組み替え その二

 そしてカフェの方でも、定期的にコーヒーを飲みに来る初老の男性客とクレーマー女性客も似たような言葉を残していた。

「小野坂君、一時死にそうな顔しとったけど」

「そうね。仕事振りも少し雑さがあったわ」

「その割にはあんさんよう黙っとったなぁ」

 二人はそう言いながら根田が淹れたコーヒーをすする。

「あのねぇ、私だってそこまで鬼じゃないわよ」

「えっ? ボクそこまで気付きませんでした」

 根田はどんな時でも完成度の高い仕事をする後輩をむしろ尊敬していた。

「ほんのほころび程度よ、私みたいにあら探しが得意な人間じゃないと気付かないと思うわ」

「ボクそう思ったこと無いですよ」

「あら優しい子ね。でも加点はしないわよ」

「相変わらず手厳しいなぁ」

 老人のひと言にクレーマー女性は冗談混じりで睨みつける。根田は二人のやり取りが悌と石牟礼の関係性に似ているなと微笑ましく観察していた。

「でも智さん、今は大分落ち着かれたと思います」

「そうかい。根田君は一見子供っぽいけどメンタルは安定しとるな、ある意味成熟しとる」

「そうね、それは大きな武器になるわよ」

「自分ではよく分かりませんがありがとうございます」

 根田は首を傾げながらも、二人の言葉を素直に受け取って礼を言った。


 『離れ』には常に誰か彼かがいる状態なので育児にもさほど困らなかったが、子供慣れしていない堀江や悌の育児指導として稲城が定期的に『離れ』に訪れていた。

「「これはむしろ俺らがお金払った方が……」」

 そう思った二人は契約者である小野坂の義母美乃に打診したが、孫の育児のことだから気にしなくていいとやんわり断られた。

『いい機会だから色々教わりなさいな、私たち自身が行き届いてないんだからこれくらいさせて』

 と彼女の言葉に甘え、稲城が来る日に堀江と悌は生徒役となって育児に関する勉強をするようになっている。

「これじゃ誰が親父か分かんないじゃん」

 ここでは立場が上になる義藤は悪戦苦闘中の二人を見て笑う。彼自身受験勉強の息抜きがてらつばさの相手をしてポイントを稼いでいた。

「キャハハ」

 この日もつばさスマイルを獲得した義藤は、凝りもせず未来の旦那さんだよと入れ知恵工作をする。その度に小野坂の阻止が入るのだが、彼をお気に入りにしているつばさも楽しそうにしているのであまり強くできずにいた。

