第37話 誰も私を見てくれないんだ

 ────辺り一面が白く染まった病室の一角にヒスイは立っていた。

 目の前には大きなベッドに幼いヒスイが虚ろな目で横たわっている。


「ここは……」


「ええ、母が息を引き取りあなたが病院に運ばれてから数日後です」


 カツン、と背後から足音。

 振り返るとピンク色の髪に金色の瞳、黒いリクルートスーツを着た女、リリスが立っていた。


「ああ、子供が浮かべる表情にしてはなんと痛ましいことでしょう。可哀想に。母親は愛さず、親戚からも『落ちこぼれの産み落とした子などいらない』と切り捨てられ……。どうして、あなたには居場所がないのでしょうか?」


「…………」


 わざとらしく涙を浮かべ、悲愴の表情で語るリリスに、しかしヒスイは反論することができなかった。

 目の前で無気力に横たわる幼い自分。この世の全てに絶望し、あらゆる感情が消え失せたその瞳は確かに子供が浮かべていい表情ではなかった。その時の記憶は今でも残っている。

 病院に運ばれてから一日だけ親戚が顔を出し、見舞いに来た。と言っても罵詈雑言を浴びせるだけで見舞いと呼べるのかどうか怪しかったが。「穢らわしい」「一家の恥」「いらない子」など心無い言葉を言われ続け、母の「期待している」という言葉と体一つ動かせない現状の板挟みに精神が擦り切れ、感情が死んでいった。

 だが、この記憶はそこから数日後のことである。確かに辛い出来事が続いたのだが、時系列が正しいのならば……。


『あら、あなたがヒスイちゃん?』


 誰も私を見てくれないのに。そう思っていたのに、見知らぬ人から声を掛けられた。顔を見上げると赤い髪に金色の瞳の女が微笑んでいた。

 そう、これがヒスイと咲良の出会いであった。


「奇跡的にあなたは居場所ができました。『幸せ』を手に入れたのです。しかし、そんな時間は長くは続きませんでした」


 パチン、とリリスが指を鳴らす。

 目の前の光景がぐにゃりと歪み、新しい景色が形成されていく。

『HALF』のアジト。そこで二人の人影があった。一人はヒスイ、そしてもう一人は咲良だ。


『お見事ね。魔獣との適合手術は成功よ。晴れてこれであなたも魔法少女になるわ」


『ありがとうございます……』


 咲良の言葉に照れながら記憶の中のヒスイは微笑む。二人の間にできる和んだ空気。しかし、それらを壊すかのように。

 咲良はヒスイの髪をそっと撫でながら優しく囁いた。


『────


『っ!?』


「どいつもこいつも……」


 回想の中で向けられる期待という言葉。そのたびにヒスイの胸中にどす黒い感情が芽生え、ついに無意識に口から溢れてしまう。

 何故、こうも周囲は期待を向けてくるのか。親や咲良だけじゃない。学校の教師や生徒たちだってそうだ。ただでさえ魔法少女としての生活が忙しい中学問でも優秀な成績を修めなければ失望され、任務をこなせなかったら咲良から捨てられる。だからこそ、ヒスイは期待に答える。優等生を演じる。才能なんてないのに、自分は血反吐を吐きそうになるほど努力しないと認めてもらえないのに、あっさりと周囲はそれ以上の期待を向けてくる。

 そんな繰り返しに心は摩耗し辟易とする。本当は分かっている。周囲の人間をいつも恨んでいた。本当は咲良のことが嫌いだった。才能ある人間にいつも嫉妬していた。正義感とか使命とかそんなもののために戦ってなんていなかった。ただ、認めてもらうためだけに力を振るっていたのだ。

 

「それを決定づける証拠がありますものね」


 ヒスイの心中を呼んだかのようにリリスが微笑み、パチンと指を鳴らす。

 再び変わる光景。目の前にはサイバースーツを着たヒスイが動かなくなった魔獣に何度も何度も発砲していた。


『いつも! 期待期待ばっか!! 私に才能なんかないのに! 力なんてないのに! どうして! どうして私ばっかりこんな目に合うの!? あんたらが見てるわたしなんか紛い物なのに!! 勝手にフィルター通して見た姿で気持ちよく語らないでよ!!』


