居場所 その三

 翌日、堀江は川瀬を休ませることにして予定通り赤岩の手を借りる。この日も彼に付いて来た村木にも外の掃除を任せ、小野坂が赤岩の助手として厨房に、堀江と根田で朝食の準備に忙しく動き回っていた。朝食ラッシュの時間が過ぎた後、ひと段落付いて事務所で少し休んでいたところに嶺山が乱入する。

「義君の誕生日、今日やんな?」

 誰にともなく訊ねるとその場にいた全員に明日だよ! と突っ込みが入る。

「そっか、危うく準備するとこやったわ」

 嶺山はホッと胸を撫で下ろし、一人笑ってペンションを出る。一体何しに来たんだ? と一同は彼の行動にキョトンとしていたが、実は川瀬がプチ家出していたのを知っていた。偶然ではあったが契約しているダイニングバーにパンを届けに行った際、変な時間に街中を彷徨いているのを目撃していた。

「何があったんか知らんけど、問題は解決したみたいやな」

 嶺山は独り言を言いながら『アウローラ』へ戻った。

 

 そして翌日の夜、満を持して川瀬の誕生日パーティーが執り行われる。この日は運が良いのか悪いのか、宿泊客がいないので従業員全員が顔を揃えて盛大なものとなった。この時も張り切って準備をした村木と鵜飼、料理を担当した嶺山、妹の雪路、そしてどこから聞き付けたのか塚原も息子の照を連れて参加していた。

 塚原は『オクトゴーヌ』の面々以外とはさほど顔を合わせたことも無いのだがすっかり場の雰囲気に馴染んでおり、歳の近い嶺山とは早くも意気投合して調子良く酒を酌み交わしている。

「あんた一時郵便配達してへんかった?」

 変装当時に面識のあった嶺山は、塚原が刑事と知った時に一度聞いておきたいことだった。

「あの時はドラッグ密輸を企ててた連中の捜査をしてたんですよ、無事解決したんで今は元の姿で仕事してます」

 それで納得した嶺山は、同世代ならではの話題に花を咲かせ始める。そんな中、照はすっかり川瀬に懐いて隣から離れようとせず、なしてあん人居んのさ? と塚原の参加に若干不機嫌になっている村木はつつつと小野坂に近寄った。

「一体何がどうなってんのさ?」

「さぁな、ただ義と照君、仲良くなってるらしいんだ」

「へぇ、なして子供ん名前知ってんだ?」

 またしても教えてくんなかったと拗ねる友に、小野坂は面倒臭くなって肩をすくめる。

「今朝ここに連れて来たんだよ、その時に名前聞いた」

 そんな話をしている二人の間にほろ酔い気分の塚原が割って入って村木に擦り寄る。

「ねぇねぇ、そんなに嫌わなくても良いじゃない。そう言えば名前まだ聞いてないよね?」

「うわっ! 気持ち悪ッ!」

 村木は嫌がって狭い空間の中で逃げ回り、塚原は面白がって更に擦り寄る。嶺山はそんな二人を面白そうに眺めながら小野坂の隣に腰を落とす。

「まぁ何はともあれ、無事この日を迎えられて良かったわ」 

「何感慨深げに言ってんです?」

 小野坂は嶺山の言葉に変な顔をする。しかしそれに構わず、義君何かあったんと違うか? と言った。

「どうしてです?」

 小野坂の問いに嶺山は、一昨日の夕方坂の上の教会近くをうろついていた川瀬を見掛けたことを話した。

「それとな、仁君俺にも前科の話してきたで。ユキを巻き込んでしもたからって謝りに来てん。まぁ解決したみたいやし今となってはどうでもえぇけどな」

 嶺山は照と楽しそうにしている川瀬を見ながら酒をちびりと飲む。雪路はといえば堀江、根田、鵜飼の輪の中におり、壁画の一件で仲良くなった鵜飼と楽しそうに話し込んでいる。

