第34話 橘 鮮花

 八歳の時、とうとうセンカは集落から逃げ出した。

 無理もない。生を受けてからずっと虐げられてきたのだから。実の両親は心配すらしていないだろう。むしろ憎する我が子が消えて喜んですらいるのかもしれない。

 いつ魔獣が出没するかもわからない恐怖を押し殺しながら、森の中を裸足で駆けていき、京の町に辿り着いた所でセンカは気を失って倒れてしまった。

 時刻は深夜三時頃。辺りに人などいるはずもない。そのはずだった。


「あれ?」


 幸いなことに、どういう訳だか一人の女がセンカの側を通りかかった。

 それがセンカとミコトの出会いだった。






※※※※







 ────たちばな海琴みこと。センカを保護した女の名前であった。

 年齢は三十代前半。ロングの黒髪に黒い瞳の大人びた容姿とは裏腹に快活とした性格の持ち主だった。

 どうやら結婚を前提に付き合っていた男と半年前に破局してしまい、「子供、楽しみにしていたのになぁ」と自嘲気味に笑っていた。

 本気で子供が欲しくてセンカを誘拐したわけではないだろうが、娘のような存在が出来てさぞかし嬉しかったのだろう。センカを溺愛し、悉く甘やかした。

 センカもミコトに信頼を寄せていたのだが、初対面の時からかと言われればそうでもなかった。無理もない。常に嫌われ続けられた生活を送り、命からがら集落から逃げ出し気絶して目が覚めたら知らない部屋でお姉さんがニヤニヤとこちらを眺めているのだ。本気で誘拐されたのだと疑った。

 だがそんな彼女の緊張を解す出来事は起きたのだ。


「ねえ、名前何ていうの?」


「……どうして知らない人に教えなきゃいけないんですか」


「いいじゃん、減るもんじゃないし。その格好、家出したんでしょ? まあ詳しい事情は聞かないけどさ。そんなボロボロになるまで逃げてきたってことは多分居場所がなくなったからなんだろうなぁって予想で」


「…………」


 ミコトの言葉にセンカは絶句する。

 その反応こそが図星であることを物語っていた。


「ほらね。まあ、このままじゃアンフェアだし先にあたしが名乗っておくか。ミコト。橘海琴。それがあたしの名前よ、よろしく」


「……センカ。名字はないです」


「へぇ。なんて書くの?」


「…………」


 きゅっ、と唇の端を噛みセンカは目を逸らす。辛い記憶を思い出さまいとしているかのような表情にミコトは嫌な予感を胸に覚えた。

 だがセンカは立ち上がり、テーブルにメモ帳とペンが置かれているのを見ると手に取って何やら文字を書いていく。

 そこには『千禍』と書かれていた。


「……本当にそういう名前なの? 周りが付けたひどいあだ名じゃなくて?」


「わたしを産んだ時に両親はそう名付けたそうです。不幸を呼ぶ子だって……」


 もちろんセンカは千禍という字が何を意味するのか当初は知らなかった。だがわざわざ母が口にしたのだ。「お前は千の禍いを連れてくる悪魔だ」と。

 それを聞いたミコトは「ふーむ」と顎に手を置いて、


「それじゃいくらなんでも可哀想でしょうよ。そうだ、じゃああたしが名付けてあげる!」


「へっ!?」


 と驚くセンカを他所にすらすらとミコトは文字を書き連ねていく。

 そこに書かれていたのは、『橘鮮花』という文字であった。


「たちばなせんか。鮮やかに咲く花。どうだい、美しい名前だろう?」


「────はっ」


 思わず息を呑む。

 図らずもミコトが提示した名は本来センカに与えられるはずの名前であった。思わず涙が両目から溢れる。


「居場所がないならあたしが作ってあげるよ。今日から君はあたしの家族だ」


「家族……」


 初めて与えられる温かい感情にセンカは涙を流し続ける。

 その日、センカは初めて絆を得て。

 彼女の本当の人生が始まった。





※※※※






 ミコトに拾われてから五年後。

 学校に編入し、差別されることもなくすっかり人間との暮らしになれたセンカは放課後に友達と一緒に下校しないかと誘われたのだが、手を合わせて彼女は謝る。


「ごめん、今日は急いで帰るから!」


「もしかして、また魔法少女の番組?」


「そうそう! 家に帰るといつもギリギリなのよ~」


「センカって本当に魔法少女好きだよねぇ」


「あはは……」


 魔法少女の番組、といってもテレビアニメではない。実際に魔獣と戦う魔法少女たちを取材した特集番組の放送だ。

 自分だけでなく他人を率先して助ける姿、力の強い者が弱い者を守る関係。鬼が最も忌避するであろう価値観だが、センカは彼女たちのその姿に強く惹かれ、魔法を使えない体ながらも魔法少女という職業に強く憧れていた。