「あーあー、えげつないですねー。でもあなたの気持は良く分かりますよ。だって、あなたが努力して得た結果は『ヒスイ』であって『瑠璃垣翡翠』ではない。誰も『翡翠』という本当は黒くて醜くて愚かな少女を愛している人なんて誰もいないんですもの」


「……でも、これでよかったんだ。確かに苦しい道だけど認めてもらえるならそれでいいんだよ。魔獣退治はストレスの捌け口になってくれるし、期待に答えれば居場所はできるから」


「あら、今の正当化しちゃいます?(笑) まあ、あなたがそう言うならそれでいいんでしょうけど。しかし、事態はそうも言ってられなくなるんでしょう?」


「……? 言っている意味が────」


 リリスの不敵な笑みと共に呟かれる言葉にヒスイが疑問の表情を浮かべる。直後に目の前で変わった回想を見てヒスイの表情が徐々に青ざめていった。

 目の前には咲良と記憶の中のヒスイ、そしてヒメコにもう一人。黒いボサボサの髪に青い三白眼のボーイッシュな少女。


『紹介するわ。この子が『HALF』の新しいメンバー、四十澤優羽よ』


『ユウって呼んでくれていいよ。あたし、まだ魔法少女になったばかりだから役に立てるか分かんないけど頑張るよ』


『よろしく、ユウ。私はリーダーのヒスイ』


『僕がヒメコだよー』


 目の前で和気あいあいと握手する三人。その光景をヒスイは恨めしそうに睨んでいた。

 ────こいつだ。こいつのせいで、私は。

 

「っ!?」


 ブンブンと首を横に振り、先程の思考を否定しようとする。

 一体全体何を考えているのだ、そもそもユウは仲間で。


『じゃあさ、試しにあそこの魔獣たちを狩ってみようか。君の実力がどんなものか見てみたいし』


 はっ、とヒスイは目の前の言葉に顔を上げる。

 気が付けば再び回想は変わっていた。夜の街をヒスイとユウが並んで歩く。目の前には幾多もの翼を生やした人形の山羊のような魔獣が並んでいる。


『……あまり期待するなよ?』


『大丈夫だって。ヤバそうだったらすぐ助けるから』


『分かったよ……。────じゃ、行くぞ』


 と、それまで気怠そうにしていたユウが突如目を細め懐から青色の魔石を取り出す。


『抜刀・燐火』


 青い炎が燃え盛り、ユウの体を包み込む。直後、彼女の衣服は黒いゴシックドレスに変わり、右手に刀を握っていた。

 咲良の話によればユウの実力はかなり高いとのことだった。彼女はらしいのだが、どうやら魔法少女としての力を発現させてから数日後にたった一人で体格よりも大きな魔獣を倒したらしい。しかし、そんな実績を残しているとはいえ、今回の敵は二十体。戦闘経験をこなしたヒスイでも苦戦はするほどの数だ。まだ経験が浅いユウにいきなりこんな任務を与えて大丈夫なのか、とヒスイは危惧したが咲良が「見てみなさい」と下がらないので仕方なくやらせることにした。ヒスイの考えではせいぜい五~六体程度だろうと括っていたのだが……。


『……え?』


 目の前で広がる青い爆炎。同時にユウが目に止まらぬ速さで次の対象へ向かい、斬撃を叩き込んでいく。

 十秒につき、一体の撃破。それほどのペースで順調に敵は倒れていく。淡々と魔獣を狩っていくユウの表情に苦痛はない。それがかえって彼女の異質さを物語っていた。

 三分も経たない内にユウはヒスイの元へ戻ってくる。傷一つなかった。


『終わったぞ』


『あ、ああ……。はは、すごいね、あんた……』


 ヒスイはぎこちない笑顔でユウの成果を褒める。

 しかし、その内心では。


「────焦っていたんでしょう。このままではまずい、と」


 リリスが心の中を呼んだかのように、的確にヒスイの心中を耳元で囁く。

 愛を乞うように。恋仲の名を呼ぶかのように。情交へ誘うかのように。

 囁く。


「このままでは自分が必要とされなくなる。愛されなくなる。何故なら弱いから。期待に応えられなくなるから。そんな子は要らないのだから」


「はっ、はぁっ……」


 全身から冷や汗が流れる。呼吸が荒くなる。心臓がうるさい。

 これまでに見せつけられてきた過去の自分と、隠していた本音。そしてリリスの堕落への誘い。

 それらがヒスイの心を掻き乱し、もはや彼女の言葉を否定することができなくなっていた。


「ねえ、どうしてこんな人達のためにあなたは頑張っているの? どうしてそこまで自分を偽りながら『良い子』を演じようとするんですか? 誰もあなたを愛さないのに? 表情を押し殺した上っ面の姿しか見ていないのに? こんなぽっと出の人間に立場を危うくされるほどあなたの居場所は用意されていないのに?」


