第22話 『勇者』と『魔王』

 あの後、僕たちは牡牛族ミノタウロスの追撃を受けることもなく家に帰ってくることができた。ずぶ濡れになった服を着替えて、今は二人で暖かいお茶を飲みながら毛布にくるまっている。


「……元々は侵略は止めたかったの」


 ラヴィーナが静かな声で語り始める。


「先代の魔王が人間界への進軍方法を編み出してしまって、魔界は一気にそういう雰囲気になって」


 昔の記憶を思い起こすように彼女は天井を見上げる。


「先代の魔王は酷く暴力的な支配をしていたわ。皆困ってて……。だから私が討って交代したの」

「ラヴィーナが?」


 彼女は静かに頷いた。


「私、淫魔族サキュバスだけど翼も尾もないでしょう? 突然変異っていって、たまにいるの。こういう魔族は物凄く強い力を持って生まれることがあって、私がそうだった」


 ラヴィーナの話は少しずつ、現在のものから過去へと遡っていく。


「私がいた街は突然変異に厳しくって、私は嫌われていたわ。孤児だったせいで頼る先もなくって」


 彼女の表情が重く暗いものに変わっていた。きっと、陰惨な子供時代だったのだろう。僕には想像することしかできない。


「けどある日、魔王軍がやってきたわ。魔界を統一するとか何とかいって、無理やり街を潰して軍事基地を作ろうとしていたの。街の魔族たちは抵抗する先から殺されていったわ」


 ラヴィーナの瞳には悲哀の色が見えた。魔族たちが死ぬ光景が見えているのだろうか。


「私も殺されそうになった。魔王軍に反対したわけじゃなくって、酷いことされそうになったから逃げただけなんだけどね……。そのときは怖い気持ちでいっぱいで、とにかく魔力を撃ち放った。そうしたら、相手があっさり死んじゃって……」

「……それは、珍しいことだったんだね?」

「そう。子供の魔族が大人の魔族を殺せるなんてこと、殆どないわ。魔力の総量が違いすぎるもの」


 つまりラヴィーナは子供の時から大人の魔族以上の魔力を持っていたということになる。

 僕は彼女に話の続きを促す。


「仲間を殺された軍人たちは怒って私のことを追い回したわ。それを倒している間に、私が強いってことが街の魔族たちにバレて、何とかしてくれって懇願された。それで……」


 ラヴィーナが考え込むように視線を落とす。


「怖い気持ちと嬉しい気持ちが両方あったわ。やっと私も魔族として認められたって思ったし、でも争うのは怖いし、期待に応えられなかったらまた酷い扱いを受けると思うと恐ろしかったわ」


 ラヴィーナの気持ちは、僕にはよく分かった。何なら僕は今でも、その期待を裏切ることを恐れている。


「皆に請われるままに私は戦った。戦って、街から魔王軍を追い払った。そうしたら皆、喜んでくれたわ。けど」


 再びラヴィーナの表情が暗くなる。


「お前は強いから他の街も助けてやれ。そう言われて私は街を追い出された。あのときの皆は、明らかに私のことを恐れていた」


 ぎり、と奥歯を噛みしめる。どうせそのときの連中は自分たちの酷い扱いを省みて復讐されるとでも考えたのだろう。

 自分勝手なのはどこの生き物でも同じだ。あまりの身勝手さに怒りが湧いてくる。


「酷い、ね」

「……仕方ないわ。それに、私も故郷は嫌いだったから」


 そう語るラヴィーナの瞳には、それでも郷愁の念が見えたような気がした。


「それからはずっと戦って、戦って、戦って。最後には魔王を討ち果たした。正確には封印、なんだけど。ともかくこれで戦わずに済むようになると思ったわ」

「そうは、ならなかった?」

「ならなかった。魔王を討った者は魔王にならなくてはならない。それが魔界のルール。皆もそれを望んでいたから、私は『魔王』になったわ」


 伏せられた瞳に合わさって彼女が深い嘆息をつく。如何に本意でなかったかが分かる。


「魔界の騒動は収めることができた。けど、先代の魔王が行おうとしていた人間界への侵攻だけは別だったの。これだけは、魔族たち皆が望んでいたことだった」

「どうして?」

「理由は二つ。一つはこの世界の資源不足よ。この世界は魔力は溢れているけれど、資源がたくさんあるってわけじゃないわ。それを求めて人間界に侵攻すべきだって言う魔族が多かった」