「解決、しましたよ。もう大丈夫です」

 小野坂の言葉に嶺山は頷き、まだ追い掛けっこをしている村木と塚原を見て笑いだした。二人の陰に隠れる村木と、懲りること無く村木に擦り寄ろうとする塚原もやって来てにわかに騒がしくなる。

「ねぇねぇ、息子に免じて仲間に入れてよ」

「寄んな鬱陶しい! もう何とかしてけれ!」

 村木は小野坂と嶺山に助けを求める。

「別に仲良うしたらええがな、減るモンでも無し」

 嶺山は塚原を頑なに嫌う彼をたしなめた。

「たまには良いんじゃない?」

 全く取り合おうとしない友に、村木は薄情もん! と言い放つ。それで完全無視を決め込んだ小野坂は川瀬を見ると、これまであまり見せてこなかった楽しそうな表情で照と会話をしていた。嶺山もその姿を嬉しそうに見てからキッチンに入る。

「ケーキ切り分けてくるわ」

「手伝いますよ」

 小野坂も立ち上がり、二人はキッチンに移動した。それを遠目に見ていた川瀬はつい癖で立ち上がろうするところを堀江が引き留める。

「主役は何もせんでえぇんやで」

「そうなんだろうけど、それはそれで落ち着かなくて」

 堀江の言葉に川瀬は白い歯を見せ、一緒に居た皆もつられて笑った。そうして嶺山お手製のケーキが振る舞われると、参加者全員の賑やかなパーティーとなった。


 それから少し経った夏の日の午後、前日にいきなり三ヶ月の長期予約を入れてきた治部達郎ジブタツロウと言う名の男性が、一人の長身男性を連れて『オクトゴーヌ』にやって来る。聞くと宿泊するのは長身男性の方で、お忍びなので他言無用でお願いしたいと言い出した。

「ここを利用するのは彼、里見友勝サトミトモカツです。実は体調不良による療養の為に伺いました」

「左様にございますか。ところで、お忍びでしたら御名前は如何致しましょう?」

 この時フロントで応対していた堀江は、お忍び客をどう取り扱って良いものやら思案しながら予約名義の治部と話をする。一方の里見友勝はそこまで気にしていない様子で、里見でいいよと笑顔で答える。

「そうはいきません、ご自身のお立場をもう少しお考えください。治部でお願いします」

「かしこまりました」

 堀江は自身より少し背の高い里見を気にしつつ、チェックインの手続きをしている治部にここを利用するにあたっての説明を始める。

「ご予約の際に説明致しましたが、バス、トイレ等水回りのものは全て共用になっております。お食事は全てお部屋で召し上がるということで宜しいでしょうか?」

「はい」

 治部はそれで納得したが、里見は窮屈そうな表情を見せていた。

「普段宿泊されるお客さんはどうなさってるんですか?」

「そこのカフェでのお食事とさせて頂いております」

「そう、そっちの方がいいけど」

 里見はそう言ったが、あっさり却下されて一つため息を吐いた。

 そんな様子を根田は厨房からこっそり覗き見していた。実はこの里見と言う男性、世界的に有名なピアニストで出身がこの街であることはファンであれば“常識”の知識だった。

「うわぁ~、仁さんどうしてあんなに凄い方と普通にお話しできるんです?」

 すっかりミーハーな根田に呆れる川瀬と小野坂は、顔を見合わせてため息を吐く。

「お前さぁ、今からそんなで仕事できんのかよ? それに、仁の場合はその手の情報に疎すぎるだけだ」

「でも知名度は世界レベルの方ですよ? 緊張するなって方が無理でしょ?」

 根田は素っ気ない小野坂にムッとして言い返す。

「折角故郷で休暇を取られてるのに、僕たちが浮き足立ってたら本末転倒でしょ?」

 川瀬にも笑われた根田は一先ず覗き見を止めたが、それでも緊張はするらしく軽く上半身のストレッチを始める。その間に堀江は治部と里見を部屋に案内して、それが終わると治部はペンションを出て行き、その後用事が無い限りここを訪ねることは無かった。

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