「ち、ちが……」


「本当のあなたは嫉妬と猜疑心に塗れていて、周りの大人も同年代の女の子たちも、年下の子供にすら信じることができないのに? どうして、『その程度』の人間に必死になろうとするんですか」


「違う、違う違う違う違う!! 確かに、咲良さんは取り繕った私しか見ていないし、ユウなんか努力していないのに才能だけであたしの立場を奪おうとしていて、それでも……それでも!!」


 そこまでのヒスイの言葉を聞いてリリスはほくそ笑んでいた。

 気が付いているだろうか。彼女はもう、自らの内に宿す黒い感情を抑えることができなくなっている。

 あと少し。ほんのあと少しだけ、背中を押してやれば。

 そこまで考えた所でヒスイが叫ぶように言った。


「────それでも、ヒメコだけは違うの!!」


「……………………なるほど」


 必死に、絞り出すように言ったヒスイの言葉を、リリスは数秒の間を置いて咀嚼し、理解して。

 ────三日月状に、その口角を上げた。


「その子だけは、あなたを愛してくれると」


「そうだよ……ヒメコだけは、私を見てくれる……。私を必要としてくれるの」


「そうですか。では、あなたのその本心を聞いたら彼女はどうすると思いますか?」


「えっ?」


 リリスの言葉にヒスイは心外といった表情でリリスを見つめ返す。

 本気で、彼女が言った意味を理解できていなかった。


「あなたの胸になるその嫉妬を、猜疑心を、黒い感情を知ってしまったら、その子はなんて答えるでしょうか。例えば今、私の言葉であなたが惑わされていることを彼女が知ったらなんと言ってくると思います?」


「…………はっ、えっ、ぁ?」


 ひたすら困惑の声を上げるヒスイ。

 ぎこちなく、彼女は笑みを作る。それが、彼女に出来る精一杯の反応だった。本当に、意味が分からなかったのだ。想像することすらできなかった。

 パチン、とリリスは指を鳴らす。

 ヒスイの目の前に、ヒメコが立っていた。


『……ぃ。ぃ、ゎ、んなこと、しない……』


「ヒメコ……?」


 目の前のヒメコの幻にヒスイは懸命に聞き取ろうとする。

 ────その言葉は、ヒスイの心を打ち砕くにはあまりにも十分すぎた。


『ヒスイちゃんは! ヒスイちゃんが負の感情を持っているなんて! 僕は知ってるんだ、ヒスイちゃんはで、なんだ!!』


「何を、言って……」


 違う、とヒスイは首を横に振る。

 本当の自分は出来た人間なんかじゃない。完璧なんかではない。あくまでもそれは『ヒスイ』という仮面を被った姿なのだ。本当の『瑠璃垣翡翠』はもっと矮小で、嫉妬深くて、ちっぽけな普通の人間なのだ。

 だから。だから。


『だから、ヒスイちゃんがそんな! ! !!』


「違う、違う……違うの、ヒメコ……わ、私、私は…………ぁ」











 ────ああ、そうか。

 ヒメコも、結局みんなと同じで。











 誰も私を見てくれないんだ。











 ピシッ、とひび割れる音がした。

 音がした方向にヒスイは顔を上げる。いつの間にか目の前の光景が最初と同じ極彩色の大地と空に戻っていた。その中に一点だけ空間に穴が空いていた。

 その穴から覗かれるのはドロリと粘ついた液体のようなもの。それが溢れ出し、ピシッ、ピシッ、と次々音を立てて空間に穴が空いていく。

 精神世界の崩壊。それがすなわち意味することとは。


「…………………………リリス」


「はい♪」


 背後に抱きついている柔らかな女性の名前を呼び、彼女が快活に答える。

 その髪を愛おしそうに撫でる感触に身を委ねながらヒスイはゆっくりと振り返った。

 金色の瞳にヒスイの顔が映り込む。その表情は。


「────私を、愛して?」


 壊れていた。

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