第261話 旦那様はベットで

俺の“心が折れて”暫く経った頃、俺の元にランディがやってきた。

鍵さえもかかっていないドアを荒々しく蹴り開け、窓際の椅子に座り、外を眺めていた俺の顔を見るや否や、手に持っていた槍を突き付けてきた。


「外に出ろ腰抜け野郎、お前の根性を矯正してやる」


鋭い視線でそう言ったランディは、回避行動さえも億劫に感じ、素直に蹴り倒された俺に侮蔑の視線を送りながらそう言ってきた。


「断る」


たったそれだけ。

蹴られたが、ランディは手加減しているのか、さほど痛くはなかった。

だが、それ以上に、俺はそれをされて怒らない自分に嫌気がさしていた。


「—————ケッ!ミリアナが惚れてなけりゃ今すぐぶっ殺してやってたところだぜ」


馬乗りになり、俺の襟元が強引に捻りあげられる。

それさえも俺は“どうでもいい”と思い、特段抵抗することなく視線をランディから外した。


「クソがッ!」


「————ぐっ・・・・気は済んだか?だったらさっさと帰ってくれ」


殴られた。

今回は先程とは違い、しっかりと痛みを与えるくらいの手加減だ。

あぁ、どうせそうなんだ、強かった俺のことをこいつらは欲している。

だが、そんな俺はもういない。

あの時、俺は武王に殺されたんだ。


心理障壁の影響で俺の心は消えかけた、それをドラニアたちが戻し、そしてリアスが再燃させ、愚者が爆発させた。

その結果が、武王に心を折られるという末路だ。

心を取り戻すにつれ、俺は無意識に慢心し、結果負けた。


もう、いやだ、戦いに疲れた。

俺が戦わなくたって他に強い奴は五万といるじゃないか。

ランディだって不死の恩恵とはいえ、あの武王の正面に立ち続けることができるのだ。

俺のような力の無い人間が背伸びをしなくてももういいじゃないか。


「その顔が—————気に喰わねえってんだよッ!!!!」


「がはっ・・・・」


再び振り下ろされた拳が俺の頬を打ち抜き、口内に血の味が広がってくる。

俺を見下ろすランディの顔が、何故か悔しそうに俺を睨んでいるが、その真意はよくわからない。

何故俺より強いお前が悔しがる?

何故俺より才能のあるお前が俺を必要とする?

何故俺より勇敢なお前が俺に頼る?


意味が分からない。

俺には・・・・・わからない。


「お前のことを、少しは認めてたッ!こんなに強い男がいるんだと感心してたッ!ボロボロで、死にかけのくせに戦う意思が、心が曲がらねぇかっけえ奴だと思った!だから!・・・・・だからミリアナがテメエに靡いても仕方がねえと思った!それが今はどうだ!たかが一回負けたぐらいで全て失ったような顔しやがって!」


「そうだ、俺は全部失ったんだ、武王に負けてな」


まくしたてるように言葉を紡いだランディに、小さく言い返すと、ランディはカッと目を見開いて俺を見た後、俺の上から降り、逆に今度は俺の胸倉を片手で持ち、強引に投げ飛ばした。

