【3月】小さな山を、一歩ずつ登って行こう。
【ほんの日常】片岡藍、遭遇する、の巻
◆◆◆ ホームセンターでのお仕事
あけぼのファイルA4……の、733が3つ、738が2つ……、と、心の中でそんなことを呟きつつ、ずらりと並んだ商品リストに在庫数を記入する。
本当は声に出してチェックしながらの記入が推奨されているが、正直ちょっと恥ずかしい。
ここはホームセンター
営業するでもなく、客として買い物に来たわけでもなく、ただひたすらに自社商品の数を数えている。とはいえ、これももちろん大事な仕事のひとつなのである。
こういった小売店では数ヶ月あるいは年に一度
町の小さな雑貨屋ならまだしも、こういった巨大ホームセンターだと、従業員だけでは厳しいので外部の業者を入れることも多い。いまはこういった棚卸を専門にしている業者というものも存在するのである。
とすると、彼らの仕事を奪ってしまうのではないか、と思われるかもしれないが、これは言わば『仮棚卸』というやつで、隣の棚に紛れてしまっている商品を元の位置に直したりすることを主な目的としている。棚卸代行業者さんは、プライスシールのところに並んでいる商品をひたすら機械的に数えるのが仕事なので、そこに別の商品が混ざっていてもそのままカウントしてしまうのだ。
それに文具というのはそうでなくとも似た商品が多い。ボールペン一つとっても、芯の太さが違えば当然別商品だし、ファイルだって厚さもまちまちだ。社員である自分ですら、パッと見では区別がつかない。そこで、重要なのがバーコードに印字された13桁の番号、通称JANコードである。このホームセンターの社員も商品そのものというよりはこのコードを見て在庫を確認したり注文を受けたりするのだ。
というわけで、心の中でその下3桁を確認しながら作業をしているのである。
「片岡さんお疲れ様です」
黄色のエプロンをつけた社員さんが声をかけてくる。この人は
「前任の
最初の挨拶はこうだった。もちろん慣れっこだけど。どうしてウチの両親は、こんな紛らわしい名前にしたんだろう。いまさらそんなことを言っても仕方ないけど。
「あぁ、お疲れ様です」
「いつもすみません」
と眉をしかめるのは、この作業は本来従業員がするもので、文具以外については彼らも日常的に行っているからだ。
「いえ、現場から見えることもありますし」
「あけぼのさんは皆さんそう言ってくださるそうで、ほんと助かりますよ」
これは嘘ではない。
確かに自社製品の売り上げは見ようと思えば本社のパソコンにアクセスすれば見ることが出来る。しかし、そこからこの店だけを探し出して――となると正直面倒だし、それに所詮数字の羅列である。
どの商品がどのように陳列され、どんな客層が手に取り、買っていくのかというのはやはり現場でしかわからない。それに結構万引きの被害にもあっているようで、どうにも数が合わなかったりもする。いや、たまに「何でこんなところに!?」というところから発掘されるパターンもあるけど。
まぁ、いまのはほとんど潤さんからの受け売りだけど。そもそもこの仮棚卸を提案したのは若き日の――っていまも若いけど――潤さんなのである。
得意先との関係を良好にすることと、それからさっき述べた市場調査を目的として本社に提案したところ、それが通った形らしい。こういう積極的な姿勢も主任昇格への一歩なのだという。
これの導入が決まった時には余計な業務を増やしやがって、と否定的な意見が多かったらしいのだが、やってみるとこれが案外良かった。
潤さんの思惑通り、まずは得意先との関係がそれまでより格段に良くなった。あけぼのさんにはお世話になってるから、と、売場をやや大きめにとってくれる店舗もあったし、新製品の販促物は他社よりも良い場所に置いてもらえたりする。
それに、購買客の様子を直で見られるというのもプラスに働いた。購買客の会話が新商品のアイディアに繋がることもあったし、何より自社製品を手にとってもらえると嬉しい。社員のモチベーションアップに繋がったというわけだ。
あと、まぁ社長の前では言えないが、営業社員の俺らもたまには売上に直接関わらない仕事がしたい時もある。この日だけは月度目標やら成績など、とにかく数字を見なくても良いのだ。だからちょっとだけこの日が楽しみだったりする、俺は。いや、聞くところによると、案外俺だけではないらしい。当時の潤さんもそうだったりしたのかな?