 いつもり早い時間帯に帰宅するのでミコトも「あんた本当に好きねぇ」と呆れながら頭を撫でてくるだろう。いい加減子供扱いされる歳ではないと思っているのだが、そんなやり取りもセンカは好きなのであった。

 そろそろ見慣れた家が視界に入る。いつも通りただいまと声を上げてリビングへ駆け込もう。そんなことを考えながら玄関の前に立ち。





 ぞわり、と背筋に悪寒が走った。






(────ッ!?)


 空気が一変する。淀んでいるかのような不穏な空気。

 ざわざわと鳥肌が立っていく。この先にいてはならない冒涜的な『何か』が待ち受けている感覚。

 あたりを見回すと、灯りが消えていた。人の気配を感じられない。間違いない。センカは魔獣の住処である異界に引きずり込まれた。

 そして『何か』が潜んでいる気配は目の前のドア。そう、センカの家内から感じられるのだ。だとすると中にいるミコトは?


「ッ、ミコト!」


 考えた時には既に形振り構っていられなかった。センカは勢いよくドアを開け、土足のまま中に入る。

 途端に、鼻腔を突く強烈な刺激臭がセンカを襲った。血腥ちなまぐさい。まさか、そんなはずは、とセンカは震える体でリビングのドアを開ける。

 直後に一層濃い血の匂いがセンカの鼻を襲う。部屋中に充満する鉄臭い匂い。くちゃり、むしゃり、と口を開けたまま咀嚼するような不快な音が耳に入ってくる。

 恐る恐るセンカはそちらの方へ顔を向けた。

 


 それは一見、人のように見えた。

 異様に伸びた巨大な腕と、体毛が一切ない銀色に覆われた肌。そして顔面には本来あるべき目や鼻のパーツがなく、それらを覆うかのように大きな口がぽっかりと開いているだけであった。


 




 そして。

 奴は、口から大量の赤黒い液体を溢し。

 その真下に、顔を食い千切られたミコトが倒れ






「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」


 始め、その叫び声が自分のものだと気付けなかった。

 思考するよりも早くセンカは駆け出していた。拳を握り締め、精一杯の力を込めて怪物の頭を殴る。

 ぬめぬめした不快な感触が手の甲を撫でる。手応えは感じられなかった。怪物にはダメージなど入っていないだろう。

 だが、そんなことなど関係ない。センカは、大切な家族に手を出された怒りで恐怖など等に吹き飛び、敵意を剥き出しにして怪物を睨みつけていた。

 

「────」


 声帯がないのか、怪物はじっと声も上げずにこちらを見つめる。

 目が存在しないのだが確かにセンカは視線を向けられているのを確信した。


(────くそ、あたしに鬼の力があれば……! せめて魔法だけでも使えれば……!)


 歯ぎしりする。もし、テレビで見た魔法少女のような力があれば。だが所詮は夢物語。どんなに願った所で現実は優しくはない。

 

(でも……それでも!)


 キッ、と目の前の怪物を睨みつける。

 センカは再び拳を握り締め、怪物に向かって駆け出す。


「はああああっ!!」

 

 怒号を上げながら拳を振り下ろし。

 ドッ、と勢いよくセンカの体が吹き飛んだ。


「ぐぇう!?」


 呻き声を上げながらずるずるとセンカの体が落ちていく。

 同時に背中と脇腹がじんじんと鈍痛が広がっていく。どうして脇腹が、と疑問に思いながら触れると、ぬめりとした生温かい感触があった。

 センカの脇腹からおびただしい量の血が流れていた。視線を怪物の方へ向けて納得する。その大きな腕から伸びる鉤爪に血痕が付着していた。


「あ、あぁ……」


 出血多量と恐怖によってセンカの体が震え、カチカチと歯の根が合わなくなる。敵わない。敵うはずがない。所詮、センカは何の力も持たない無能者なのだ。

 どうしようもない無力さと無念さにセンカは打ちひしがれる。やはり自分は『千禍』なのだ。忌まれて当然の存在なのだ。だから、この結末は当然のことなのだ。絶望に飲まれたセンカの思考はとうとう自分自身すら否定し始めて。



