 我が君と共にあるのなら灼熱は穏やかな火、寒風はさわやかな風、千の剣は身体を撫でる布。環境なんてどうでもいいのです。わたくしならいくらでもそれらを変えていけるのですから。




 バスティトーは今や神のごとし。怖いものなんて何もありません。愛しいお方が我が手にある限り、この身は誰より万能です。


 けれど、昔のことは思い出したくありません。不快な記憶と言うよりも、興味がないのです。死ぬほどつまらないの。我が君が語れというのなら事細かに物語を紡ぎますけど……なんだったかしらね。


 そう、では生い立ちから思い出して参りましょうか?

 わたくしの母親は、そうですね。前の王様の、大勢の愛人の一人でした。だけどね、ちょっと贔屓され過ぎたの。身分がそこまででもないくせにご寵愛を一身に受けて、散々ねたまれて、いびり殺された無能。それがわたくしのお母様でございます。ま、救いようのない脳足りんとは言え、わたくしをちゃんと産んだことと、わたくしに美しい容姿を授けたことだけは、褒めてつかわしてもよろしいのではなくって?


 父の方ですか? 人としてはそれなりに優れていたのかもしれませんが、為政者としては及第点以下だったのではと評せずにいられません。正妻の王妃に見限られたせいで毒を盛られて死んでいるんですもの。もう少し器用に、せめてあのババアを愛するふりだけでもできなかったのかと思います。

 祖父母? さあ。覚えていませんね。勝手にどこかでくたばっていたんじゃないですか。いても毒にも薬にもならなかった存在に何も求めません。


 おわかりいただけまして? わたくしが幼い頃に、両親は醜い嫉妬と謀略によって亡き者にされてしまったのです。ああ、何て可哀想な仔猫ちゃん! 不遇な姫君を一体どなたが助けてくれたでしょう? わたくしは一身に、王妃様の怒りを受けるしかなかったのです。これは性格がゆがんでも仕方ない――。


 と、わたくしに逃げ道と同情をくださいますか? 無用ですよ。わたくしはたとえすべてに恵まれ幸福な家庭にあった所でわたくしでございました。

 何に対しても熱中できないんですの。そこまで心を動かされない。あの方にお会いするときまで、わたくしは感情というものを知りませんでした。人が一生懸命語ること、人が互いにしていることを見て、そんなものなのか、と把握はしておりましたが、自分の心が震わせられることなぞついぞなかったのです。


 寂しい人間ですか? そうなのかもしれませんね。けれど今は知りました。あなた方が何に希望を抱き、何に絶望するのか?


 イライアス。愛している。あなたがわたくしを目覚めさせた。責任は取ってもらいます。壊れた所であなたはわたくしのもの。




 続けましょう。

 残ったわたくしはそのまま殺されるかと思いきや、人間達に売り飛ばされるにとどまったのですけどね。わたくしはこの世界の何にも興味は得られませんでしたし、まともに皆様の相手をするのも嫌でした。だから幼児性を生かして白痴のように振る舞っていたんです。それで王妃はわたくしを脅威ではないと判断し、また彼女らしい復讐方法を実行しようとしたのではないでしょうか。


 人間につながれ使役されるなんて、誇り高い獣王の血を引くものとしては本来許しがたい恥辱ですからね。わたくしの容姿であったら、ほぼ性奴隷化は免れない。泥棒猫の娼婦にお似合いな末路だと、高笑いしていた顔を思い出します。

 ああ、滑稽だわ。あんな下品な笑い方をするから夫に愛想を尽かされるんですよね、あのババア。女は捨てた? 男のごとく働いて価値を示す? あっはははははは、何を虚けたことを抜かしおるのでしょうねえ!?


 両方こなしてこそ、真の女帝でありましょう? これだから劣等まみれの小者は中途半端で不愉快です。

 でも我が君は卑屈でも許してあげる。そこが可愛いんですもの。




 わたくしにとっては、奴隷として売り飛ばされたことは悪いことばかりではなかった。面倒な王宮にとどめおかれなくてよかったと思っています。王妃のご機嫌取りをせずに済みますから。万物に興味のないわたくしではありますが、さすがに死に方ぐらいは選びたいものでした。

 それに多少は興味もあったのでしょう。亜人にはもう失望しました。なので人間なら何か違う、わたくしに別の体験をさせてくれる方がいらっしゃるのでは? と。ほとんどの主は無価値でなにやら取り違えているお馬鹿さんばかりでしたけどね。



