夢、或はある少女の回想

 元々、少女の名前はパンドラではなかった。

 ましてや幼馴染のエリスですら、本名ではなく『魔女様』から与えられた名前だった。


 ────思えばこの時から『魔女様』はパンドラたちの運命を定めていたのかもしれない。


 パンドラたちの地元の小さな村では魔女信仰が主流となっていた。

 作物も縁も安産も健康もその祈願は全て魔女へと向けられていた。実際、この村に訪れた『魔女様』は様々なを掛けて村を救っていったのだ。村人たちが彼女を神格化させるのも無理はなかった。

 やがて『魔女様』は自身の魔術を少女たちに教えると言った。もちろん村人たちは喜んで娘たちを弟子入りさせた。少女たちも喜び、村の奥にある森で彼女から魔術を教えてもらっていた。

 そして少女たちの間でもとりわけ才能が突出していたのが二人。

 その二人こそがパンドラとエリスだったのである。


「パンドラちゃんは本当にすごいわねー。ついに魔力回路を完全に覚醒させるなんて」


「え、そんな……。それ程でも、ないです……」


 『魔女様』の褒め言葉を聞いたパンドラは恥ずかしそうに俯きながら呟く。

 この日、彼女の瞳は金色に染まった。『魔女様』と同じ瞳。彼女の言葉によれば、魔力の回路が完全に覚醒し制御できるようになると魔法から遂に魔術への行使がノーリスクで可能になるという。

 実際、言われたとおりに術式を構築し実行してみるとすんなり発動させることができた。周囲の少女たちが「おお」と感嘆の声を上げる。


「いいなーパンドラもそこまで行けて」


 後ろで体育座りする黒い髪に黒い瞳の幼馴染エリスが不貞腐れたような表情を浮かべて声を掛ける。

 彼女のボヤキに苦笑いしつつも返したのは『魔女様』だ。


「大丈夫よ、エリスもパンドラに負けない勢いで成長しているし。そうだね、あと一週間ぐらいで覚醒するかな?」


「本当!? よーし、もっと頑張るぞ!」


「無理しないでね、エリス」


「その通り。もう時間だし今日はここまでよ。帰る頃には夕飯の時間よ☆」


 パン、と手を合わせ笑顔で『魔女様』はそう言う。

 その言葉を合図にぞろぞろと少女たちが解散していく。パンドラとエリスも彼女たちに続いて歩いていたが、ひたと歩みを止める。

 そして同時に顔を見合わせいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「じゃ、そろそろ」


「物色の時間ね」


 二人は踵を返し手を繋いで元の修練場へと戻っていく。

『魔女様』はこの森の奥にある小さな家屋に住んでいるのだが、教育が終わったあとはこの家屋の更に奥へと姿を消していく。

 大体彼女は二時間ほどで帰ってくる。その間に目ぼしいものがないか手当り次第物色するのが彼女たちのお楽しみの一つになっていた。

 今日もこっそりと侵入し棚や机を見回す。


「毎日新しいものが見つかるよねー。どこからこんなに持ってくるんだろ」


「そこは魔術で持ち込んでるんじゃない? でも今日は面白そうな本がそれほどないし……何かないかな……」


「うーん、机の上とか……あっ」


 とエリスは机の上にある小さな箱を見つける。

 何の変哲もない黒く塗装された正方形の箱。鍵らしきものは見当たらず、簡単に蓋を開けられそうだ。その箱を一目見た途端、ドクンとエリスは自身の心臓が強く高鳴るのを感じた。


「ねえ、パンドラ」


 声が震えている。どうしてか分からないが。

 呼ばれたパンドラは振り返り、箱を目にする。


「なあに? 珍しい箱があるね」


「うん……」


 彼女の言葉に力なく頷く。

 どうしてだろうか、あの箱を一目見てから異様に興味をそそられる。中身が気になるだとかそんな子供じみた感情ではない。衝動。あの箱を開けなければならない、と本能が訴えている。


「開け、ないと……」


「エリス?」


 様子がおかしいことに気が付いたパンドラが不安げな声を上げる。

 だが、その声はエリスの耳には届いていない。だって開けなければならないのだから。頭の中で『声』がそう囁いているのだ。

 ────『声』? 誰の?

 僅かながら理性が疑問を抱くがそれも強い衝動に掻き消される。


「ねえ、パンドラ……開けようよ」


「え? そりゃ確かに中は気になるけど……。エリス、さっきからどうしたの?」


「うん……開けよう」


 まるで導かれるままにエリスの足が動き出す。その動きに意思が介入しているようには見られなかった。

 ぎこちなくゆっくりとした足取りでエリスは箱へと向かう。その蓋へ指先が触れる直前でバシッ、と強く手首が握られた。


「……エリス」


「開けないと……その箱を開けなきゃ────」


「エリスっ!」


 強く言葉を掛けパンドラはエリスの肩を揺さぶる。

 そしてエリスがこちらの方を振り向き、その虚ろげだった瞳に光が戻っていった。


「ぁ……。あ、れ……わたし、何を……?」


「エリス、もう帰ろう。今日はもう物色するのは危ないよ」


「あ、え? そう、かな……」


「うん。あたしたちよりずっと凄い『魔女様』のことだもん、きっとあたしたちが扱うにはまだ早すぎるのよ。だから今日は、ね」


「そっか……。うん、分かった。帰るよ。帰って、帰らないと。『声』、『声』が収まるもんね。そうすれば開けなくても……」


「エリス……?」


ぶつぶつと独り言が増えていくエリス。

その視線がパンドラではなく前方の机の上に向かっていくのを見たパンドラの顔が青ざめていく。


「……やっぱり、開けなくちゃ────」


「もうやめて!」


 今度は目にも留まらぬ速さで箱を開けようとしたエリスを止めようと、とっさにパンドラの手が伸びる。

 何とか彼女の手を払うことに成功する。だが、その反動でパンドラの手が箱に当たってしまった。

 カラン、と音を立てて箱が机の上から落ちる。その蓋は開いていて。


「……っ、パンドラ?」


 今度こそ、エリスが正気に戻った声を聞いたのを最後に。

 パンドラの胸が何かに貫かれた。


「が、ぁ…………!?」


 周囲が黒い靄に覆われていく。

 景色が目まぐるしく変わる。頭の中で乱立した映像が叩き込まれる。

 赤く染まった空、枯れ果てていく草木、腐り果てた動物の死体、皮膚が黒く染まった人間たち。

 痛みはない。だが声を発せない。体が動かせない。眼球とは関係なしに脳内で映されるイメージに心が張り裂けそうになる。

 そんなパンドラの耳元で。

 この場にはいないはずの『魔女様』の声が確かに囁いてきたのだ。


「おめでとう。今日から貴女は『災厄の魔女』として歓迎するわ☆」


 直後、パンドラを見つめる金色の双眸が六つ出現していることに気付いて。


(エリ、ス…………)


 最後に愛おしい幼馴染の名前を呼びかけて、パンドラの意識は途絶えた。


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