最高に最悪な日 その三

 村木と小野坂はそのまま一旦『オクトゴーヌ』へ帰還し、迂回ルートを模索するため『離れ』で作戦を練る。

「こっからだと『DAIGO』に登る道から山沿いを走らさるんがええかも、ただ渋滞は避けらんねえと思うけどさ」

 村木は市内の広域地図を広げて迂回ルートを指でたどった。

「そうだな、ここからは俺一人で行くよ」

「なしてだ?」

「今から出たら夜になっちまうからだよ、お前明日仕事だろうが」

 小野坂は早朝から仕事をする村木を気遣う。

「したってそれは智もでねえかい」

「俺の心配はしなくていいんだよ」

 自身は事情が事情なのでどうとでもなると村木を見た。

「そうかい。けどさ、夜中になるしたら尚のこと一人で行かさるんは勧めらんねえべ」

 村木はこの日の疲労を慮ってあくまで一人で病院に向かわせようとしない。

「それやったら僕と行きます? 道覚えるええ機会ですし、明日カフェ営業休みなんで」

 仕事を終えて『離れ』に戻っている悌も話に参加してきた。村木はそれだと表情を明るくし、そん方が安心だべと頷いた。

「オレとしたらさ、ちょべっと仮眠くれえ取らさってから出てもええと思うのさ」

「大丈夫だよこれくらい、伊達に夜勤慣れしてねぇから」

 小野坂は平気だと言わんばかりに気丈な態度を見せた。見た目以上に体力があるだけに多少の無理を圧してしまう友を心配そうに見つめる村木であったが、悌が運転することを条件に私立病院へは二人で行くという方向で話はまとまった。

「じゃ、行ってくる」

「何時になっても構わんしたから何かあったら連絡けれ」

「分かった」

 小野坂は悌に車のキーを手渡し、ケータイの地図アプリをナビに妻の待つ病院へと向かう。

「案外慣れたもんだな」

 普段そうそう助手席に乗ることの無い小野坂は、悌のドライビングテクニックを面白そうに眺めていた。

「ちょっと久し振りですけど、基本運転は好きですね」

「そうか。『DAIGO』の前の道を左な」

「はい」

 悌は嶺山以上に大きな体と雑な性格とは打って変わって堅実な運転をする。料理同様得意分野では存分に能力を発揮し、苦手分野にはからっきしな後輩に小野坂は思わず笑ってしまう。

「どないされました?」

「その几帳面さ、掃除には活かされないんだな」

「無理っす」

 悌はあっさりとそう言い切って山麓に沿った夜道を丁寧に走行していた。しばらくは順調だった走行もやがて渋滞が出来上がり、小野坂はこの日二度目の渋滞にうんざりする。

「交通規制か……やっぱりっつっても二回はキツイ」

 車はぴくりとも動けなくなり、脇道も無くそのまま待つことになった。前方を見やると警察官が二人一組で前に停まっている車に声を掛けている。

「検問してるみたいです」

「ひょっとしたら北部回るルートを取らなきゃいけなくなるかもな。病院に行くなら次の信号を左なんだけど、事故の被害者家族の見舞いが優先されてる場合を考えたら……」

「出産の立ち合いやとそっち行かされる可能性もありますね」

「あぁ、病院に着けても最悪入れねぇとか……」

「そこ考えるんは後にしましょ、どのみち前進むしか道無いんですから」

「それもそうだな」

 しばらくそのまま待っていると、警察官が二人の乗るコンパクトカーにもやって来た。

「おばんでした、どちらへ行かさるんだべか?」

「私立病院です」

「そうかい。したら信号を左に曲がってけれ」

「分かりました」

 彼らは行き先を確認したのみで後ろの車へ移動していく。その後も渋滞はなかなか解消されず、再び車が動き出したのはすっかり夜も更けて深夜帯になっていた。


 一方病院では小野坂の実母江里子が一階のロビーで息子の到着を待っている。外来時間も面会時間もとおに過ぎているのだが、事故の見舞いで来ている患者家族に混じってこの日何度も放送されている事故現場の映像を眺めていた。歴史的とも言える大事故に息子が居合わせていたと知って心穏やかではいられず、無事とは知りながらも顔を見るまでは安心できなかった。

 もちろんお産で分娩室に入っている嫁のことが気にならない訳ではないが、今は夢子の実母で親友でもある美乃に任せている状態だ。ところが陣痛が始まってから文句ばかり垂れていて、一向にやる気を見せない彼女の態度に打ちひしがれている。

 幼少期から蝶よ花よと持て囃されてきたお姫様基質であることは知っているが、十年ほど見ない間に傲慢さが加えられた夢子の性分に多少のショックを受けていた。きっかけは不運だったと言っても水商売で成り上がり、青年実業家夫人になって以降のブルジョワ振りに我が息子との家庭生活が心配になってくる。

 こんなで大丈夫なのかしら? 間もなく誕生する初孫を心待ちにしながらも、先行きの不安も抱えている江里子のケータイが通話着信を報せる。

「どうしたの? こんな遅くに」

『ん? さっきニュース見て箱館が凄いことになってるからさ、ちょっと気になって』

 通話してきたのは凪咲であり、彼女は娘の声に安堵する。元は他人同士である二人だが、初見の頃から馬が合って再婚前からヘタな親子よりも仲が良い。

「えぇ、智その事故の影響でこっちに来れてないのよ」

『やっぱり? そりゃそうだよね。取り敢えずお兄ちゃんが無事なら良かった』

 その言葉の通り、事故に巻き込まれなかっただけ良かったと気持ちが幾分軽くなる。

『そう言えば夢子さんは? 昼前に陣痛始まったって』

「まだよ、ちょっと難儀してるみたい。今は美乃ちゃんに任せてる」

『そっかぁ。でもこればっかりは夢子さんに頑張ってもらうしかないからね、“つばさ”が無事産まれてくることを東京から祈ってるよ』

「“つばさ”?」

『うん、子供の名前にどう? 男の子にも女の子にも付けられるしさ、【広い世界を自由に飛び回れる元気な子】になってほしいなって前々から考えてたんだ』

 凪咲は電話越しからも伝わるほど楽しそうに言った。

「自分の子供に付けたら?」

『それはそれで別に考えるよ』

「そう、一応智には話しておくわ」

 とてもじゃないけど夢子には伝えられないと考えながら返事すると、ビュッと冷たい空気が院内に入ってそちらに気を取られる。ガラス張りの自動ドアが開いた状態の中、小野坂が見知らぬ男性を伴ってロビーにいる江里子を向け歩みを進めていた。

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