☆ ☆  中堅社員・川崎英士は見た!

「なぁ、牧田……」

「何スか、エーシさん」


 ビールの空き缶がずらりと並んだ丸テーブルに向かい合って、伏見班の牧田博之と中西班の川崎英士えいしは、それぞれ「これが最後だから」などと言いながら、もう何本めかわからないのビールを飲んでいる。

 部屋の中央に敷かれた3組の布団の一番端では中西班の増田匠が、ガアガアといびきをかいていた。


「俺さっきこれ買いに行ったじゃん?」


 そう言って、手に持っているビールをちゃぷちゃぷと軽く振って見せる。


「いや、それはエーシさんがじゃんけんに負けたから――」


 たった1年とはいえ、先輩は先輩。その先輩をじゃんけんで買ったからといってパシリにしてしまったことを責められるのかと眉をしかめた牧田に、「いやいや、そういう意味じゃなくてさ」と川崎は声を潜める。そんなに声を落とさずとも増田が起きるわけがないと思いつつも、背中まで丸めた川崎に倣って「何スか」と身を低くすると――、


「俺、んだよな」


 その言葉に牧田はびくりと震えた。

 ホラーでは良くある語り出しだからである。何を隠そう、この牧田博之、ホラーは大の苦手なのである。


「止めてくださいよ、俺そういうのほんとマジで」

「馬鹿、げぇよ。ユーレイとかそんなんじゃねぇから」


 しかしそれくらいのことは川崎だってもう知っている。だからそれは即座に否定した。


「んじゃ、何なんスか」


 とりあえずの脅威は去ったと、牧田は安堵する。そして、ビールを一口。


「潤さんと片岡だよ」

「潤さん? ああ、主任っスか。主任と片岡がどうしました? 卓球の話っスか?」

「卓球の方じゃなくて、問題はその後よ。だからさ、ほら、これ買いに行った時にな?」


 そう、彼――川崎英士は見てしまったのである。


 伏見潤と片岡藍が階段で抱き合っているところを!!


「……あの2人出来てたんだよ、マキ」

「うわうわ、マジっスか」

「マジだよ。俺見たもん、階段で抱き合ってるところ!」

「エーシさん、半端ないスね。あれみたい、ほら、あれ、『目撃シッター・ミツコ』! ミッちゃん! ミッちゃんみたい!」

「だろ? そろそろ俺にも日の出テレビからオファー来るんじゃねぇかな、って思ったもん」

「でも、階段で、って……どこからどうやって見たんスか?」

「ほら、ビールの自販機って4階と2階にあるじゃんか。で、俺も酔ってたのかな、4階の方に行きゃ良いのに、なぁーんでか2階押しちゃったのよ」

「エーシさんそういうトコありますからね」

「うっせ。んで、だ。とりあえず来ちゃったもんは仕方ないからよ、これ2本買ってな、さぁ、戻ろうと思ったわけ。なんだけど、なぁーんか思い立ってさ、1階くらい階段で行っても良いかななんて思っちゃったわけよ」

「何スか、いきなり健康に気ぃ遣うとか、マジっスか」

「マジよ、マジ。最近ちょっと下腹とかヤバいしさ。つってもたかだか1階上がったくらいじゃ変わんねぇけど」


 とにもかくにも、川崎は階段を使おうと思った。じゃんけんに負けた腹いせに、ちょっとでもぬるくしてやろうかな、という意地悪な思惑も実はあったのだが、それは即ち諸刃の剣ってやつだ。何せ、手に持っているのは牧田の分だけではない。思いきって、どっちか片方だけ入念に振ってやろうかな、とも思ったのだが、どっちがどっちだったかわからなくなる可能性もあった。それくらいは酔っていた。


