◆2◆ 伏見主任は恰好良い!
まぁ正直、自分は目立たないタイプだ。
学生の頃からそうだった。
誰の記憶にも残らないタイプ、というか。
その他大勢に括られやすい、というか。
とびきり勉強が出来るわけでも、スポーツがめちゃくちゃ得意なわけでもない。
目立った特徴がないのである。
いつだって可もなく不可もなくやって来た。
顔はというと、「まぁそこそこなんじゃない?」と両親からは言われたりする。でも、所詮、それは家族からの評価だから。
それに、普通にしてても「何か怒ってる?」と指摘されるくらい目付きが悪い。らしい。自分では全然そんなつもりないんだけど。
でも、主任からは「片岡君は何だかいつもきりっとしてて良いね」と言ってもらえたのだ。やった。だったら自分はもうこのままで良いことにする。
さて、そんな愛しの伏見主任が本社へ研修に行くことになった。
主任といっても、厳密には主任3級といって、主任としてはまだ『ひよこ(主任談)』らしい。よって、ちょいちょいと研修に呼ばれるのである。内容は、主に上に立つものとは何たるか……らしいのだが、研修のお知らせが来ると、主任はいつもちょっとだけ元気がなくなる。
「主任なんてなりたくてなったわけじゃないんだよ。たまたまちょっと大口の契約を当てただけなんだから」
と、飲みの席でこぼすのだ。
それでも周りの人間は、『運よく一発当てただけのラッキー主任』と思ったりはしない。
たとえきっかけがそうであれ、この人はなるべくしてこの役職になったのだ、と思う。
まず、当然のこととして、伏見主任は営業成績が良い。
主任になってから、部下の育成を理由にして急に月度の目標を下げる人が多い中、伏見主任はというと、まず自分が手本を見せねば、とさらに高い目標を立てた。そしてそれをほぼ毎月達成している。
二課の評価が高いのは、ほとんど伏見主任のお陰といっても良い。
元気がなくなると頬杖をついて「ぶぇぇ」と奇声を発しつつ、ビールのジョッキを、ぐい、と呷る。どんな時でも酒をちびちび飲んだりはしない。そういうところがまた恰好良い。
そして主任は、ただ単に営業成績が良いというだけではない。
クレーム対応が抜群に上手いのだ。
そのため、二課にクレームが入ると、その電話は即座に伏見主任へと回される。中西主任の方が社歴も長いし、課の責任者は加山課長であるにも関わらず、だ。
伏見主任が二課のクレーム係に任命されるきっかけとなった話がある。
ある日、年配の男性(ほとんどおじいさんといっても差し支えないレベル)が頭から湯気を出して会社に乗り込んできたのだ。その時たまたま運悪く、中西主任も課長も会議で不在だった。そこでやむなく伏見主任が対応することになった。主任は、お茶を用意していた中西班の
八ツ橋さんは、いつ内線がかかってきても良いようにと、同じく中西班の後輩川崎英士さんに電話の前で待機させ、応接室のドアの外に置いてある観葉植物の陰で、自身の携帯電話を持って息を潜めていた。受付の女性社員の話では、「武器を持っていたらいまにも振り回しそうな勢いだった」と言っていたらしい。だとしたら呼ぶべきなのは警備員さんではないのだろうかと思うのだが、「一課には筋トレが趣味だという
だからもしかしたら、内線なんて鳴らせないかもしれない。ちょっとでも悲鳴なり、物音がしたら、警察を呼ぶんだ、とそう自分に言い聞かせつつ、震える手を胸の辺りで押さえながら、じっと動向を窺っていたのだそうだ。
で。
待つこと数分。
ガチャ、とドアが開き、出て来たのは、「すまなかったねぇ」などと言いながらにこにこ笑っているおじいさんと、「いえいえ、こちらの不手際で」なんて謙遜している伏見主任だった。植物の陰に潜んでいた八ツ橋さんに気付かなかったらしく、呆気にとられる彼女の前を素通りして、和やかに会話をしながら仲良く並んでエントランスまで男性を送っていったのだという。
そしてオフィスに戻るなり――、
「あぁ、八ツ橋君。さっきのおじいさん、お茶がすごく美味しかったって褒めてたよ。ありがと」
なんて、とてもクレーム対応後とは思えないほど涼しい顔をしていたらしい。
