第54話 沼法師 ②
「取り返したのか」
かわうそが水面から顔を出した。
法師は頷く。うろこが生えた手には、青い玉が乗っている。
「よかったな。それ、お前の一部みたいなものだしな」
かわうそは黒豆のような目で玉を一瞥すると、ぐるぐると法師の周りを泳ぎ始めた。
「おい、おい、法師よ。人間の娘に目玉を食わせたんだって?」
「俺の一部を与えれば、沼に食われることもない」
「龍の目玉だぞ!」
「混ざりものの龍に、価値があるか」
法師は、娘よりずっと昔の人間だ。
龍の目玉とも言われる玉。法師の家はそれを守る役目を代々負っていた。
修行から戻ったときには、親族が玉を奪い、一家は離散していた。
法師は玉を取り返し、祀る場所を求めて旅に出た。道中、一宿一飯の代わりに雨乞いを頼まれ、祈祷を行った。皆に分からぬよう、玉を使って。
それを村人に見つかり、殺された。
確かに、頭をかち割られたあと、沼で溺れ死んだはずだ。
しかし、次に目覚めたときには、龍の姿に変わっていた。
以来、法師は沼から出られなくなった。
玉の気配は沼から離れた場所にあり、取り返すこともできない。
「人臭くても龍は龍だ。なんてもったいない」
嘆くかわうそを横目に、片目になった法師は水面に視線を戻す。
柔らかな陽射しの元に、広大な湖が広がっていた。
娘が激しい雨を降らせ、沼の水を増やしたのだ。
木の梢が水面から突きだし、枝葉が波に洗われる。湖面は碧色に輝き、緑の葉が浮いている。嵐の爪痕など、どこにも見当たらない。
「嫁か?嫁がほしいのか?元が人間だから、人間の嫁にしたのか?」
「そうかもしれんな」
「お前も龍…いや人間らしくなったもんだ。最初はかすみみてぇな亡霊がうろうろしてると思ったら、俺たちが何度ちょっかいかけても無反応だったのによ!」
法師は笑った。
玉を取り返せば娘は無用。だがなんとなく、騒がしい声が聞こえないのが惜しくなった。
あのまま死ねば、自らのことも忘れ、恨みを吐き続ける亡者の一人になる。
娘の面影をした亡者を薙ぎ払うのは、気が滅入る。
法師は娘の強い意思――すなわち殺意――が残っているうちに、霊力を足してやった。自分の目玉を呑ませ、祟り神へ変わるよう、怒りを煽った。
人とは別の力があれば、自分のように亡者にはならない。
「いきなり笑うなよ。怖いぞ」
鋭い牙が唇からのぞく。
かわうそはおののいて潜った。去り際に尾で水をひっかける。水は法師に当たり、衣の表面に波紋を残して消えた。
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