「そのうち本当に『荘君のお嫁さんになる』って言い出しそうで怖くなるよ」

「分かるべ智さん。礼さんも毎日飽きもせんと似たようなことしささってんべや」

 小野坂と角松は娘を持つ親父の悩みを共有する。

「娘を大事にしてくれてる分にはいいんだけど」

「んだな、あん執着振りはちょべっと頂けないべ」

 二人は赤子にメロメロ状態の村木と義藤の姿に失笑した。


 【調理担当の社員さんを募集します】

 『DAIGO』店舗の上階にある独身寮の一室に住む男性従業員が、たまたま見つけた求人情報に視線が釘付けとなった。

「誰か辞めらさるんかい?」

 独り言を呟きながらその求人内容を黙読した彼は、意を決したように立ち上がってケータイを持ったまま一階の店舗事務所に向かう。

「オーナー、いらっしゃるかい?」

『ん? なした?』

 ドアの向こうから大悟の声が聞こえてきた。

「ちょべっとだけ宜しいかい?」

『ん、入らされ』

 その言葉を受けた彼は、失礼しますと言ってドアを開けて中に入る。大悟だけでなく旦子もおり、母子仲良くおやつを食べていた。

「クニかい、アンタここに来ささるん珍しいべな」

 旦子は菓子の個包を一つ摘み、勤続四年になる男性従業員に差し出す。

「まくらうかい?」

「したら遠慮なく頂きます」

 彼はオーナー母からおやつを丁寧に受け取った。その個包には【人形焼き】と印字してあり、小野坂から受け取っていた東京土産の残りである。

「小野坂さんでしたっけ? 最近東京へ行かさってたのって」

「んだ。あん子東京出身なのさ」

「そうですかい。それっぽい見た目はしささってますが、くっちゃってみささるとそうでもない印象だべ」

 彼は応援要員として度々『オクトゴーヌ』を訪ねており、ペンションメンバーとは仕事での面識はあるので顔と名前は合致できていた。

「クニ、用があらさるんでないかい?」

 人形焼きから話が脱線してきているところを大悟が修正を入れる。

「そうでした。コレんことなんですが」

 彼はケータイ画面に表示している状態の求人情報を見せた。

「あぁ。最近一人アルバイトにならさったんだと」

 旦子は少々不機嫌な口振りで言った。

「そうなんですかい?」

「ん。したからフル稼働で回せるよう一人補充したいこいてたべさ」

「あっこは夜勤があらさるからさ、交代要員にならさる社員が欲しいんでないかい?」

 相原母子の言葉に彼はなるほどと頷いた。

「したらさ、わちエントリーして宜しいですかい?」

 彼はこの場で転職希望宣言をした。

「そうかい。アンタの場合元々それでここに来ささってるしたからさ、これも縁なんでないかい」

「んだな、当時は事情が事情したからさ。退職届は採用が決まらさってからでいいしたから思った通りにやらされ」

 母子はスタッフの意思を尊重し、採用が決まれば送り出す決断をした。

「ありがとうございます。したらこんことは自分でくっちゃります」

「ん。悔いなくやらされ」

 旦子は一礼する彼にエールを贈った。


 「智、どうして帰ってきてくれないの?」

 自宅ハイツにほとんど戻ってこなくなった小野坂を思い、夢子は悲しみにむせび泣く。連絡を摂ろうにも取り合ってもらえず、かと言って『離れ』に出向くと横恋慕の赤子と顔を合わさねばならなくなるので、現状断固拒否を貫いていた。

『娘さん、よう『離れ』で見ささんべ』

 『DAIGO』古参スタッフの三笠も子供連れで『離れ』を訪ねているため、時折そういった声を掛けられるのも煩わしい。子供の社会性を高めるためなどと適当な言い訳でごまかしているが、長期化するとそれも恐らく通用しなくなるだろう。

「智が帰ってくれば済む話なのよ」

 結局そこに考えが行き着き、夫ひいてはそれを容認している『オクトゴーヌ』のメンバーを悪者にして磁針を正当化していた。特にオーナーを務める堀江には憎悪の感情を向け、夫を返せと心の中でなじり続ける。

 あの男さえいなければ……彼女は暗い部屋の中、恐ろしい形相で結婚式時の集合写真を睨みつける。こいつが神父気取りなことしたせいで……これまでのワガママ放題を棚上げにし、殺人鬼の居住を許しているこの街をも憎らしく感じていた。


 ピンポン♪


 そんな悶々とした気持ちを抱えた中、玄関からチャイムが鳴る。誰かしら? そう思いながら覗き穴で確認すると白い箱を持った川瀬が立っていた。

「義君?」

 夢子の心と体は悦びで弾む。先程までの形相とは打って変わって笑顔になり、嬉しそうにドアを開けた。

「ごめんなさい、あまり体調が優れなくてお化粧もほとんどしてませんの」

「えっ? そんなの全然気にならないくらいに綺麗だよ。でもちょっと元気は無さそうだね」

 川瀬は少々寂しげに白い箱を見てから再び夢子を見た。

「久し振りにケーキを焼いたんだけど、食べられそうかな?」

「まぁ、素敵だわ」

 彼女は満面の笑みで川瀬を讃える。

「決して良い出来とは言えないんだけど……」

「貴方が焼いてくださったケーキですもの、遠慮なく頂くわ。お上がりになられて」

 夢子は客を招き入れ、ダイニングで仲良くケーキを食べた。その後二人は翌日早朝まで共に過ごし、川瀬は何事もなかったかのようにそこから直接『オクトゴーヌ』へ出勤した。サイズの合わない夢子の夫の私服を拝借していたが、季節柄上着が隠してくれるので着替えの現場を見られない限りばれることは無い。

「おはようございます」

 この日も誰にも見られることなく調理服に着替え、上機嫌で厨房に立った。

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