◎3◎ ゆるふわ瀬川いざ勝負?
主任と並んでフロントへと歩く。
古いホテルだからか廊下は少しひんやりとしていて、温泉で火照った身体がちょっとずつ冷えていく。
ちらり、と主任を見ると、その顔は真剣そのもので、まさに勝負を控えた戦士のようだった。大袈裟ですか? いえいえ、見れば絶対にそう思いますって。
フロントに着くと、ここはさすがに暖房がしっかり入っていて、暖かい。その受付の脇に、片岡君はいた。
「やはり先に来ていたか、小次郎……」
「主任? あれは片岡さんですよ?」
ついつい『君付け』から仕事中の『さん付け』に戻ってしまう。なぜならそこに中西主任までいたからだ。最早条件反射。しかし、なぜ中西主任が……。
「巌流島の戦いの気分なんだよ」
「ということは、主任は宮本武蔵……?」
「そうなるね。だったら勝てるんだろうけど。しかし、ギャラリーが多くないか?」
そう、その場にいたのは対戦相手である片岡君の他に中西主任。それから、小橋君は片岡君と仲が良いから良いとしても、牧田さんと川崎さんのコンビに、他課の女性社員もちらほらと。
まぁ、中西主任が見張ってるから賭けなんかは大っぴらに出来ないだろうけど。もしやそのために?
「片岡君、いざ勝負! くれぐれも接待はなしだぞ」
「わかってます。こちらも全力で臨ませていただきます。……と、片岡さんは言ってます」
小橋君の通訳に、ギャラリーの一部がずっこける。私もね。
片岡君、自分でしゃべろうよ、そこは!
と思ったけど、何やら彼は真っ赤な顔で視線を泳がせているのだ。何? 温泉でのぼせちゃったの? それとも、宴会前に一杯やっちゃった? いやいや、片岡君に限ってそれはないでしょ。だとすると――、
浴衣姿の主任を直視出来ないんだ、この人!!
主任! これはチャンスですよ!! 片岡君、思春期の高校生みたいなことになってます!!
なんて言えるわけもないんだけど、とりあえず、『目は口ほどにものを言う』作戦で主任をじっと見つめてみる。すると主任は「わかった」とでも言いたげな顔でゆっくりと頷いた。そして、親指をぐっと立てる。恰好良い。いや、たぶん伝わってないと思う。
主任は卓球台を挟んで片岡君と向かい合い、置いてあったラケットを手に取った。そして、何やらふんふんとそれを検分している。シェイクか、なんて呟いて。
「主任、ペンもありますよ」
そう言って別のラケットを持ってきたのはウチの班の川崎さんだ。ペン? いや、それもラケットですよね?
「助かります。どうにもシェイクは苦手で」
そんなことを言いながら川崎さんのラケットと交換する。あ、成る程、両面にゴムがついてるやつがシェイクっていうのね。へぇー。
と、川崎さんが持っているラケットをまじまじと見つめて、ふと気が付いた。川崎さんを挟んで向こう側に、私と同じように背中を丸めてラケットを覗き込んでる人がいる。
まぁ、顔を確認しなくったってわかるけど。
と、思いつつ顔を上げると――、
「ぅわあぁっ!」
本気で驚いたような声を上げて数歩後退したのは小橋君だった。何だ、どさくさに紛れて私を見てたんじゃなかったの?
「ちょっと何? 何でそんなにびっくりしたの?」
「い、いや、別に……」
「ラケット見てただけだからね、私」
「ぼ、僕もですよ。シェイクがどうとかペンがどうとか、ちょっとよくわからなかったので」
「小橋君も?」
「……はい」
「……私も」
「……」
「……」
そうなんだ。
男の人って皆そういうの知ってると思ってた。
……なんて言えるわけもないけどね。中西主任いるし。どちらかといえば『女性』ってワードに厳しい中西主任だけど、それでも「男とは……」っていうのももちろん突いてくる。触らぬ神に祟りなし。それにきっと小橋君も良い気はしないだろう。
「あの~……お2人さん?」
私達に挟まれている川崎さんが恐る恐るといった体で挙手した。
「俺そろそろこのラケット片付けてきて良いかな?」
「すみません! どうぞどうぞ!」
「ごめんなさい! どうぞどうぞ!」
何かもうほぼ同時に、似たような台詞を似たような仕草で言うと、川崎さんは「君達って、双子みたいだよねぇ~」なんておどけながらフロントへと向かって行った。
私と小橋君は卓球台のネットのすぐ脇の、私は主任側、小橋君は片岡君側に立っている。私達の間にも見えないネットがあるみたい。
私達がそんなやり取りをしていた間に試合は始まっていて、あっという間に2点が片岡君に入っていた。
「――ねぇ、片岡君って卓球上手いの?」
中西主任に聞かれないよう、前を向いたまま小声で問い掛ける。すると小橋君も2人の試合から目を逸らさずに「たぶん」と言った。
