【at交通機関②】伏見潤もやっぱり巻き込まれる、の巻

◇1◇ 『着ていく服』がない状態を知る

「潤さん」


 とドアの向こうから、私を呼ぶ声がする。

 

 麗らかな日のことだ。

 ここ数日はまたずっと快晴が続き、もう夏が来てしまったのかと錯覚するかのように暑い時もある。けれども、今日はまぁそこまで気温も上がらないようで、一日過ごしやすそうだ。


「入って来ても良いよ」


 そう返すと、「失礼します」の声と共に、ゆっくりと扉が開き、ひょこりと藍が顔を出して――、「ひえっ!」と叫び声と共に再びそれは閉じられた。


「ふ、ふふふふふ服! 服着てください! 服!」

「大丈夫大丈夫。これから着るよ」


 そう、これから着るんだ。それを探しているところなんだよ。


「なぁ、藍。着ていく服がないって、こういうことなんだなぁ」

「な、何ですか?」

「いや、せっかく君と出掛けるんだから、それなりの恰好を、って思うじゃないか。だけど……」


 そう。

 そうなんだけど。


 クローゼットの扉を開放して、そのまえに仁王立ちしてみたものの、その中の大多数を占めているのは仕事着であるスーツや、その中に着るブラウスなのである。


 これはもう着た。こっちはさすがに暑そうだし。


 と、選別していくと……。


「着るものがないんだよ、藍」

「な、ない? ないんですか?」

「ないんだよ、それが」

「じゃ、じゃあ、ええと……か、買いに行きましょう!」

「成る程、そうか。買いに行けば良いのか」

「そうですよ。今日はもともとアウトレットモールに行く予定でしたし」


 今日は仙台空港の近くに出来たアウトレット『アウトレットモールなとり』に行くことになっている。そろそろ新しいジョギングシューズが欲しいと思っていたところ、ひいきにしているスポーツ用品店がそこにあると聞き、せっかくなので行ってみようということになったのだ。

 そこのアウトレットには衣料品だけではなく、古書店も入っており、さらにはフードコートも充実しているらしく、瀬川君曰く「あそこは一日中いられます!」という場所なのだという。


「よし、そうと決まれば――」


 とりあえずはこれで良いだろうか、と薄手のブラウスとスラックスを身に着ける。デートと言うよりは完全に仕事モードになってしまったが仕方がない。これでもまだ精一杯カジュアルなものを選んだつもりだ。


 だって去年のこの時期は、『藍』じゃなかったから。

 彼はまだ『片岡君』であって、『藍』ではなかったのだ。

 去年のいまごろ、私の私服といえばジーンズに男物のTシャツだった。靴もスニーカーだったし、バッグなんて持たず、財布と鍵、スマホを尻ポケットに突っ込んでどんなところにも行った。


 それで良いと思っていたし、恋人が出来たって、変わらなかった。そんな色気のないところをよく指摘されたものである。ちょっと良いところに食べに行くときはスーツを着ていれば問題なかったし、相手もそうだったから。スカートなんてものも履く必要はない、と。

 

 だったんだけどなぁ、と、サイドテーブルの上に置いてあるに視線を落とす。これまで手に取ることもなかった、ファッション雑誌である。しかし、数ある女性ファッション誌の中から何を選べば良いのかさっぱりわからず、瀬川君に相談したのは言うまでもない。そこでお勧めされたのが、この『兼美KenーVi』なのだった。


 瀬川君が言うには、25歳以上の女性をターゲット層にしている雑誌らしく、雑誌名の通り、見た目の美しさだけではなく、『美以外』をも兼ね備えた女性をコンセプトにしているファッション誌なのだそうだ。


 そう言われてみると、確かに自分は25歳以上であるわけだし、紹介されているコーディネートも落ち着いているし、これなら自分でもチャレンジ出来そうだと思えるものが載っている。


 ……まぁ、それでもちょっとまだスカートには抵抗があるけど。

 でも、私でも着れそうなスカートというものもどうやらあるらしい。


「藍、もう大丈夫だよ。着たから」


 その言葉でゆっくりと扉が開く。大丈夫だと言ったのに、それでも藍は恐る恐る顔を出した。そして、私が服を着ていることを確認すると、ホッとしたような顔をして、「失礼します」と言いながら中に入ってきた。


 そして、私の姿をじぃ、と見つめ――、


「……主任」


 と呟いた。


「いや、『主任』って……。ここでは『主任』じゃないだろう?」


 苦笑すると、棒立ちのままちょっと間の抜けた表情で私を見つめていた藍は、ハッとした顔になってぶんぶんとかぶりを振った。


「いや、違うんですよ! 何か、その! 会社の時の潤さんみたいで恰好良くて……つい……!」

「いやぁ、これくらいしかなくてね」


 ベージュのアンクル丈スラックスに、白のブラウス。アクセサリー代わりの腕時計。これなら、靴は、たくさん歩くだろうという想定の元、中敷きにクッションが入った太ヒールのパンプスが良いだろう。外回りの時にも同ブランドのものを履いているが、こっちはプライベート用にと買ったもので、細い革紐を編んだデザインのストラップがついている。


「現地で何かもう少しデートっぽい服を買うから、しばらくの間我慢してくれないか」

「で、デートっぽい服……」


 そう、デートっぽい服なのだ。

 これからはそういう服を増やしていっても良いだろう。最近はそんなことまで考えるようになったのだ。


「待たせたね。行こうか」

「は、はい、行きましょう」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る