第10話 正義の在り処

 ダビリアは魔王軍第三方面軍傘下の部隊に所属していた。二対四枚の翼、額からは逆反りの捻れた二本の角、闇色の体毛に覆われた肉体を持つ一族に名を連ねる。翼も額の角も魔界の一族としては標準的な特徴だがその普遍さが気に入っていた。


 彼の一族は武を重んじていた。彼の父も、そのまた父も魔王軍で魔王に忠誠を誓いその力を振るった。そして子供の頃からそれを聞かされていた彼もまた早い時分から魔王軍に入ることを決意していた。


 大人だと認められる年齢になってすぐにダビリアは魔王軍に入った。同時期に入った他の魔族たちと共に修練を重ねて第三方面軍に配属となった。所属が決まった後すぐに家族に報告をするとみんな喜んでくれた。軍役中に死んだ父も喜んでくれるだろうと思うと、嬉しくなった。これで一族の責務が果たせる。


 ダビリアが配属となった頃はちょうど人間界に侵攻している最中だった。ダビリアもまた多くの魔族と同様に種族の違いによる圧倒的な力の差を元に、大勢の人間たちを殺して領土拡大において活躍した。


 勝利を仲間たちと分かち合い、喜び、自分の職務に誇りとやりがいがあった。この時代はダビリアにとって最も幸福なものだった。


 ある日。戦友であるソロナにダビリアは呼び出された。


「ダビリア。俺は第二三七地区に配属になった」

「本当か?」


 第二三七地区は現在、人間たちが『勇者』と呼ぶ何者かが滞在している。その存在は人間の姿をしているが魔族よりも強く、多くの仲間が葬られた。

 その地区にソロナは向かうというのだ。ダビリアは思わず最悪の事態を想像してしまった。


「大丈夫なのか?」

「分からん。だが、我らの父祖と仲間たちのために全力を尽くす」


 そう言ってソロナは不安げな顔をするダビリアに勇猛な笑みを浮かべてみせた。

 そしてダビリアの想像通りに、二度とソロナは帰ってはこれなかった。その遺体さえも。


 ソロナを含む部隊は一夜で全滅。状況を確認し遺体を回収するための部隊さえも『勇者』に襲われて殲滅させられた。軍団長は遺体回収を断念した。

 ダビリアは仲間を殺されたことに憤った。軍団長にも遺体回収を断念しないように直訴し、討伐隊を組むことを要請したが、全て却下されてしまった。

『これ以上の犠牲は増やせない』──そう言われてはダビリアも引き下がるしかなかった。


 しかし、その後も何人もの仲間たちが『勇者』に殺された。上官であるバルバレム。ソロナと同じく同期のレギンとアム。後輩のマルベル、パイル、エリグレ。何人もの軍団長たち。


 軍に名を轟かせる武人たちも大勢殺された。稀代の呪術師アイム、武術の達人フェリネル、偉大な魔剣士サビレカ、至高の騎士ロノウ、紅蓮の射手ハルファ──。


『勇者』は恐ろしいほどの早さで魔王軍の猛者たちを刈り取っていった。まるで光が影を吹き飛ばすように。

 その中でダビリアは生き続けた。強かったからではなく、単に遭遇しなかったという幸運のために。


 ダビリアにとってこれは屈辱的なことだった。仲間たちが次々にやられていく中で自分だけが無事でいることは彼には耐え難かった。

 だが戦局が変化していく中で、彼は否応なしに『勇者』と対峙することとなった。もう彼が配置されている拠点しか魔王軍に残されていないからだ。


 部隊長であるヴィーネの元、ダビリア、ウヴル、アロケラルの三人は拠点に『勇者』が侵攻してきたときの陣形や戦術について何度も何度も確認と改良を重ねていった。

 ウヴルとアロケラルはこの部隊で初めて出会ったが、彼らもまた『勇者』に友人たちを殺されている。何としてでも打倒したいという想いは、部隊長のヴィーネを含めて同じだった。


「もう拠点はここしか残ってない。俺たちで最後だ」

「必ずあのふざけた敵を打ち倒す」


 一つ目に紫色の肌を持つ巨人族であるウヴルがダビリアを見下ろしながら言い、獣人のアロケラルが牙を剥き出しにしながら続ける。


「戦友たちの仇を取るために。必ずやり遂げよう」

 ダビリアの言葉にウヴルとアロケラルが頷く。


 拠点内で警報が鳴った。『勇者』が移動時に発する莫大な魔力を感知して報せる警報だ──いよいよこの時がきた。


「いいか、やるぞ」


 部隊長のヴィーネが号令をかける。四人は待機室を飛び出して戦場へと向かった。

 残された第三方面軍の全てを集めた光景は圧巻の一言だった。

 述べ数千にも及ぶ屈強な兵士たちの群れが、人間界特有の緑色の“植物”なるものが覆う平野に並び立つ。


『勇者』の侵攻方向は予め分かっていた。その方角に合わせるように長大な縦列の陣形で待ち構える。陣形内に捉えたら即座に包囲する戦術だ。

 ヴィーネ麾下、ダビリアたちは陣形の中央半ばに位置していた。敵の突撃の勢いが止まる頃合いに真正面に陣取れる、最も武勲の立てやすい位置だ。ダビリアの前方左右にウヴルとアロケラル、さらに前方にヴィーネがいる。彼らが前衛を務めてくれる手はずだ。