「ファイル製品の売れ行きが良いですね」
「新年度に向けて買っていかれるみたいですね」
文具というのはまぁ安定して年中売れる商品だ。いまは何でもかんでもデジタル化しているが、それでもまだ学生の多くはノートを使うし、ノートを使うということはそりゃ鉛筆やらシャープペンシルも使う。そしたら当然消しゴムに、鉛筆削り、キャップやら替え芯、というものも必要になってくる。
顧客情報にしても、データはパソコンで入力・管理するものの、それを出力してファイルに綴じ保管するパターンが多い。データは何かの弾みで消えてしまったり、開けなくなることがあるが、ファイルの中身は火事でも起こらない限りはいつでも取り出して閲覧することが出来るからだ。
ただ、年中売れるとはいっても、その時期その時期でドカンと売れるものというのはある。いまのように3月はファイル製品、新学期にはノート、受験シーズンには単語帳や暗記シートなどなど。新一年生の文具セットなんかが売れるのもやっぱりいまの時期である。
「お帰りの際には声をかけてください。今日は店長が会議でいないので」
「わかりました」
作業終了後は、店長がいれば店長に、いない時はその日にいる社員に挨拶をし『来店証』を返却して速やかに帰る。もちろん店長がいる日を狙ってアポを取ったはずなのだが、今日になって「緊急の会議が入りまして」と告げられたのである。こういうことも稀にある。
まぁ、本当に「今後ともよろしくお願いします」の挨拶程度なので、別に店長でなければならないということもなく、他の支店では「他の社員で良いから」と丸投げする店長もいるのだとか。
打矢さんが去り、再び作業に戻る。
お次はB4ファイルだ。
と、視線を2段目の棚に移すと、腰の辺りをちょいちょい、と突かれた。
「ちょっと、店員さん。ガムテープはどちらでしょう」
俺を突いていたのは、腰の曲がったおばあちゃんだった。もちろん俺はここの店員ではないのだが、近くに助けてくれるような社員さんもいない。
それに一応、ガムテープの場所くらいは俺だって知っている。さらにいえば、店内の大まかな商品の場所が記載された店内地図も持たされているのだ。暗に、売り場案内くらいの接客はお願いしますね、ということである。
おばあちゃんの歩調に合わせながらガムテープが置いてある通路まで案内し、再び文具コーナーへ戻ろうとすると、「ちょっと」と呼び止められた。
今度は誰だろう、と足を止める。
お次はすらりと背の高い男性だった。
黒いニット帽を被り、黒の薄手セーターに、ベージュのチノパンという出で立ちのその男性は、大きめのサングラスをかけており、何だか芸能人のようなたたずまいである。何かもうとてつもないオーラが出ている。ような気がする。
「文具コーナーはどこかな?」
「あぁ、文具でしたら、いまちょうど行くところでしたので、ご案内します」
「悪いね」
その堂々とした態度もやっぱり何だかただ者じゃない。もしかしたらやっぱり芸能人? そう考えると何とかっていう俳優に雰囲気が似ている。ような気がする。
文具コーナーに着くと、その男性は何かを探しているように棚の端から端をじぃっと眺めている。
こういう場合、積極的に声をかけた方が良いタイプのお客様と、向こうから声をかけて来るのを待った方が良いタイプのお客様がいる。
果たして彼はどっちなのだろう。
そう思いながら、作業に当たる。
ファイルが終わり、バインダー製品が終わり、さて、次は、と筆記具に目を向ける。すると、先ほどの男性はまだ同じところでじっと棚を見つめていた。足を軽くクロスさせ、顎に手を当て、小首を傾げている。ただ文房具の棚を見ているだけなのに何だかとても様になっているのだ。
「――ねぇ、君」
「は、はい」
ついつい見惚れてしまった。じっと見つめていたのを咎められるのだろうか、と身構えていたが、彼は俺がずっと見ていたことなどまるで気が付いていなかったらしく、
「ちょっと探してる商品があるんだけど、良いかな」
と、尋ねてくるのだ。
「えぇと、はい。ただ、僕はここの店員ではないものですから――」
「知ってるよ。エプロンしてないし。文具メーカーの営業だろ?」
「そうです」
何でわかったんだろう。
いや、まぁ大っぴらにここで仕事をしているわけだから、そういう営業だってわかる人が見たらわかるんだろう。
「君んトコの商品かはわかんないんだけど」
「いえ、大丈夫です。他社さんのでも、主要商品であればだいたいわかります」
「さすがプロだね」
プロ……なのかなぁ……?
まぁ、人よりは文具に触れる機会は多いけれども……。
「ええとね、ペン先が万年筆みたいになってるキャップ式のゲルインクボールペンなんだけど。何て名前だったかなぁ、それの替え芯を探してるんだ」
「替え芯タイプの万年筆型ゲルインク……でしたら例えば『金魚鉛筆』さんの
「いや、そんな和っぽい名前じゃない」
「でしたら、
「いや、そこまで高いやつじゃないんだ」
「あとは……一応ウチでもキャップ式の万年筆型ボールペンは出してます。けど、結構安いやつ……ですよ? それにウチのは替え芯がないタイプでして……」
この人ならPYRENEESとか普通にさらっと使いこなしてそうだけど。
「そうなの? 3本セットになっててさ。すごく使いやすかったんだけど。そうかぁ、替え芯がないのか。そうだよな、替え芯タイプなら3本もセットにしないよな」
「3本セット? それならやっぱりウチのかもです
「ああそうそう、そんな名前だったかな」
「それでしたら、このお店にはないんです。というか、あれは先月廃番になりまして」
「えぇ、廃番になっちゃったのか。困ったなぁ。あれ書きやすかったのに」
と、その人は見ているこちらが気の毒に思うくらいに肩を落としてしまった。商品が廃番になることなんて、俺達からすればそう大して珍しいことでもない。けれども、それが売れているということは、愛用している人も確かに存在する、ということなのだ。
「ですが、もしかしたら、TOOLSさんの他店舗にまだ在庫があるかもしれません。ただ……、もしよろしければ、ですね。E to WRITEの後継商品が、こちらに」
と、フックにぶら下がっている3本パックの商品を手に取った。
「こちらです。
SLUCKYとは、スラスラ書きやすい、をコンセプトに生まれ変わった万年筆型ゲルインクボールペンである。3本入りで398円、やはりこれも替え芯はない。
「ふぅん。まぁ見た目もあんまり変わらないし……、良いか」
そう言うと、彼は売り場にあるSLUCKYをすべて掴むと、「助かったよ」と脇目も振らずレジへ向かっていった。こんなにたくさんの商品を取り扱っているこの店で、たったこれだけを買いに来たのか、この人は。
「お買い上げ、ありがとうございます」
その背中にそう言って頭を下げる。
1本辺り130円程度のボールペンは正直安物の部類に属するだろう。けれども、高くたってその人に合わないものもあるし、安くたってお気に入りだったりもする。
あんな海外メーカーの高級品を使っていそうな人だって、ウチの商品を使ってくれてたりもするんだ。
そんな発見があるから、この仕事は辞められない。
そう思って、背筋を伸ばし、残りの作業に取り掛かった。
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