 聞けよ、神。そもそも亜人とは血の気が多く、互いに食い合わねば落ち着かない衝動の持ち主です。わたくし達は根っからの戦闘民族。血で血を洗わねば安らかに眠れない。だからしょっちゅう身内争いをして、そのせいで高い運動能力を誇る割に全く規模が拡大されないのです。狩猟民族と申しますか、もはや略奪民族ですわね。野蛮人とさげすまれて仕方ない性質であると思います。


 人間は我ら亜人の性質を理解し、ゆえに制御できると思い込んでいる。現に人間は獣人を隷属できている。知恵が力を制す! 素晴らしい言葉ですね。


 面白い勘違いなんですけどね。


 亜人は確かにそのすべてが自らの欲望を律することのできない劣等な生物ですが、彼らには彼らの流儀があります。国外にそう優秀な人材を放出しません。


 どういうことか? つまりですね、人間達が市場で売り買いしているような亜人は、亜人の国からいらないと判定された者ばかりなのだと言うことですよ。身体が弱過ぎたり、力がなかったり、頭が極端に回らなかったり、怪我や病気をしていたり、その後遺症が残っていたり。そういった、このまま亜人の国で生きていても資源たり得ないと判断されたものだけを、我々は人間達に渡しているのです。残飯処理と大差ないですね。


 ですから彼らの所に流されてくるのは牙も爪も毒も抜かれた肉人形。でなければ亜人国でよほどのことをしでかして、本国ではとても生きていけない大罪人。ちなみに後者は後者で、派手に活動すればすぐに居場所と意図が割れて刺客が送り込まれて参りますから、大抵他の奴隷獣人同様従順ですね。

 好きに遊べて当たり前なのですよ、人間達。だって我々、本気出してませんから。


 獣人は人間を奴隷化できない? 違いますよ。しないんです。我々の中には明確な階級が存在しますが、人間とはその階級外の存在なのです。

 豚に欲情し孕ませたいと感じますか? そういうことです。なぜ人間社会に侵略を行わずいつまでも身内争いに終始しているのか? あなた方に争いをふっかける価値を感じないからです。

 ま、人が豚とまぐわうよりは、人と亜人がむつみ合う方が可能性は遙かに高いですけれどね。何しろ生殖可能ですし、見た目が近いことも多いですから。


 しかしこの辺りは本当に、我が種族ながら観点が不足しているとしか申し上げられませんけれどね。わたくしはもちろん、大いに利用させていただきましたとも。


 人と亜人のなんとなくの温度差は感じ取っていただけたでしょうか?

 ゆがんだすれ違いを何百年も維持していられるのは、一重に亜人社会の閉鎖性のせいなのでしょうね。

 でもそれもどうでもいいわ。わたくしの前の主達のことでしたね? 続けましょう。



 我が君に会うまでの人間達のことも、つまらないゴミ屑ですからあまり思い出したくないんですけどね。



 一人目はわかりやすく幼女趣味ロリコンでした。でもちょっと弄ってあげたらすぐに満足するこらえ性のない方でしたから、対処は楽でしたね。臭いことと興奮するとやたら打ってくることを我慢すれば、それなりにいい思いをさせてもらいましたよ。男の転がし方もなんとなくこの人で一通り練習させていただきました。


 その内単調な手に飽きたので、適当にその辺の男を誘惑して殺させましたけど。そりゃ毎晩叩かれてるんですから、ちょーっと過剰を装ってみいみい悲しく泣いていればすぐに思い通りになっていただけましたよ。

 わたくし、傾国の美人ですから。


 次の貴族は地位だけが取り柄で、お金自体はそんなにありませんでした。その地位も、頂点にはほど遠い、大勢の内の一人。不器用で真面目な人で、わたくしに一目惚れしたとかで、貧乏なりにそれはそれはよく尽くしてくれましたよ。

 でもね、わたくしすぐに飽きてしまいました。だって本当に優しいだけしか取り柄がないんですもの。せめて毎日違う言葉で愛をささやいてくれるとか、そういう芸術家の片鱗でも見せていただけたのならもう少しは忍耐に甘んじてもよかったのですけど、できたのは仕事だけ。真面目に仕事をして、真面目に搾取されて、わたくしだけが日々の癒やし。触れることすらできず、眺めているだけで満足なんですって。ああもう、置物にされているこちらは退屈過ぎて死んでしまいそう!

