換気 その一

 『離れ』に移動した堀江と義藤は、リビングテーブルに向き合って座っている。そこで新たに作成した履歴書を受け取り、生年月日の修正を確認した。

「うん、ちゃんと書き直しとるな。住所なんやけど何で神奈川のまんまなん?」

「里親の住所。オレ結構転々としててさ、色んな所で預けられてたんだよ。まだ保証人がいる年齢だから今回は一緒に来てもらってんだ」

「里親さんに?」

「うん。岡山の方は物別れで勘当された」

「それで里親さんに?」

 義藤はうんと言って頷いた。

「話になんねぇから立ち会ってもらったんだ。最初は神奈川引っ越して学校はちゃんと行けって言われてたんだけど、オレちっこい弟二人と妹がいてさ、なるべく早く働いてあいつらの受け皿になってやりたいんだよ」

「なら里親さんの言い分の方が筋は通ってるで、事情はご存知なんやろ?」

「うん、けど弟らは里親とほとんど面識無いんだよ。オレ以外にも里子いっぱいいるしさ、あんま迷惑かけたくないってか」

「君の考えは分かったけど、受け皿としては遠過ぎるで。こっちは子供の二〜三人くらい増えてもええけど……」

「マジッ? それめっちゃ助かるんだけどっ!」

「あくまでもここの規約上は問題無いってだけの意味やで」

 堀江は確約でないことを強調する。

「うん、今はそれでいいよ。すぐって話じゃないからさ」

「けど君結構良い学校行ってるやんか、国立理大って偏差値六十五は無いと入られへんって……俺らの時代の話やけど」

「へぇ、受験したら普通に入れちゃった。大して勉強してないけど成績は真ん中くらいだったぞ、レベル落ちてんのかな?」

 義藤は学校に興味が無いのか呆けた口調で受け答えする。そらぁ親としたら勉強させたいやろな……堀江は履歴を見ながら里親の考えを慮る。

「里親さんの了承を得た上での面接やったら問題無いわ、ただ一遍話させて頂く必要はあるから希望する日とかあったら事前に連絡はちょうだい」

「分かった、父ちゃんにそう伝えとく。一週間くらいならいてくれるって言ってたから」

 その返事を聞いた堀江は履歴書をしまう。

「ん? もう終わり?」

「さっきの見てたやろ? 試験は技能」

「あっそっか。で、何すんの?」

 義藤は期待を込めた視線を堀江に向ける。

「三階の掃除。物置き状態になってるから二部屋空けてほしい」

「おしっ! じゃ早速……」

 と嬉々として立ち上がったところを引き留めた。

「今日は遅いから明日、朝十時にもう一回ここに来て」

「え〜っ」

「『え〜っ』やない、あーしーたっ」

 不満たらたらな義藤を窘めて、暗くなり始めた外を見た。

「あんま遅うならんうちに戻って休み、結構なハードワークになる思うで」

「はぁい」

 落とされた訳ではないと案外早く気を取り直し、ケータイのメモに【明日十時 試験】と入力した。

「親御さんに迎え来てもらうか?」

「ううん、徒歩圏内だから大丈夫」

「そうか。ほな明日な」

「うんっ!」

 この日は試験内容を伝えるのみで滞在先のホテルに戻らせることにした。


 翌朝午前十時になる少し前、義藤は意気揚々と『離れ』を訪ねてきた。中では堀江が一人で待ち構えており、早速洗面所と掃除道具置き場の案内をした。

「試験やから助けは借りられんもんやと思うといて。質問とか分からんことは何ぼでも聞いてくれてええよ」

「うん」

「それとこれ着けて」

 堀江は黄緑色のエプロンを手渡した。

「いぇーいエプロンだぁ♪ ってそだっ、悌っちが黄色で智っちが紫って何か意味あんの?」

「特に無いで、準備できた?」

「おうっ!」

 義藤は服の袖を捲し上げて試験に臨む。


「えっ? また来てんのあの子?」

 この日非番である塚原は、息子照を連れて『オクトゴーヌ』にやって来ている。接客にあたっている小野坂を捕まえて、見当たらぬ堀江の居所を尋ねた流れで義藤がここに舞い戻っていることを知る。