「藍ちゃんって、球技全般そこそこ出来るんですよ。一番得意なのはバレーみたいですけど。元バレー部らしくて」
カコン、カコン、と白球が主任と片岡君とを行ったり来たりする。ラリーは一応続いているのだが、あまり大きく動かない主任とは対照的に、片岡君は右へ左へと大忙しである。どう見ても主任の方が強いように見えるんだけど。
「あぁもう主任ってば、変なところに打ち返すからなぁ。接待なしって言ったはずなのに、片岡の野郎……」
ラケットを返してきたらしい川崎さんが、私の隣に立ってそんなことを言う。
「どういうことですか?」
そう問い掛けると、小橋君も気になるのか身体を捻って川崎さんを見た。
「いや、片岡が本気出したらあんな風にはならないって。あれは、父と子のやりとりっていうかさ」
「え? ち、父? ですか?」
「ほら、
言われてみれば、主任が色んなところに打った球を、片岡君は、必ず主任が立っているところに打ち返しているようだ。
そんなこと出来るんだ。
見かけ倒しの気弱君に主任の恋人なんて務まるのかなって思ってたけど、案外大丈夫そう。
「藍ちゃん、すごいなぁ……」
「ほんとだね。ちょっと見る目変わるかも、これは……」
「えぇっ!?」
ぽつりと呟いた言葉に小橋君が反応した。
「どうしたの?」
「いえ……その……。やっぱり……瀬川さんも藍ちゃんみたいな……」
「なぁに? 聞こえないよ?」
「いえ、何でもないです……」
別に、見方が変わるとは言ったけど、恰好良いとは一言も言ってないんだけど、私。人のものに手を出す趣味もないし。
それからしばらくの間、川崎さんいわく『父と子どもの微笑ましい卓球』あるいは『接待卓球』は続いた。それでもやはり点が入るのは片岡君ばかりで、主任はというと結局5点しか取れなかったけど。
途中ね、主任が言ったのよね、「片岡君、手加減なんてするな」って。そしたら片岡君、「すみません主任!」なんて言ってスマッシュ決めたのよね。そしたらギャラリーも、わっ、と盛り上がるわけ。
固まって見ていた一課の女子社員達もきゃあって黄色い声援ね。やっぱりこういうのって恰好良いんだろうな、なんて思ってたんだけど……。
その子達、明らかに主任を見てるのね。そのスマッシュを打ち返そうとして浴衣の裾が大きくはだけて――そう、その主任のおみ足を見てたのよ。そっち!? って思ったけど、うん、私も正直そっち見てた。主任ってば足もきれい。
ていうか、何なら片岡君もさすがに視界に入ったんだろうね。しばらくミスを連発して、それで主任にぽこぽこと点が入ったっていうか。
本当はもう一試合したいところだったらしいんだけど、片岡君の消耗が激しいということで一旦お開きとなった。宴会まではまだもう少し時間がある。けれども、皆の足は自然と会場の方へと向かっていく。
「片岡君、君、接待してたろ」
「そ、そんなこと……」
2人は仲良く並んで歩いている。主任に詰められている片岡君はやっぱりいつもの片岡君で、見た目は元ヤンの癖にやっぱり弱い。主任のおみ足が頭から離れないのか、一生懸命明後日の方向を見ている。
そんな2人から少し離れ、私は小橋君と歩いている。
「ねぇ、小橋君さ。こないだの話なんだけど」
「――んなっ、何でしょうか」
そちらを見なくてもぎくりと肩を震わせたのがわかる。
「だいぶ返事待たせちゃってごめんね」
「いえ、僕は待ちますよ」
いつもの小橋君らしくない、弱い声。
いや、小橋君の声も別に馬鹿デカいというわけではない。だけどいつも元気が良くて、何かエネルギーがみなぎってるって感じ。何だろう、性別は違うんだけど、そう、チアガールみたいな。声を聞いてるだけで元気がもらえちゃうっていうか。
「小橋君って、何色が好き?」
「――は、はい? 色?」
「私ね、紺色が好きなの。パステルカラーの水色とかじゃなくて」
「えっと……僕はピンク色が好きです」
「確かに小橋君よくピンクのYシャツ着てるもんね。持ち歩いてるマスクも薄ピンクの色付きだし」
「あれは、いつか瀬川さんに『マスク持ってない?』って聞かれた時に渡せるようにっていうか……」
「私のためだったの?」
「そうです……実は」
「そうだったんだ。じゃあさ、あれは? えーっと、好きな動物」
「えぇ? 今度は動物ですか? そうですねぇ。やっぱりウサギ、ですかねぇ」
「さすが小橋君。キャラ裏切らないね」
「な、何ですか、裏切らないって。僕、昔ウサギ飼ってたんですもん!」
小橋君は手をぎゅっと握ってバタバタしている。もう、そんな仕草するからまた小動物みたいって言われるんだよ?
「私ね、虎とか、豹とか好きなの。猫も好きなんだけど、何ていうかなぁ、サイズが大きいのが良いっていうか……」
「えぇっ!? 何かすごく意外ですね」
そう。
そうなのだ。
本当の私は全然『ゆるふわ』なんかじゃない。自分に似合うし、ファッションとしては好きだけど、だからってピンクが好きで、ふわふわもこもこのウサギが好きで――、というわけではないのだ。
「そうでしょ? つまり私が言いたいのは――」
私は君が好きなようなゆるふわ女子じゃないの。
だから、そんな私が好きだっていうなら、ちょっとどうかな。
「もっと色んな私を知って、ってことですね!」
小橋君は少しタレ気味の丸い瞳を輝かせ、一際明るい声を上げた。
「……え?」
「そういうのもすごく良いですね! ううん、成る程。いつもの瀬川さんとのギャップ、たまらないなぁ!」
「え? ちょっと小橋君?」
「何ですか?」
「え? 何で?」
何で引かないの?
「何でって……何がですか?」
あぁいま聞こえた。『きょとん』って聞こえた。幻聴ってわかってるけど、もう聞こえてきたよ。これぞ『きょとん』って顔してるもん。
演技派ね、小橋君! 天然だとしたら、恐ろしい子!!
「いや、だって、小橋君って、私の見た目が好きなんじゃないの? いつも言ってくれるじゃない、『可愛い、可愛い』って」
「はい! 瀬川さんの見た目大好きです! いまの浴衣姿も最高です!」
「だ、だよね? それじゃあさ、パステルカラーとかウサギさん大好き~な私が良かったんじゃない?」
「いえ、別に? いや、瀬川さんがそういうのを元々好きだっていうなら別ですけど。違うんですよね?」
「うん。ウサギのキャラは好きなのもあるけど、好きな動物は猫科の大きいやつ」
「良いじゃないですか。何か問題あるんですか?」
首を傾げ、不思議そうにこちらをじぃっと見つめた後で、小橋君は「あぁ」と手を打った。
「もしかして瀬川さん、僕が瀬川さんのゆるふわな見た目だけが好きって思ってませんか?」
「え? 違うの?」
今度は私がきょとんとする番。だけど絶対『きょとん』なんて音は聞こえてないと思う。私、演技派じゃないから。ていうか実際演技じゃないからね!?
「違いますよ。僕は、見た目ゆるふわだし、仕草も『きゅるるん☆』って可愛いけど、案外ご飯ももりもり食べて、ジョークも通じて、かなり押しの強いバリバリの営業をする瀬川さんが好きなんですよ」
「……ん?」
待って。
「小橋君、『きゅるるん☆』って何?」
「え? 瀬川さんが首を傾げたりする時に僕の脳内で鳴ってるやつですけど?」
「えっ、怖っ。そんなの鳴ってたの? 小橋君の脳内で」
「はい」
君の場合は『きょとん』だけどね!
いやいや、何よそれ。
それと、まぁご飯の部分は良いわ。事実だし。一緒にご飯行ったからバレてるのはわかってた。
た、だけど!!
「押しの強い営業って何? 私そこまでぐいぐい押してるつもりは――じゃなくて、小橋君、一体私のどこを見てるの?」
「どこって言われても……瀬川さんを見ているとしか」
「嫌じゃないの? 全然ゆるふわじゃないじゃない」
周囲を気にしながらそう反論する。すると彼は、あはは、と笑ってこう言うのだ。
「見た目と中身で好きが2倍ですよ! なぁんちゃって!」
真っ赤な顔で。
真っ赤な顔でね、そう言うの。
その顔を見たら、何かもうこの人には勝てないかもって思っちゃって。
そう思ったら、何か、じわって『好き』が込み上げてきそうになった。
「私、お化粧落とすと結構変わるけど?」
「見せてくれるんですか!? ああん、もう感激ですよ瀬川さん! 僕きっと、瀬川さんの眉毛が全部なくなっても好きです!」
「さ、さすがに半分はあります!」
と、言ってみる。うん、半分は自前だからさすがに。
「……じゃ、今度見せてあげる」
「やったぁー! ありがとうございまぁす!」
無邪気に万歳してるけど、意味、伝わってるのかな。
「言っとくけど、私、すっぴん見せても良い異性って家族と彼氏だけなんだよね」
ぽつりとそう言うと。
彼は――小橋君は、さっきよりも赤い顔で「そそそそそ、それって……」と言い、その場で固まってしまった。
もう一度辺りを見回してから、素早くその熱っぽい頬に口付ける。精一杯先輩ぶって、余裕ぶって。
「行こう、小橋君。皆もう宴会場行っちゃったよ?」
赤い顔を隠すようにすたすたと先を歩いてから振り向くと、彼は両手で顔を覆ってしゃがみ込んでいた。仕方ない、後は片岡君に丸投げしちゃうことにしよう。あぁ、暑い暑い。
そう思って、パタパタとスリッパを鳴らしながら片岡君を探しに宴会場方面へと走った。
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