 瞬間、センカの指先に冷たい何かが舞い降りた。

 驚いたセンカが顔を上げる。その視界に入っていたのは……。



「雪?」


 白い雪が舞っていた。

 同時に気付く。部屋の温度が著しく下がっていることに。


「遅れてしまってごめんなさい。もう少し早ければもう一人の命を助けられたのに」


 背後から声があった。

 驚いて振り返ると、白い髪に雪の結晶の耳飾りを付けた着物の少女がいつの間にか立っていた。


「あなたは……?」


「雪葉。『白い烏』と呼ばれる組織の一員の魔法少女よ」


「っ!? 魔法少女!?」


 本物が? どうしてこんな所に?

 突然の事態に頭がついていけず混乱するセンカ。

 対して雪葉は冷静に怪物を見据え、一言呟く。


「凍れ」


 直後、急速に冷気が集まっていき、一瞬にして怪物の体が氷に包まれた。

 あまりにもあっけない決着。本物の魔法少女の実力にセンカは目を疑うしかなかった。

 だが、そこで緊張感が解れてしまったのか、あるいは血液を失った代償か。センカは意識を失い、倒れ込んでしまった。






※※※※






 それから。

 意識を取り戻したセンカは病室にいた。大怪我を負ったのだから当然のことであった。

 そして病室には置き手紙で雪葉の伝言が残されていた。ミコトが死亡したということ。救えなかった償いに彼女を埋葬し、墓を立てたこと。退院したら話があるから墓前で待っているとのことだった。

 ミコトが死亡した。頭では理解していても現実感など湧かず、やがて彼女が二度と姿を現さないことを受け入れた途端、涙が溢れて止まらなくなった。一日中咽び泣き、嘆き、後悔をたくさんして、ようやく落ち着いて。そうして退院する頃には一つの覚悟を決めて、彼女はミコトが眠る墓前に立っていた。

 

「……すまなかったな」


 背後から別の声が掛かる。

 振り返ると、白いペストマスクを被った長身の男と、センカを助けた魔法少女、雪葉が立っていた。

 男はゆっくりとセンカの元へ歩み寄り、言葉を掛ける。


「……我は八咫烏。……『白い烏』の指揮官。……我は見ていたぞ。……力も持たぬというのに怪物に立ち向かっていく勇姿を。……あと一歩だった。……もう少し早ければ、貴様の家族を救えはずだった。……本当にすまない」


「……いえ、謝ることじゃないです」


 センカは目を伏せながら謝る。


「魔獣の侵略。あれは防ぎようがありませんでした。ですから、あなたたちが謝る必要はないです」


「……しかし、それでも貴様の家族を守れなかった罪は我々にある。……償いは払おう。……死者を蘇らせる術は我々には持たないが、出来る限りの望みは叶えてやろう」


「でしたら……」


 八咫烏の言葉に、センカは深呼吸をしてゆっくりと彼の瞳を見据える。

 そして、頭を下げながら大声で彼女は言った。


「力がなくても……たとえ、魔法が使えなくても、魔法少女にはなれますか!」


「……」


「えっ」


 センカの言葉に驚いた顔をする雪葉と無言を貫く八咫烏。

 センカは頭を下げ、二人の顔を見ないようにしていた。内心、口走ったことを後悔していたのだ。

 だが八咫烏が返した反応は意外なものだった。彼は優しくセンカの頭の上に手を置いたのだ。


「……なれる」


「っ!?」


 一言、彼はそう答えた。


「……魔法など関係ない。……力が無ければ得ればいい。……魔法少女は誰にでもなれる。……奇跡は起きるのでなく、起こすものだのだから」


「ぁ」


 彼の言葉にセンカは小さく声を漏らしていた。

 ふるふる、と体が震える。

 嗚咽を漏らし涙を流しながら、センカは答える。


「あたし……ずっとなりたくて……ずっと、ずっと憧れていて……! 皆さんみたいに守る存在になりたくてっ! だから……だからぁ……!」


「……貴様が『白い烏』に加入するというなら、喜んで歓迎しよう。……彼女を救えなかったせめてもの償いだ。……居場所を提供し、必ずや魔獣に一矢報いる魔法少女として育てることを約束しよう。……雪葉も構わないな?」


「はい、大丈夫です。君、名前は?」


「橘……。橘鮮花です」


 顔を上げ、涙を拭いながらセンカは答える。

 その瞳には強い覚悟を宿した光が灯っていた。


(守れなくてごめん、ミコト。……あたし、必ず強くなってあなたの分まで生きるから)