「かなりの意気込みを感じるねぇ」

 彼は元家出少年の行動に少しばかり驚きの表情を見せていた。

「まぁな、あれから二週間ほどしか経ってねぇのかと思ったら……3Kも土日祝日関係無いのも気にしない、仁の過去もお構い無しだと。そこ気にする奴じゃ務まんねぇけど」

「そうだろうね。あの子結構大人の嫌なとこ見てきてるみたいだから、ステイタスとか重要視してない感じだったよ」

 警察関係者である塚原は義藤の家庭環境はある程度把握しているが、秘守義務に関わる案件なので詳細は伏せておく。

「あ〜、ただあの口の聞き方何とかなんねぇかな?」

「アレ? ムカつく?」

「っていうより萎える。ひと回り年上の男捕まえて智っちは無ぇだろ」

 その言葉に塚原はハハハと笑う。

「いいじゃないそれくらい、ああいう子は警戒してる相手に敬語使うタイプだから。上司にも敬語使ってなかったよ」

「それ問題無いか?」

「なんもなんも。直属の部下にでもなれば問題あるけど」

 小野坂自身敬語が苦手であるせいで、要らぬ誤解を受けたり毛嫌いされることもままあった。そう考えると義藤も似たようなところがあるのかも知れない。

「せめて勤務中だけは注意させないとなぁ」

「まぁそうだね、ってか採用決定?」

「そうなるんじゃねぇかなとは思ってる。ただなぁ……」

 小野坂は話の途中で口をつぐんだ。

「ただ、なんだべぇ?」

 続きが気になって催促する照の頭に塚原はポンと手を置いた。

「したらパパが当てちゃる。智ちゃん、君社会人何年になる?」

「今年で十年目」

「そうかい。したら分かると思うけどさ、組織ってのは時々換気がいるんだよ」

 彼はそう言ってブレンドコーヒーを一口飲む。

「今日は迷いがあるね」

「ここんとこずっとあんな調子だよ」

「そうかい、したら続けるね。勝手知ったるとかツーカーで伝わるってのも大事っちゃ大事だけどさ、続け過ぎると腐るんだよ」

「くさっちまうんかぁい?」

「そっ。ずーっと窓開けてない部屋に入ると埃っぽかったりカビ臭くなったりするだろ? 時々窓開けて掃除したり家具の配置変えたり、古くなったものを直したり買い替えたりしながら良い状態を保っていくんだよ」

「うん」

「そうすると棄てるものも出てくるわけ。掃除するとゴミも出るし、壊れてるものや使い切ったものは新しいものに変えなきゃなんないだろ?」

「あっ! きょうせんざいかったべ」

 照も六歳なりに父の話を理解しようとしていた。

「それは分かってんじゃないかと思う、俺はすんなり入れてるからさ」

「君出戻りでしょ、多分事前に情報はあったんじゃないかな? けどカケハシ君にしろ義藤君にしろ、先に問題行動を起こしちゃってるからさ。それが無くても波風を嫌いそうじゃない」

「まぁなぁ」

「けどいつまでもそれじゃ一箇所に長くいられないのさ。定期的に場所を移す方が向いてるのかも知れないけど、そうなるとここを去るのもそう遠くないよ」

 小野坂はその言葉に対し何も言い返せなかった。現状を考えるとその未来は避けたいところであるが、『オクトゴーヌ』の存続を優先するのであれば人材の循環はどうしても避けられない。

「俺は仁の舵取りが間違ってるとは思わない、今はそれしか言えないけど」

「そう、それ聞いて安心した」

 塚原は小野坂に優しく笑いかけた。

「杞憂に終わればいいと思ってる」

「まぁ今はそうだろうね」

「パパぁ、キユウってなぁに?」

「取り越し苦労ってこと、要らない心配しちゃったなぁで済めばいいなぁって話」

「ふぅん」

 照はお気に入りの米粉パンをがぶりとかぶり付いた。

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