【5月】思わぬ出会いがあるでしょう。

【at交通機関①】片岡藍、萌えの対象になる、の巻

∽1∽ 地下鉄での出会い~彼女の憂鬱~

 それは、しとしとと雨の降る憂鬱な午前10時のことだった。


 今朝の占いでは1位だったのに、冷蔵庫の牛乳は賞味期限が切れてたし、雨だからこないだ買った靴も履けない。降るのは午後からだって夕べお天気お姉さんが言ってたから、あの靴も含めてのコーディネートだったのに。


 だけど憂鬱なのはそれだけじゃない。

 今日は私の誕生日だというのに、祝ってくれる人もいない、という寂しすぎる現実もまた。

 

 去年までは実家にいて。

 お父さんとお母さんと、それから足寄あしょろさんもいたから。皆でお祝いしてくれたのに。


「せめて足寄さんだけでもいてくれたら……」


 そんなことをぽつりと呟いて。


 足寄さんは御年12歳の白猫だ。名前の『足寄』は北海道の地名だけど、別に北海道にゆかりがあるわけではない。単に足フェチなのか、とにかく私の足が大好きで寄ってくる子だったのである。歩いている時にまとわりつくのはもちろんのこと、床に座ったりしている時もとにかく私の足を狙ってくるのだ。


 そんなに臭いの、私の足? と悩んだが、家族からの評価は「そうでもないけど?」だった。単なる好みってやつなのだろう。


 だけどいま住んでいるアパートはペット禁止なので、足寄さんを連れてくることは出来なかった。仮にペット可だったとしても、御年12歳のおばあちゃんを住み慣れた家から連れてくることは出来なかっただろうけど。


 だけどやっぱり寂しいは寂しい。


 母親がCOnneCTコネクトで送ってくれる画像と動画だけでは物足りない。かといって、休みをとって帰省するなんて……。


「絶対無理だよぉ……」


 半べそになりながら地下鉄に乗り込む。今日は担当さんと直接的会う日だ。いつもはパソコンのメールでどうにか済ませているけど、数ヶ月に一度、わざわざ東京の本社から来てくれるのである。とはいえ、あくまでも他の仕事のついで、であるらしいのだが。


 所詮なので、そんなにかしこまらなくても良い、ということになっているものの、それは進捗が素晴らしく良い場合の話であって、いまのようにそちらの状況がはかばかしくない場合はその限りではない。


 嫌だよぉ、嫌だよぉ、ばかりを頭の中で繰り返しつつ、席に座る。空いててよかった。

 はぁ、とため息ばかりもついていられない。とりあえずこの移動時間も有効に使わなくちゃ。とりあえず、と鞄の中から愛用の手帳を取り出して気付いた。


 ペンケース忘れた――――――!!!


 馬鹿じゃない? これから打ち合わせだっつってんのに筆記用具ないとか馬鹿じゃない? 社会人としても有り得なくない?

 いやいや、ペンくらい駅にも売ってる、売ってる。落ち着いて私。ただ、お気に入りのやつじゃないっていうことと、あと、まぁ、いまこの時間が無駄になるっていうだけでね、うん。それだけだから。だってスマホにメモするの好きじゃないんだもん。


 ああ、詰んだ。

 

 筆記用具を忘れた。ただそれだけのことなんだけど、それがもうとどめのように感じられてしまう。もう終わった。今日はもう駄目駄目な日だ。塩原しおばらさんは基本的には優しい人だけれども、優しい人だからこそ、申し訳ない気持ちになる。こんな私の担当になったせいで、例えば出世に響いたりとかしないだろうか、とか。


 そんな気持ちになる。

 

 こうなると浮上は難しい。


 私っていつもそうだ。

 占いだとかジンクスだとかそういうのに左右されがちで、何か一つでも躓くと、そこからもう坂道を転がるがごとく上手くいかなくなる。

 けれどそのほとんどはそもそも自分が原因だったりするのだ。もう駄目だって縮こまって、大事なことを聞き逃してたり、判断力が低下してたとか、そんなつまらないミスでどんどん深みにはまっていく。

 そしてこの後は、きっと過去の色んな失敗を思い出したりして、もっともっとどんよりした気持ちになる。そのうちしばらくは家から出られなくなったりして。



「はぁ」


 と、何度めかわからないため息をついた時だった。

 ふと、顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、鋭く冷たい刃のような切れ長の瞳だった。そして不機嫌そうに引き結ばれた薄い唇。


「――ひぃ!?」

「――?」


 ついそんな声を上げてしまい、慌てて口を押え下を向く。

 

 ば、馬鹿! 私の馬鹿!! 

 気付かれた?! 気付かれたかな?! これ、絶対目を合わせちゃいけない人だよ。

 

「あの、俺が何か……?」

「な、ななな何でもないです!!」

「そうですか。失礼しました」


 向かいに座っている男性がちょっと低めの声でそう返す。

 見た目に反して声はちょっと優しい。

 そう思うとちょっとだけ怖さが薄れた気がする。も、もいっかい見てみようかな……?


「――ひいぃ!」

「――!?」


 馬鹿――――!!

 やっぱり怖いし――――!!

 ていうか私、人の顔見て奇声発するとか超失礼な女じゃない!

 でも駄目なのよ、私。若い男の人って何か怖いのよ。さらに見た目も怖いとかもう無理!


「あの、やっぱり何か……?」

「ほ、ほほほ本当に何でもないですから」

「なら良いですけど」


 やっぱり、その目つきの悪い男性は、ちょっと低めの優しい……いや、ちょっと弱めの声でそう返した。

 何だかものすごいギャップ。そう思う。


 少しだけ怖さが半減したような気がして、またちらりと彼を見る。

 

 やっぱり怖い。

 こんなこと言ったら本当に失礼だけれども、とりあえず、カタギの人じゃないだろう。

 だけどスーツはちゃんと着ている。そのスーツも白とか紫とかそういうんじゃなくて、落ち着いた黒のスーツ。細身の。シャツもちゃんとアイロンがかかってる。だから、首から下を見れば普通のサラリーマンだと思う。だけど、首から上は――、


「――!!」


 危うくまたおかしな声を上げそうになって、私は咄嗟に自分の口を押えた。


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