 戦場を静寂が包む。空には灰色が広がっていた。無性に故郷の美しい闇色の空が懐かしくなった。


「来たぞっ!!」


『勇者』の到着を報せる最前列の号砲が聞こえたのと、爆発のように巻き上がる砂塵が見えたのはほぼ同時だった。


 砂色の塔と見紛うほどの砂塵が吹き上がる。宙に何人もの仲間たちが放り出されて吹き飛んでいくのが見えた。次の瞬間には右方の陣形半ばまで何かが走る。不可視の何かに巻き込まれた仲間たちが身体を真っ二つに引き裂かれて宙を舞う。視線が右に流れると同時に轟音。左方で陣形を組んでいた魔族たちの上半身だけがいくつも跳ねて地面へと落下していく。


 絶叫と何かの爆音。剣戟の音など聞こえるはずのない自陣深くで、大勢の仲間の断末魔が耳を劈く。

 衝撃音。前方で陣形を組む兵士たちが紙細工のように吹き飛び、ダビリアの頭上を通過。風が巻き起こり、砂塵をかき消していく。晴れた景色の向こうでは悲惨な破壊痕。強固な陣を組んでいたはずの第三方面軍はダビリアより前方のほとんどが壊滅していた。


 周囲には四肢がバラバラになった死体。飛び散った腕や足、翼に頭部。吹き飛んだ仲間に激突して圧死させられたものや土塊が突き刺さって地面に縫い付けられたものさえいた。無数の死体とその残骸が戦場の至る所を埋め尽くしている。

 立ち込める死臭と散乱した死体の真っ只中に佇むのはただ一つ──人型の“何か”だった。


 ダビリアの脳裏に死が浮かび上がる。ほんの一瞬で起こった凄惨な出来事に全身がすくみ上がり、脚が意思とは関係なしに震えだした。左右に引き下がったウヴルとアロケラルも同じだった。


「怯えるな! 何のために我々はここに立っているんだ!」


 部隊長のヴィーネが鼓舞するために絶叫する。その一言が小さな勇気を再び沸き起こらせた。

 自分は何のためにいるのか。それは一族のためであり、父祖のためであり、仲間たちのためであり、そして自分のためだ。


 今日このときのために死ぬ思いで訓練を重ねてきた。仲間たちの無念を晴らすために彼らの技だって習得した。バルバレムの剣術を、レギンの体術を、アムの戦術眼を、そしてソロナの奥義を。


 かの『勇者』に食らわせて、仲間たちの代わりに葬るために。

 それを思い出したダビリアは怯懦を振り払った。毅然と前を向き、自分たちの敵を見据えた。


「よし、行くぞ!」


 ダビリアの言葉が爆発音でかき消される。三人の眼前で部隊長ヴィーネの五体が爆散した。


「……え?」


 場違いな気の抜けた声が漏れた。『勇者』はただ一歩を踏み出しただけに見えた。それだけで『勇者』は一瞬でヴィーネまで距離を詰めた。そして邪魔なものを退けるように、開いた手を無造作に突き出しただけだった。ただそれだけで、ヴィーネの身体は衝撃で引き裂かれてばらばらになった。


 ヴィーネの血が三人に降り注ぎ、臓物と肉片が散乱。粘着質な音を立てていくつもの残骸が転がった。

『勇者』の姿を視認する。勇むわけでもなくただ淡々と作業をこなすような無感情な表情が読み取れた。その肉体には傷一つない。青や紫に黄色で、全身を魔族たちの返り血で極彩色に染めていた。


『勇者』の視線はこちらを向いていなかった。ただ景色を眺めるように拠点の方を向いているだけだった。左手に持った白銀の剣が振るわれる。剣身は誰にも届いてなどいないのに。

 それなのにその前方にいたウヴルは真っ二つになった。


「ウヴ──!」


 仲間の名前を叫ぶ。視界に青紫の血が飛び込む。隣にいたアロケラルの上半身が消えていた。


「……あ……あぁ……」


 もはや声も出せなかった。技や戦術の問題ではない。数の問題でさえない。

 こちらを見もしないで殲滅できる敵を相手に、一体何が出来るというんだ──。


『勇者』が剣を振りかぶる。その真正面にいてダビリアは一歩も動くことができなかった。

 それが彼が見た最後の景色だった。

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