 僕は魔界にしばらくいた経験から、これには納得がいった。

 魔界にも自然はあるし、魔族たちが何かを作るための資源は確かに存在する。けど、豊富とはお世辞にも言い難い。人間界の方がたくさんの資源があるのは事実だ。


「もう一つは?」


 僕の質問にラヴィーナが何故か口ごもる。こちらを見る視線には気遣うような気配があった。


「もう一つは……歴史的な事情。魔界では、私たち魔族は人間たちによってこちらの世界に追い出されたっていう伝承があるの」

「……え?」


 初めて聞く話だった。人間界で聞いたことがないのはもちろんのこと、光の精霊からも聞かされていない。


「あくまで伝承よ。事実かどうかは分からない。けど、先代の魔王が広めたのもあって、魔族たちは信じきっているわ」


 ラヴィーナが僕を見つめる。


「ごめんなさい。私の責任よ。為政者として悪質な風聞を払拭しきれなかった」

「いや、いいんだ……」


 取り繕うように僕は言うが、上手く言葉にできていない。

 自分でも不思議だった。僕は一体、何にこんなに動揺しているのだろう。仮にこの戦争の発端が人間たちにあったとして、そうしたら僕はどうするつもりだったのだろうか。


 彼女の表情が悲痛なものに変わっていたことに気がついた。


「私の、せいよ。私が、怖くてできなかったから」


 ラヴィーナの声が震えていた。


「怖かった、の。魔族たちは、皆して人間界に侵攻すべきだって。それを私がしないって決めたら、そうしたら……」

「そうしたら、今度こそ一人になるから……」


 僕の言葉に彼女が驚いたように顔をあげる。

 今度は僕が話す番だった。『勇者』とは何者なのか。どこから来て、何をしているのか。

 異世界人であること。人々に請われるままに戦い、一度は放棄したこと。そのときに人間たちに責められてそれが今でも恐ろしいこと。人間界を事実上、追放されたこと。本当は魔族を殺したいわけではないこと。

 これまでの全部をラヴィーナに話した。彼女はただ黙って僕の話を聞いていてくれた。


「大変、だったのね」

「ラヴィーナほどじゃ、ないさ」


 話終える頃には器の中のお茶もすっかり冷めきっていた。それを飲み干すと甘ったるい味が口の中に広がった。


「私のせいにしても、いいのよ。戦争が始まらなければシャールは苦しまずに済んだんだから」


 そう言って彼女は微笑む。儚げな笑みだ。僕はすぐに首を横に振った。


「それはできない。どういう理由と事情があったにせよ、人間たちを助けることも助けないことも僕が決めたことなんだ。だから、あのときあの子が死んだのは僕のせいなんだ。他の誰のせいでもない」


 脳裏には昔、自分のことを無邪気な笑顔で応援してくれた子供の顔が浮かぶ。僕が一時的とはいえ戦うことをやめたせいで死んでしまった子供の顔が。

 あの子が死んだことは誰のせいにもできない。人間たちのせいにも、ましてラヴィーナのせいにも。


「それに、この戦いが長引いているのは僕のせいだ。ラヴィーナこそ……」

「できないわ。あなたと一緒よ」


 一緒と言われてしまっては僕はそれ以上は言えなかった。どうやら、僕らは二人揃って不器用らしい。


 お互いの話はこれで終わりだった。僕は『魔王』のことを知り彼女は『勇者』のことを知った。

 僕らは何も言わなかった。戦うのはやめようだとか、二人でどこかに逃げようだなんて話はしなかった。それができていれば、きっともっと早くに事態は好転していただろうから。

 僕らは怖いんだ。人間たちから、魔族たちから、拒絶されるのが。この世界で一人になってしまうことが。例えお互いがいたとしても、その恐怖からは逃れられるものではないんだ。


 僕も彼女も弱かった。ただ僕たちは静かに、互いに身を寄せ合うことしかできなかった。

 ラヴィーナは暖かかった。それでも、脳裏に走るノイズと、人間たちの僕を責め立てる幻聴を消すことはできなかった。

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