◇1◇ ほとんど準備不足で迎えた『その日』
そんなに緊張する必要はない。
藍にはそう言った。
だけれども、きっと、私の方がずっとずっと緊張していると思う。さっきから喉が渇いて仕方がない。
乗車前に買った500mlの緑茶はもう半分がなくなっている。
「……潤さん、大丈夫ですか?」
隣に座る藍が心配そうに私を見つめている。その手には、私と同じ緑茶のボトル。
「大丈夫だよ」
「なら……良いんですけど……」
話は数日前にさかのぼる。
いよいよ、来たのだ。
電話が。
『悪いな、こんな時間に』
「いいや、大丈夫だよ」
『あぁ――……、その、何だ、元気にやってるか』
「うん? 元気だけど。どうしたの、恵兄」
『いや、その、何ていうかな。ほら、アレだ。
「そうなんだ。直兄、やっとか」
何だよ直兄のやつ、どうして教えてくれなかったんだ。水臭いなぁ。
どれ、何かお祝いでも送ってやらないと。
『それで――だ。その、まだ籍は入れてないし、式のことなんかもまだ進んではいないんだが、何ていうか、こう、両家の顔合わせというか、いや、そんな堅苦しいもんじゃなくて、まぁ、両家で簡単な食事会っていうかな、その……』
「何だよ恵兄、らしくないじゃないか」
どうしたんだろう、あれかな、年を取って丸くなった、とか? いや、これは丸くなったとは言わないな。
『いや、その……潤、いる、らしいじゃないか』
「いる? 何が?」
『いや、だから、その……恋人、が』
まぁ正直、恵兄から電話がかかってきた時点で、その話をせねばならないとは思っていたのだ。
「いるよ。話すのが遅くなってごめん」
『い、いや、良いんだ、それは』
「何ていうか、ちょっと言い出しづらくて」
『それで、その、そいつとは……何だ』
「何? 恵兄、ちょっと電話が遠いみたいなんだけど」
『いや、その……そう、直と若菜ちゃんの食事会にだな、お前も参加しないか、その、そいつ、と』
「え」
食事会とはいえ、両家の顔合わせなのだ。
そんな場に藍を同席させても良いのだろうか。
ていうか若菜さんのところは一人娘だからご両親を合わせても3人なのに、対してこっちは、藍まで参加するとなれば7人か……? いや、もし
「良いの? 何か
藍とはまだ『家族』にはなっていないのに。
『良いから。父さんと母さんには俺から言っておくから。必ず連れて来るんだぞ。日程は追って連絡する』
「わかった。相手の都合もあるから、絶対とは言えないけど。でも出来るだけ合わせるようにするよ」
そう答え、通話を終える。
私が勤めているあけぼの文具堂には『リフレッシュホリデー制度』というのがあり、4ヶ月に1度、有給休暇もあわせて最大7日間までまとまった休みを取ることが出来る。とはいえ、7日フルで休みを取るものはほぼいないのだが、それでも制度として推奨されていることもあり、皆、自身の業務を調整しつつ、3~4日くらいは連休を取る。
ただ、当然休むとなればその前後が忙しくなるため、休暇は嬉しいけれども……と感じている者も多い。
とはいえ、中西班の
けれども、私の場合は。
これといって趣味という趣味も……まぁ身体を動かすくらいしかないので、連休なんてあっても、ジムに行って、その帰りに飲みに行って、で終わってしまうことも多い。たまに実家に帰ったりもするけど。
藍はちょくちょく細かく休みを取って実家に顔を出しているらしい。彼の目的はもっぱら桃ちゃんに会うため、らしいけど。そんなところも妹思いの彼らしい。
「藍、まだ有休残ってるかな?」
カレンダーをぺらりと捲りながらそんなことを呟く。
藍は我が郷里秋田に来たことはあるだろうか。彼は宮城県の
と、家族に藍を紹介することそのものよりも、その後彼とどこを観光するか、ということの方が正直悩みの種だったりする。
大丈夫だろうか、本当に。
秋田市ならまだしも、本荘由利原なんて、大仏とワインが有名な酒蔵くらいしかないんだけど……。それともレンタカーでも借りてなまはげの里まで行くべきかな?
どうしよう、結構ノープランのままこの日を迎えてしまった。
こんなことなら雑誌なりネットなりでもっときっちり計画を立てておくんだった!!
残りの緑茶を一気に飲み干し、私は、「ちょっとトイレ」と言って席を立った。
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