錆と嘘と綻びと その四

 約二週間ほどの東京出張を終えた嶺山と小野坂が箱館に戻ってきた。二人は東京土産をたんまりと購入しており、『離れ』に寄って仲良くシェアしている。兄を迎えるついでに雪路と浜島も遊びに来ていて、いつも以上に賑やかになっている。

「おばんです〜」

「また来たのかよ」

 この日休日を取っていた村木も木の葉を連れて遊びにやって来た。この二週間で角松家との親睦を深めたつばさも木の葉と仲良くなっている。

「ん、こん二人結構相性良いんだべ。それとささ、あんおっさんとこの照君なまら良い子だったさ」

 塚原父子も二度ほど顔を出しており、照は慣れぬ年下の子の面倒を一生懸命見ていたと嬉しそうに説明した。

「今更そこ感心してんのかよ?」

「ん? まともにくっちゃるん初めてしたからさ。それにさ、シッターさんも若ぇのにしっかりしささっててさ……」

 と際限なく話を続けていたが、浜島が相手にしていたのでもんじゃ焼きに興味を示す雪路に声を掛ける。

「焼いてみようか?」

「うん、食べたこと無いんよ」

 彼女のひと声でもんじゃ焼きを作ることにした小野坂は、具材を揃えてからホットプレートを出した。

「これお好み焼きをしゃばしゃばさしたんって印象しか無いんやけど」

「材料は似てますけど別物ですよ」

 彼はヘラを二本使って豪快に焼き始める。出来上がりが近くなるとソースの良い薫りが建物内に充満し始めた。

「何か良い匂いするぞ〜」

 ここ最近受験勉強に本腰を入れている義藤が、薫りにつられて三階の自室から降りてくる。つばさはこの期間中更に懐いたようで、彼の気配を感じるだけで嬉しそうにしていた。

「つばさちゃんはまだ食べらんないよ〜」

「木の葉もまだ早ぇかも知んないべや」

 いくら親戚とはいえ、村木も角松家に許可なく勝手なことはしないようにしている。赤子二人はホットプレート上の料理に興味津々だったが、欲しがるといった態度は見せなかった。

「作り方全然違うんやね」

「食べる時はコテで端をちょっとだけ取って、焼き付けてから食べるんだよ」

 小野坂はヘラを小型化したコテを全員に渡し、まずは自身が手本を見せる。雪路たちもそれを真似て口に入れると、あとは調子よく消費していた。

「案外美味いな」

「うん。食感も個性的やね」

「これはパンのアレンジには向かんな」

 浜島の感想は独創的だったが、もんじゃ焼きそのものは気に入った様子だ。

「これ、私ら食べてもたけどご自宅に持って帰らんでよかったん?」

「あぁ、嫁さんこういう食べ物好きじゃないんだよ」

 夢子は子供の頃からB級グルメ的な料理を毛嫌いするところがあり、『そういうのを食べると品位が下がる』と両親が作っても一切口にしなかった。よって自宅でこの手の料理が並ぶことは無いのだが、小野坂自身は普通に好きなので今では外食でたまに食べる程度である。

「へぇ。あんまり食べそうなメージは無いけどね」

「ヒステリー起こされた方が面倒臭いもんなぁ」

 義藤は石牟礼の面接時のヒステリックを思い出して身震いした。そのひと言で空気が変わったのでヤバいと感じた彼はそれ以上の言及は避け、受験勉強を言い訳にさっさと三階へ上がっていく。

「智君の嫁さん、そう言や僕会うたこと無いわ」

 浜島は夏祭り時に川瀬と共にいた妊婦が夢子であるとは思っていない。小野坂もその妊婦が妻だったという事実を知らないので、そうですかとだけ言って話を流した。

「綺麗な方よ」

 雪路もそう答えるのみに留めておいた。


 もんじゃ焼きそのものは美味しく頂いた小野坂は、その後つばさを連れて自宅に戻ると部屋が予想以上に片付けられていた。

「えっ?」

 夢子のことなのできっと何もしていないだろうとたかをく括っていたが、洗濯物もほとんど溜まっておらず寝室のベッドも綺麗に整えてある。初めは近所にある清掃業者か便利屋にでも頼んだのかと思っていたが、ちょっとした違和が残って家中をうろつき回っていた。