「センカ……。いい名前だね。私はさっきも名乗ったけど、雪葉って言うわ。よろしく」


「はい、こちらこそお願いします!」


 そうしてセンカは雪葉と握手を交わした。

 彼女の、魔法少女としての第一歩が始まったのだ。






※※※※





 センカの斬撃が、ユイハの鎌先を切り落とした。

 カランカラン、と音を立てて刃が落ちる。

 その様子を、ユイハは見開いた目で見つめることしか出来なかった。


(……切っ、た? 鎌先を? 刀で? 金属だぞ? あいつは魔法を持たない。まさか、まさかただの斬撃だけで鎌を切ったのか?)


 困惑。

 ユイハは目の前で行われた事実を受け入れられず混乱する。


「さあ、もう堪忍なさい」


 背後からセンカの声が聞こえてくる。

 刀を首先に向けて、彼女は言った。


「これで、もう終わりよ」


(嘘、だ。あたしが、このあたしが? 嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ)


 ユイハの思考を狂気が埋め尽くす。

 それは己のプライドを傷付けられたことから来る怒りではない。

 彼女の表情は焦燥と恐怖で埋め尽くされていた。

 そして、止めの一言をセンカは言い放つ。


「もう、あなたの負けよ」


「ま、け?」


 ユイハが呟き、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 その瞳には光がなく、こちらではないどこかを見つめて彼女は言っていた。


「あたしの、負け? また……またなの!? ああ、ああ、あああああああああ!!」


「どうしたの、落ち着きなさい!」


 眼帯を押さえ、何かに怯えるかのようにユイハが悲鳴を上げる。


「ああ、父さん、母さん、兄さん、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! あたし、あたし、また負けっ、負けてっ、嫌、いやっ、父さん、母さん、兄さん、許して!!」


「な、何……!? いいから、落ち着いて!」


 体をくねらせ、ふらふらとした足取りでユイハが逃げようとする。

 いけない、とセンカが彼女の肩を掴んだ瞬間だった。


「あたしにっ、触るなっ!!」


 直後、センカの視界が真っ赤に埋め尽くされる。

 気が付いた時には、センカの体は横に倒れ真っ赤に染まった壁を見つめていた。


「────?」


 突然のことに頭が追いつかず、センカはゆっくりと顔を上げる。

 腹から胸にかけて一直線に深い傷ができ、そこから血が漏れていた。彼女が見ていた壁は飛び散った鮮血が付着したものだろう。

 そう理解した途端、激痛が走り始める。


「がっ、あぁ……!!」


 痛みに呻きながらもセンカはユイハの方を見上げる。

 ユイハの背中から奇妙な腕が一本生えていた。

 まるで獣のような黄金の体毛に包まれ、掌に口が生えたグロテスクな腕。まさか、とセンカは戦慄する。

 魔獣化の進行。ユイハの『人間性』が著しく下がり始めていた。


「あ、ああっ、違うっ、違うの……! こいつは魔力がない、だから無駄……無駄なんだよ!!」


 と叫ぶユイハ。

 そうしている間にも、彼女の背中から次々と口を生やしたグロテスクな腕が足が翼が生えて生えて生えて。


「だから、だから、父さん、母さん、兄さん、父さん母さん兄さん兄さん兄さん母さん父さん父さん父さん父さん母さん兄さん父さん母さん母さん兄さん母さん父さん兄さん父さん母さん兄さん違う違う違う違う違う違う────アヤメ様」


 ぴたり、とユイハの動きが止まる。

 同時に、彼女の背中に生えていた魔獣の一部が再び彼女の背中の中へ沈んでいった。

 虚ろだった瞳に光が灯る。

 センカと視線が交錯する。一瞬だけ見つめ合ったその瞳は憂いに満ちていて。


「っ」


 直後、踵を返してユイハが去ってしまった。


「待っ……くっ、うぅ…………」


 追いかけようとするも体は激痛に苛まれ、ろくに動かすことも出来ない。

 出血と疲労が重なったせいか意識も朦朧としてきた。

 センカは腰に備えてあった発煙弾を上空に向けて発砲し、壁に身を預ける。


(ごめん、雪葉、『砂』、ビクビクちゃん。あたし、ここでもう限界だ……)


 これ以上の戦闘は危険だ。魔法が使えない以上センカは自分の傷を治療することも出来ない。

 悔しさに苛まれながらもセンカは残りのメンバーに託し、ゆっくりと意識を手放していった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます