♧2♧ 光ちゃん、口を滑らす!
「でも、それだけで?」
と瀬川さんは首を傾げる。あぁやっぱり『きゅるるん☆』が聞こえる。
「それだけ、と言われると……。でも、主任が特定の誰かにこう執着することってあまりなくないですか?」
負けるもんか、僕。瀬川さんのゆるふわ仕草に負けないぞ。
けれど瀬川さんは得意の『きゅるるん☆』で僕を翻弄するのだ。あぁ、さてはグロスを塗り直しましたね。うるうるつやつやです。まったくけしからん愛らしさ!
「まぁ、確かにねぇ。でも、片岡君の方はどうなのかな。ほら、ちょっと迷惑そうじゃない? こっちに呼んであげない?」
「だ、駄目ですよ!!」
藍ちゃんはいま主任の恰好良さにさんざん打ちのめされてノックダウン寸前なだけなんです!! ああ、いま髪をかき上げたよ! はい、1パンチ入ったぁ! おおっとお次は喉を鳴らしてグラスを呷ったぁぁ!! これも絶対恰好良い! こーれーは、ボディ! 藍ちゃんボディに来てるぞー!!
「……という状態のはずです」
「そうは見えないけど……?」
瀬川さんは眉を寄せて「ううん」と唸っている。
「でも、主任が恰好良いっていうのはわかる!」
「で、ですよね!」
それは伝わるんだ、やっぱり! ちっくしょー!!
「ていうか、片岡君、主任が好きなの?」
「!!!」
しまった! バレちゃった!! 何で!?
ただ恰好良さに打ちのめされてるって説明しただけなのに! す、鋭すぎる、瀬川さん!
さては、ただのゆるふわOLじゃないな?! その正体は名探偵か?! 名探偵瀬川さんということか?!
「い、いいいやLOVEの方とは限りませんけどね? そ、その、RESPECTの気持ち、というか、LIKEというか……!」
あわあわしながらそう説明すると、瀬川さんは軽く握った拳を口元に当てて「ぷ」と笑った。
「わかったわかった。わかったよ、小橋君」
「わ、わかっていただけましたか……」
「うん、大丈夫。小橋君が口を滑らせたなんて誰にも言わないから」
「ええ! そっち!!」
「大丈夫大丈夫。私もね、いまわかったから。いまわかったことにするから。うんうん、そう思って見てみれば、確かにそう見えるかも!」
あぁん、もう! 可愛い! アンド優しい!!
その後僕達は、主任がひとつアクションする度に、
「これは……フックね」
「いまアッパー決まりましたね」
「あ! これはきっと投げ技よ!」
「巴投げですね、これは」
「あら! これはもしかして……」
「寝技! 決まったぁ! いっぽぉぉおんっ!!」
とお互いに知ってる言葉を駆使して実況した。このやりとりでわかるように、僕もそうだけど、瀬川さんも格闘技の知識は全然なかったのだ。
とにもかくにも至近距離で伏見主任のラッシュを喰らった藍ちゃんはもう息も絶え絶えのご様子。そろそろタオルを投げ込んでやった方が良いのかもしれない。つまり、こちらの席に避難させる、という。
そう提案したのは瀬川さんだけど。
さすがにそろそろ救出しよう。
僕と瀬川さんの気持ちがひとつになり、僕らは視線を合わせて頷いた。
ミッション・スタート!!
先に動いたのは瀬川さんだ。
「主任、飲んでますか?」
ピーチウーロンの入ったグラスを片手に主任の元へ行く。主任は半分くらいになっているジョッキを掲げ、「飲んでるよ」と返す。そのジョッキ、たぶん5杯めくらいだと思う。
そして、さりげなく藍ちゃんとの間に膝を滑り込ませると――、主任とは女同士だからまぁ問題はないんだけど、さすがに藍ちゃんは膝が触れる前にさささと距離をとった。
その隙をついて僕が藍ちゃんの腿を突っつく。
「藍ちゃん、こっちこっち」
もちろん、それに乗らない藍ちゃんではない。彼は真っ赤な顔で小さく頷き、ずりずりと膝歩きで僕のジョッキと枝豆が置いてある場所へと移動した。ポイントは主任の方を決して見ないこと、だ。
「いやぁ藍ちゃん、大変だったね」
藍ちゃんはあまり酒が飲めない。飲めるけど、そんなに強いわけではないのだ。それはもちろん主任と比較して、というわけではない。あの人は規格外すぎるから。
――僕? 僕も強いつもりだったんだけどね、もうすっかり自信なくしたよ。
『大変なんてもんじゃないよ。何度口から心臓が飛び出しかけたか。』
「重症だね。ていうか僕の前でも筆談なんだ?」
『そりゃそうだよ。主任が近くにいるんだから。』
「まぁ良いけどさ。でも、僕だったら願ったり叶ったりだけどなぁ、好きな人と隣で飲めるなんて」
『そういや、さっき瀬川さんと楽しそうにしてたね。』
「えっへへ。わかる? ほんと可愛いよね瀬川さん」
『可愛いんだろうけど。俺の好みではないかな。』
「良いの、それで。藍ちゃんにまで魅力が伝わったら大変だよ。ライバルは少ない方が良いんだから」
『同感だね。ライバルはいない方が良いよ。でも主任はモテるから。』
「主任は……大丈夫なんじゃない?」
主任のあれはちょっと違うやつだよ、藍ちゃん。
何ていうか……そう、ほんと宝塚のスターみたいな。もちろん男役のね。
女子社員にちやほやされてはいるけど、何かもう漫画で見るような女子高のノリっていうか。
『バレンタインもすごかったというか。』
「いや、普通はあの日女性はあげる側だからね? ねぇ藍ちゃんかなり酔ってる?」
『いまだってさ。』
「だから、あれ全員同性でしょ? ちょっと藍ちゃんしっかりして」
『よしんば上手くいったといても、俺とじゃ釣り合わないよ。』
「『よしんば』ってリアルで使う人初めて見たよ。ていうか、『
「!!!」
藍ちゃんはやっと頭が冷えたのか、『PenTalk』を、す、とテーブルに置いた。
そうそう、主任の前だけで良いんだから。大丈夫、近くに来たら合図するよ。
「僕はさ、案外2人はお似合いだと思うけどな」
「……そう?」
主任を警戒してかなり押さえた声で話す。
「ほら、理想の身長差。そういうのもばっちりでしょ。主任、確か167だって言ってたはず」
「だとしたら俺が足りないよ。それって確か15cmでしょ? 俺177だもん。182はないと。大槻主任くらいないとさ」
「あれ? 10cmかと思ってた。ごめんごめん、でも大丈夫。大槻主任とは絶対ないって」
そっか、15cmなのか。
確かに大槻主任と並べばちょうど良いのかも……。でも、あの2人は絶対ないよ。大槻主任の方はどうかわからないけど、伏見主任の方が乗り気じゃないもん。僕にはわかる。何ならちょっと辟易してるはず。無理もないよね、あの人、二言目にはやれ筋肉だプロテインだってうるさいんだもん。
でも、まぁ、見た目だけならね。確かにちょっと恰好良いんだろうさ。精悍な顔付きっていうのかな、もう絵に描いたようなスポーツマンなんだよ。
ただ、新卒の田端実咲ちゃんが言うには、
「さすがにあそこまでスーツがパツパツなのは引きます」
らしいけど。
同性からするとちょっと憧れたりはするんだけど、正直僕にはそういうの似合いそうもないし、キャラじゃないんだよね。とにかく、あそこまでのマッチョだと女子ウケはしないみたい。
たぶんね、体型としては藍ちゃんくらいが一番良いんじゃないかな? でもモテないんだ、藍ちゃんって。何でだろ。顔が怖いから?
「でも、同期だしなぁ。俺、年下だしさぁ」
そんな弱音を吐いてオレンジジュースをちびりと飲む。ノンアルコールなんだからもっとごくごく飲めば良いのに。
「関係ないって、年なんて」
「そうかなぁ。それに俺、
「しっかりしてよ藍ちゃん。前職も営業でバリバリやってたんでしょ? 先月結構頑張ってたじゃん!」
「そりゃ頑張るよ。少しでも主任に近付きたいからね」
「偉いなぁ、藍ちゃんは」
僕とは大違いだよ。
いや、もちろん僕だって頑張ってるさ。だって、どう考えたって藍ちゃんが主任に追い付くより、僕が瀬川さんに追い付く方が簡単なんだ。
だけどちょっと言い訳させてよ。
僕が所属する伏見班は主に紙ファイルやバインダー、ペンとかハサミとか、そういう文具を扱っていて、もちろん契約となれば注文は1個や2個なわけはないし、発注数は100単位で、となってはいる。けれど、瀬川さんの中西班は電子文具だからそもそもの単価が違うのだ。その分大量注文とはいかないけれども、こっちがひいひい言いながらやっとこ10件の契約にこぎつけてもたったの3件程度で並ばれてしまうこともある。
ただ、単価が高いということは、そうやすやすと契約に結びつくわけでもない、ということだ。電子文具なんてものは僕らみたいな消耗品の文房具とは異なり、大事に使えばそうそう買い替えが必要でもない。
一発当てれば大きいのが中西班。
手数で勝負するのが伏見班、というわけ。
で、僕は、というと、正直その手数の方でも少々振るわない。いや、少々どころじゃないかも。
瀬川さんも決して件数自体は多いわけではないんだ。だけど、さっきも言ったでしょ、単価が違う。当てればデカい。
情けないのはわかってるよ。
そりゃ主任みたいにばしーっと大口の契約を取れれば恰好良いさ。でも、そんなに上手くいかないのが営業なんだよね。
僕は僕のペースで瀬川さんに追い付くことにするよ。
「でもさ、藍ちゃんは恰好良いじゃん?」
「えぇ? 恰好良い? どの辺が?」
「見た目だよ、見た目。主任と並んでも全然見劣りなんかしないって」
「それは嘘だね。さすがに酔ってたって自分を客観的に見ることは出来るんだから。昔のあだ名『元ヤン』だから」
「またまたぁ。藍ちゃんはほら、何とかっていうスポーツ選手に似てるよ。えーっと、何だっけ。ほら、サッカー選手のさ、最近イタリアだかロシアだかのチームに移籍した人いたじゃん」
「イタリアか、ロシア……? イタリアなら
だってルールが難しいんだよね。
それでもある程度はわかるよ? サッカーだってバスケだって。
ゴールに入ったら点が入る。そこまではね。
最近じゃバレーもちょっと簡単になったよね。ラリー制だっけ。
だけどさ、反則の部分がいまいちなんだよ。ここの線を超えたら駄目だとかそういうやつ。それに、野球とかバレーなら何とかなるけど、サッカーやバスケは皆ちょこちょこ動き回るじゃない。どうして皆いまのシュートが誰だったってわかるの?
苦手なんだよね、昔っから。
だったら女の子と混ざってアイドルの話とかファッションの話をしてた方が良いんだ。
やっぱりおかしいかな、こんな僕ってやっぱり男らしくない?
瀬川さんもやっぱり男らしい人の方が好きだよね。
わかってるんだ。
僕だって。
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