むしろ八ツ橋さんの方が見ていて気の毒になるくらい青い顔をしていた(電話番を務めた川崎さん談)とのこと。
もちろんそれを伏見主任が見逃すわけもなく、
「あれ、八ツ橋君、顔色悪いけど大丈夫? 医務室で休む? それとも早退しようか?」と、完璧な気遣いまで見せたのだという。
そして、話はこれだけではない。その10分後、例の元クレーマーおじいさんから電話がかかってきた。「さっきのヤツを出せ」と。
ああきっと、怒りが再燃したのだ。
もしかして伏見主任、適当なことを言ってどうにか丸め込んだだけなのでは。
と誰もが思っていた。
のだが。
「……はい、はい。ええ。それでしたら……そうですね、納期は……いまから手配しても通常2週間ほどに。ただ、量が量なものですから、もしかしたら、もう少しいただくことになるかもしれません。それでよろしければ。……ええ。……はい。かしこまりました。ありがとうございます。……はい、では本日中に見積もりをお出ししますので。……はい、FAX番号は――はい、下2桁が、はい、73ですね。はい、かしこまりました」
オフィス内の全員が仕事の手を止めて、主任の電話に耳を傾けていた。
ほぼ全員が「あれ?」と首を傾げたそうだ。
納期? 手配? 量が量? 見積もり? と。
受話器を置き、ふぅ、と息を吐いて首をコキコキ鳴らしている主任に「あの、いまの電話は……」と牧田博之さんが尋ねると、主任はやはりさらりとこう言った。
「契約とれたよ。あのおじいさん、プリンス印刷の会長さんだったみたいで」と。
プリンス印刷といえば、県内最大手の印刷会社である。もともとの名前は『王子印刷』だったのだが、もうずいぶん前にトップが変わり、名前も王子からプリンスになったのだ。とはいえ、会長の権力はまだまだ大きいようで、伏見主任を大層気に入り、社内備品をすべてウチのものに切り替えることにしたらしい。
そんなわけで、二課が担当する事務用品だけではなく、デスクや書庫といった大型の事務什器まで受注が上がり、二課のみならず一課の方でも嬉しい悲鳴が――いや、ガチの悲鳴を上げてた人もいたけど――響き渡ったらしい。
――え?
これがその、主任になるに至った大口取引かって?
違いますよ。
だってこの時すでに主任だったんですから。
これ、主任になってここの営業部に来てすぐの話です。
なので、前の支社でもっとすごいのをやったらしいんですよ。それで主任に。
とにかく、これがきっかけとなって、伏見主任は二課のクレーム処理を一手に引き受けることになってしまった。もうウチでは対応しきれないからと言って、他課からヘルプがくることもある。先の事件はすっかり伝説となっているのだ。
これほどではないが、クレームだったはずの電話がそのまま契約に移行することも少なくない。
一体どんな対応をしているのかと、飲みの席で誰かが尋ねた。
すると、主任は「特に何も。ふんふんって話を聞いてただけだよ」と返すのだ。
いやいや、それで怒りが鎮まれば苦労はない。
何か特別なことをしているはずだ。
そう思うのだが、クレーム対応しているその電話をずっと横で聞いていても、やはり主任は「ええ」とか「はい」と相槌を打ったり、たまに「そうなんですねぇ」と同調しているだけだった。会社に直接文句を言いに来た時には、気付かれないようにレコーダーを仕込んだこともある。けれど、聞いてみるとやはり「ええ」「はい」「そうですねぇ」なのである。
一発逆転(何の?)を狙った一課の誰かが主任の不在時にクレーム対応を買って出たことがあるらしいのだが、火に油を注ぐ結果となって、結局主任が菓子折りを持って謝罪に行くはめになった。この時ばかりは商品のクレームよりも、その社員への怒りが大きく、そっちの対応がかなり大変だったとか。
とにかく、だ。
伏見主任は、仕事が出来るのだ。
よって、たとえ、光ちゃん的には「私服が有り得ない」としても、それを補って余りあるくらいに恰好良いのだ、と強調しておく。
伝わっただろうか。
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