 だからわたくし、あの人を消すことにしたんです。血判状自体は本物でした。反逆の計画も本当にありました。あの人は完全な無実。わたくしが嵌めて差し上げたのです。不器用な方ですから愚直に何もやってないと言い訳をして、信じてもらえると希望を抱いて死んでいった。あはは。本当に馬鹿ですよね。

 ああでも、何もくれなかった退屈な人だけど、わたくしを大切にしてくれたことは確かですから、せめてもの情けに最後まで哀れな仔猫を演じきってあげましたよ。だってどうでもいい人だったんだもの。種明かしして何になるの?


 何の落ち度もない人間になぜそこまで冷酷な仕打ちをできるのか?

 何もなさなかったと言うことほど無価値なものはありませんでしょう。それこそ死んでも生きても同じこと。違いますか?


 お知り合いならともかく、赤の他人のことに怒ったり泣いたり。本当に人って度しがたいです。



 三人目はわたくしを可愛がってくださいましたし、富と財で贅沢だってさせてくれましたが、なんと言いますの? 好みじゃなかったから仕方ないでしょう。もうちょっと趣味のよい方だったら妥協してあげてもよかったんですけどね。似合わないいらない金銀財宝で毎日飾られて見世物にされてみてくださいな。うんざりしますから。高利貸しってお仕事自体がそもそも気に入らなかったです。だってもともと持たない貧乏人から一生懸命搾り取って、特権階級にへこついて、汚らしくてかっこ悪いじゃありませんか。

 それに加えまして、確かにわたくし欲するもののために手段を選ばないやり方には共感しますけど、この方もやっぱり中途半端だったんですのよね。

 子どもには容赦する? 馬鹿ですよね。子はいつか育って大人になります。禍根は残さず詰むべきです。


 因果応報。親の敵を取らせてあげただけですのよ。わたくし、むしろ親切でしょう? その後実行犯がむち打ちで死のうが知ったことではありません。そこはもう、わたくしと関係ない所ですから。



 四人目は上品なおばあさまでした。わたくし、この方から品ある女性とは何であるかをようやく学び取れた気が致しますわ。女性とはかくあるべきと、教えていただいたありがたい方。まるでわたくしを実の娘のように可愛がってくださったおかげで、わたくしすっかり少女趣味に目覚めてお姫様気分でしたのよ。幸福でした。客観的に状況を見ればね。


 でもわたくし知ってましたの。現実にはね。都合よく迎えに来てくれる王子様なんていないのです。弱いものを助けてくれる人なんて信じてはいけないのです。


 そう、だからね、わたくしふと思いついたの。


 だったら、探して、狩ればいい。すっかり無害な仔猫に染まっていても、わたくしの正体は虎なのだから。欲するものなら力尽くで手に入れよ。亜人の理とはそうしたものです。


 おばあさまを楽にさせてあげたのはそういうわけでした。いい方だったけど、ペットでいる限り王子様なんて見つけられないでしょう? そりゃあ快適な思いはさせてもらいましたけど、だからってあの方の好みのブリーディングにつきあって恋人まで決められるのは嫌。


 だってわたくし、物語のお姫様達とは似ているけど、明らかに違う。わたくしには非力な雌共とは違って、出し惜しみしていただけでいつでも力があったのです。どうして使ってみようと思ってはいけないのですか? それで他人が不幸になって、一体何が悪いのですか?


 でもね、わたくし、ずうっとないにゃんこのままでしたから、そういうことはお口にも態度にも出してはいけないのだって、ちゃあんと理解していたんですのよ。

 他人の顔色窺って、お望み通りに芸をして。得意でしたよ? それでずっと生きてきた。つまらないけど、もっと面白いこともなかったし。




 うふふ。だけど、その後のことを思うと先に何人か主を経ていたことは何かの僥倖だったとも考えられます。わたくしにはほとんどすべての要素がそろっていた。完璧な仔猫としてあの方に献上されることができた。


 我が君、我が命、我が愛しの人。ああ心臓をえぐり出して腹の内側から臓器すべてむしゃぶりつくして溶け合ってしまいたいぐらい大好き、イライアス。

 最初に会ったときから一目惚れ。檻の中から目が合って、わたくし確信しましたもの。


 ああ、王子様が迎えに来てくださった。

 いいえ? ――迎えさせねばなりますまい。わたくしが望むことは叶えられねばならぬのです。世界はわたくしと我が君を中心に回っているのですから。


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