 そこへ、微かに話し声が聞こえてきたのだ。


 とは言っても、内容までは聞きとれなかった。

 ただ単に、階下に誰かがいて何かを話しているな、くらいだった。だから、気に留める必要なんてないはずだったのだ。


「でもさ、何つーの、虫の知らせ? みたいな? 何か無性に気になってさ、そーっと降りてさ、ちらっと見たんだよな。何かさ、不倫現場とかそんな感じかもなんて思ってさ。そしたら――」

「主任と片岡だった、と。へぇ~」


 そう言ってから、ちらりと増田を見る。相変わらずガアガアと酷いいびきだ。この分なら朝まで起きないだろう。


「面白い組み合わせだと思わねぇ?」

「うーん、まぁ。でもほら、片岡はずっと主任狙ってたっスからねぇ」

「ぅえぇっ? それマジ?」

「マジっスよ。あぁでもエーシさんほら、中西班っスから。伏見ウチの班じゃもう有名でしたよ、片岡の主任ラブぶりは」

「げぇ、マジかよ。なぁんだ、つまんねぇ」

「何スか、つまんねぇって」

「いやせっかくマキを驚かそうと思ってよぉ」

「いやいや、じゅーぶん驚きましたって。だって片岡っスよ? いや、片岡がっつーより、あの主任が、ですよ。よりによって片岡! 俺、大槻主任みたいなマッチョのスポーツマンがタイプかと思ってましたから」

「いやいやいやいや! 大槻さんはねぇって、潤さん煙たがってるもん。うざいんだよ、あの人のプロテイン営業」

「プロテイン営業……ウケる……! まぁ、大槻主任はないとしても、いや~、片岡かぁ。アイツ見た目あんなんスけど、中身は……ほら」

「そうそう、まぁ、良く言えば『優しい』なんだろうけどな」


 じゃ、悪く言うと何になるのか。

 牧田はあえてそこを問わなかったが、「まぁ恐らくヘタレ辺りだろうな」と思った。そして、川崎もまた心の中で、「優しいっつーか、あれはヘタレだろうな」と思った。けれど同じ二課の仲間である。互いに喉元まで出かかったその言葉はビールで流し込んだ。


「いや、でもさ、俺はちょっとホッとしたわけ」


 川崎は、カン、とビールをテーブルに置いた。その音からして、もうほぼ中身はなくなっているようである。


「ホッと? 何がスか?」

「いや、潤さんって今年30だぜ?」

「――あぁ、そっか。上司だからすっかり忘れてましたけど、主任って俺らより年下なんスよね。そっか、2個下かぁ。いやまだ若いじゃないスか」

「いやいや、男の30と女の30ってやっぱ違うじゃん? 中西主任の前じゃ言えねぇけどさ」

「絶対言えないっスね」

「潤さんこれ逃したらもう一生独身じゃね?」

「どぉ~スかねぇ。あの人、かなりモテるじゃないスか」

「ばぁっかお前、潤さんの歴代彼氏の駄目男ダメオっぷり知らねぇの?」


 大袈裟にため息をつく川崎に、牧田は「いや、知ってますけど」と笑いながら返す。


「でも、片岡も駄目男コースかもしれないじゃないスか」

「いや、俺は、アイツはやってくれると思うんだよ」

「出た、エーシさんの根拠のない自信」

「うっせ、根拠は……ある!」

「あるんスか!?」

「……うぅ。ほんとはないけど。でもほら、片岡はほら、何か目力すごいし!」

「たぶんそれ関係ないと思いますけど」


 さらりと冷静に返され、川崎はがくりと肩を落とした。


「いや、でも俺はあの2人を陰ながら応援していこうと思うんだよ! なぁ、マキ! お前だって潤さんには世話になってるだろ?」

「そりゃ……もちろん」

「じゃ共に2人の幸せを祈ろうじゃねぇか!」

「いや、出来れば俺は俺の幸せの方にも目を向けたいっス……」


 川崎と牧田、独身(彼女なし)2人の夜はこうして更けていったのである。


 ちなみに、彼らに2人の交際がバレたからといって、それが元で後に騒動に発展する、ということはない。


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