奇跡 その二
里見が救急搬送されて数時間が経つが、状態が良くないのか一向に情報が入ってこない。来た当初は事務手続き、親族への連絡に追われてにわかにパニックしていたが、それも落ち着くと今度はただ待っている現状に多少の焦燥感を覚える。横濱に帰省している根田にも連絡をしようと思ったものの、『離れ』にケータイを忘れそれも叶わない。
「ケータイ忘れてるんなら貸すべ」
一緒にいる福島がケータイを差し出した。その気持ちはありがたかったが、今やケータイの機能に頼りきっているせいで根田のケータイ番号を覚えていない。
「お気持ちは嬉しいのですが……」
「あ〜分かる、したらペンションの方に掛けさったら?」
それであればと堀江は礼を言ってそれを受け取り、ペンションの固定電話番号を入力した。通話ボタンを押してしばらく待つと電話に出たのは鵜飼だった。
『ありがとうございます、ペンション『オクトゴーヌ』でございます』
「信? どないしたん?」
『ん。今『オクトゴーヌ』わやくちゃでさ、わちがばんぺしてる』
多分『アウローラ』か……この日はチラシクーポンの最終日なので『オクトゴーヌ』メンバーも全員勤務で備えていた。しかもこの緊急事態で自身が抜け、小野坂も一時的に穴を開けた状況だったのでその点は気になっていた。
「今どんな感じなん?」
『カフェの方は大分落ち着いたけどさ、『アウローラ』の方は行列ができてるべ。さっき昼営業が終わらさった『DAIGO』の従業員さんが手伝うって今こっちに向かさってる』
その言葉を裏付けるかのように電話越しからはざわつく人の声が聞こえてくる。時折雪路と北村の声も届き、『アウローラ』の混雑振りが伺えた。
『それとさ仁、悌が今こっちに向かさってるんだ。理由は分からんしたって夕方には戻ってくっぺ』
「そうなん? せっかくの里帰りやのに……」
『ん、多分何か感じたんでねえかい? ところで里見さんの方はどったらあんべだ?』
「それが何も分からんねん。わやなんは分かるって感じ」
『そうかい、悌が戻らさったらそっちに送るべ。お客様来るしたから切るべ、したっけ』
「うん」
通話を切って福島にケータイを返そうとしたがどこにもいない。その場を離れる訳にもいかず、里見の病状も気になるのでそのまま待っているとコンビニの袋を持って戻ってきた。
「これでもけえ、一般開放してるフリースペースが一階にあるしたから」
「でもお金……」
「そったらもん今気にせんでええべ、あんま腹空かすんも良くねえしたからさ。ひょっとしたらまだ掛かるかも知んね」
堀江はおにぎり数個とペットボトルのお茶の入った白のビニール袋を受け取ってからケータイを返す。里見が運び込まれた手術室からは看護師や若い医師が時々慌ただしく出入りしているが、二人を気にする者は誰もいない。
「今のうちにけえ、わちも夜営業があるしたからずっとはおれんのだわ」
「分かりました、さっと食べてきます」
堀江は福島に一礼してから一階に移動した。
『アウローラ』の臨時店舗の閉店時刻は過ぎていたが、その前から並んでいた行列をさばき切れていなかった。この日はほぼノンストップでパンを焼き続けていた嶺山と日高は、最後の力を振り絞って行列がさばける分のパンを焼いていく。宿泊客の夕食の支度も始めないといけないのだが、客が残っていてカフェの支度が止まっている状態だ。
「取り敢えず奥だけでも支度しねぇとな」
小野坂の音頭で村木と『DAIGO』のフロアスタッフ二名がカフェのテーブルメイクを始める。川瀬と小野坂で料理の盛り付けを始めると、出張で来たらしき男性宿泊客が階段から姿を見せた。
「まだ行列が残ってるね」
「お騒がせして申し訳ございません」
ここでは古株である川瀬が宿泊客の応対をする。
「食事って部屋に持ってこれる? 【チューリップ】ルームなんだけど」
「はい、一度でお運びはできませんが」
「問題無いよ、ちょっと今抜けられなくて」
「かしこまりました、すぐにお持ち致します」
お願いね。男性が階段を上がっていくのを見てから、川瀬は厨房に入ってその旨を小野坂に伝えた。
「分かった、俺が行くわ」
「うん。今日はお一人様が多いからもしかしたら……」
「義くーん、【コスモス】ルームのお客様部屋食でって」
「やっぱりね。了解」
二人は部屋食を希望した宿泊客の料理を盛り付けて小野坂は二階へ、川瀬は三階へ上がった。その間に行列も短くなってようやく入口が閉められるようになり、カフェ内に冷風は入らなくなった。氷点下の中待ち続ける顧客のためにストーブを外に置いていたので、今は手空き状態の鵜飼が片付けに外に出るとポケットに入っているケータイが震え出した。
「はい」
『悌です、今新幹線を降りました』
「ん。したら一個手前の駅で待ち合わせな」
『ハイ。里見さんは……』
「まだ情報が入ってこねえさ、今仁が病院にいるしたってケータイ持ち出してねえっぽいんだ」
『分かりました、取り敢えず向かいます』
ん。鵜飼は通話を切ってストーブを持って裏手に周り、物置に入れてからそのまま自身の車に乗り込んだ。この感じだとわちが待たせるかもな……帰宅ラッシュの時間帯にバッティングしてしたために車はなかなか前進しない。普段はむしろのんびりとした性分なのだが、里見のことがあるので多少の苛つきが湧き出てくる。
「ん〜、ヘタに道変えてもなぁ……」
独り言を呟きながらそのままノロノロ運転で進んでいると、駅に向けての送迎車も多く渋滞は一気に緩和された。車はスピードを上げて病院最寄り駅まで走らせると、土産の紙袋を両手に持った根田がロータリー沿いで待っていた。
「待たせたべ」
「そうでもないですよ、荷物後部座席に入れますね」
根田は手荷物を後部座席に放り込んでから助手席に乗り込み、シートベルトを装着した。鵜飼はそれを見てから市立病院に向けて車を走らせる。
「したってなして戻るん早めたのさ? 同級生と会うこいてなかったかい?」
「何か面倒臭くなっちゃったんです。来年は墓参りだけにしようかと思ってます、ヘタしたら日帰りできちゃうかも」
「一泊くらいしたらええ、たまの休暇でねえかい」
「ハイ、そうですね」
根田は屈託の無い笑みを見せた。運転中の鵜飼はそれを横目でチラと見ただけだが、少しばかり固さを感じて何かあったなと察する。しかしそこから話が広がることは無く、駅から徒歩圏内にある病院にはものの五分で到着した。
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