 彼自身清掃業のアルバイト経験があるため、余程でない限り最大限家庭のクセは残すよう作業をすることは知っている。その直観で妻が誰かを家に上げたのではないかと感じた彼は、最後に入ったキッチンでそれを確信した。

「何でだよ?」

 キッチンラックには料理がほとんどできない夢子が使用するとは思えない鍋が二つ置いてあり、普段滅多に使わない皿も立てかけてある。更に驚愕したのは、棚に並べている食器たちが全てひっくり返された状態で置かれていることであった。

「一体誰入れたんだ?」

 それに不気味さを感じた彼はついでに冷蔵庫も開けると、夢子が買ったとは思えぬ食材が詰め込んである。自宅が一番疲れるってどういうことだよ? と思ったが、つばさが眠いとぐずり出したため、一応は整っているベッドに親子並んで転んでいるうちにいつの間にか眠ってしまっていた。

 次に意識を取り戻した時は、娘の甘い香りではなく生臭い女の臭いに焦りを覚える。つばさは? と思ったが、口元の違和感を外そうにも頭に負荷が掛かって上手く逃れられない。とにかく気持ち悪さを感じた小野坂は、必死にもがいてそれを押し退けるとまずは娘を探す。

「つばさ?」

 彼は端に置いてあるベビーベッドを覗くが姿は無い。どこだ? 女の生臭さなど気にするよりもつばさの方が大事であった。

「何慌ててるの? ソファーにいるわよ」

 その声で生臭さの元凶が妻と分かっても一切ベッドに視線を向けず、リビングのソファーに駆け寄ってぐずる娘を抱き上げて暖房を点ける。いくら北海道にしては温かいとはいえ季節柄昼間でも気温は十度も無い中に、ブランケットの一つも掛けてやらずに放置する夢子の神経がどうにも分からなかった。

 一方彼女はこの日のためにエステで体をぴかぴかに磨き、新しい下着を購入して身に着けていた。夫を惑わせようとセクシャルな香りの香水も振り、二人だけの甘い夜を期待していた。ところが父になった小野坂は自身の魅力に興味を示さず、常に優先順位はつばさを上位にしている。それが気に入らない夢子は怒りに満ちた表情で二人に近付き、無理矢理つばさを引ったくってソファーに放り投げた。

「お前何考えてんだよ!」

「順番が違うじゃないっ!」

 彼女は小野坂の両手を掴んで強引に体を寄せた。

「妻である私が先、でしょ?」

 と表情をすっと変えて甘ったるい声で囁く。これで靡いた男は多かったが、今の夫には通用せず嫌悪感を示して遠ざかろうとする。ところが夢子の方も必死で、執念から湧き出る異常な力で夫の手首を握り締めた。

「ギャーッ!」

 父の危機を察知したつばさは近所中に響きわたるほどの大声で泣き始める。それに我に返った小野坂は妻の執念を振り払い、ソファーに転がされた娘を抱き上げた。

「智っ!」

 逃げる体制に入った夫を捕まえようとする夢子は、振り返りざまに足がもつれて転倒する。妻の狂気に身の危険を感じた小野坂は、貴重品の入ったたすき掛けのリュックを持って外に飛び出した。

 もうやってらんねぇ……少し離れた場所にある駐車場まで走るとつばさをチャイルドシートに乗せ、妻が来ぬうちに車を走らせる。彼の手首は赤黒く腫れ上がり、爪の形に沿って僅かに流血していたが、とにかくここから離れることに集中していて痛みに鈍感になっていた。

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