背中がテーブルを叩き割り、その上にあった水差しが床に落ちて割れる音が聞こえる。

失望したような表情のランディが最後に小さな声で「また来る」とだけ言い残し、部屋を後にしていった。


「もう来るなよな」


誰もいなくなった部屋で、片づけをするのも億劫に感じた俺はそのまま頭を垂れ、ランディに言われた言葉を思い返していた。


「今の俺には・・・・もうなにも・・・・」


残っていない。

活力が、意思が、原動力が。


「前にも、こんな経験をしたな」


思い出すのは、世界がこんなことになる前の、平和だった世界のこと。

俺は同期の中で最も昇進が早く、係長の席に収まることができた。

それは偏に、入社後の高いモチベーションがあったためだと思う。

別にそこまで小さな会社という訳でもない。

年上の部下なども、というよりも部下の殆どが年上だった。

そしてその頃に思ったんだ。


充実したワークライフもなければ、煌びやかなプライベートも、逆境を乗り越え成長するドラマも、困難に立ち向かう仲間も何もない。

与えられた仕事を割り振り、それを如何に効率よく進めていくか。

ノルマを超えるために心にもない言葉で部下を叱咤激励し、会社にしっかりやっていることをアピールする。

上司には従順にしつつ、二重バインドに悩まされながら仕事の出来栄えや成績よりも“イイね”の数に一喜一憂する同僚や部下に仕事をさせる。


そんな現実にあるときフッと気が付いてしまった。

それからと言うもの、とりあえず業務をこなし、とりあえず頭を下げ、とりあえずパフォーマンスがてら声を上げる。

そんなことをし続け、心が摩耗していったサラリーマン時代と、今の現状は似ているのかもしれない。

まぁ、昔であれば自分の行動で変えられる部分もあったので一概に同じとは言わないが、それでも俺の心境は似ているものだと思う。


どこか、心の奥底では世界がこんなことになったのを恨みながらも、きっと感謝していたんじゃないだろうか。

やり甲斐を失い、目的を見失い、活力を喪失した現状を壊してくれたことを。


「だが、結局また俺は何も変われなかった」


世界が変わったのに、俺は変わりかけて、そして元に戻ってしまった。

今までの戦いが、積み重ねが全て音を立てて崩れさるような、そんな絶望感が俺の胸中を渦巻く。

耐えがたい苦悩や無力感に眩暈がしてくる。

立ち上がる気力は・・・・・もう残されていない。


「旦那様・・・・」


ドアの陰に見えた黒いドレスの・・・・少しやつれた顔をした女。

そいつが心配そうに俺に声を掛けてきた。

足取りは重く、そして見るからに体調も悪そうなその女が、ただ塞ぎ込んでいじけているだけの俺を心配そうに気遣ってくれている。


普段であれば、ミリアナを心配するのだろうが、今は、何故かこんなボロボロの女が、こんな糞みたいな俺に甲斐甲斐しく世話を焼こうとしていることが気持ちよかった。


「さ、立ってくださいな、床はわたくしが掃除しておきますので旦那様はベットでゆっくりと————」


俺を立ち上がらせ、服についた埃を叩き終わった彼女が、俺をベットに座らせてきた。

そんな彼女を、無意識のうちに、俺は抱きしめていた。

縋りつくように、助けを求めるように。必死に親から離れないようにする子供の様に。


「だ、旦那様っ・・・・」


一瞬耳元で困ったような声を上げたミリアナだったが、その後、ゆっくりとした動作で俺の頭を撫で付け、柔らかな声色で慰めるように言葉を紡ぎ始めた。


「旦那様、お辛かったのでしょ。苦しかったのでしょ。戦いの無い世界で、平和に暮らしていたあなた様が、いきなり戦いの中に身を置く生活を余儀なくされたんですものね。それも、私やランディの様に第一線級の敵ばかりと戦って・・・・疲れてしまったんですよね、戦いに。殺すことに。生きることに。少し・・・・お休みしましょうよ。私がその間、旦那様の面倒を見て差し上げます。何も心配はいりません。私が持てる力、人脈、財力、権力、全てを使い、旦那様に降りかかる火の粉を払いましょう・・・・ですから旦那様は何も心配されることはないんです。もう・・・・旦那様は“自由”なのですから」


髪を撫でる手が、彼女から伝わる心臓の鼓動が、流れる匂いが、聞こえる声が、その全てが俺の心をゆっくりと溶かしていくように感じる。

優しく、そして柔らかい彼女に包まれながら、俺は気が付けば静かに涙を流していた。


辛くなどなかった。苦しくもなかった。疲れを感じたことなんて一度もなかった。

—————なのに、それなのになぜか、俺の心に彼女の声はスッと入って行き、そして解けていく。

まるで、こんなダメな俺でも、その全てを受け止めてくれるような、その優しさがたまらなく嬉しい。

いつも否定ばかりされていたあのサラリーマン生活では決して感じることができなかった充実感。

ここまで自分を肯定してくれる人間がいたのか、認められることはこれほどまでに嬉しい事なのか。

心の奥底から弁を取ったかのように溢れ出す感情が、瞳からあふれ出していく。

次第に嗚咽は大きくなり、縋りつく力は無意識に強くなっていく。

それをミリアナは何も言わず、ただ俺を撫で続けてくれた。

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