これから始まる。

 なんてことだろう。

 あまりに腹が立ったから、とにかく話をぶちまけたくて親友の春子の職場に押しかけるという、普段なら絶対しないことをしたのに。

 あろうことかあの男もここに来るとは。

 胸が痛い。涙腺がまた刺激される。すべては目の前の男のせいだ!

「春子! あいつ! あいつがストーカー! 逮捕して! お願いだから!」

「あらイケメンじゃない」

「そういう問題じゃない!!」

 バンバンと机を叩く。警察ってやっぱり市民の味方じゃない。ただの公務員の税金泥棒だ!

 そんなやさぐれた思考をしだした雪の肩にぽんと手が置かれる。春子と夜勤を共にしていた男性警官だった。

「あの……なんかごめんなさい……」

「な、なんであなたが謝るんですか」

 男性警官はバツの悪そうな顔をして黙り込んだ。

 そうこうしてると彼にストーカーが詰め寄ってくる。

「えっ、なんで雪ちゃんが隼人くんといるの!? 知り合い!?」

「ちげーよ、いま初めて会って、おまえのバカさ加減を謝罪したとこ」

「お知り合い……なんですか……?」

 雪は恐る恐るといったように尋ねた。そうして警官が頷くと、深いため息を吐いた。

「警察の知り合いにストーカーだなんて……世も末ですね」

「すみません。こいつ恋すると面倒くさくてさ」

「ストーカーを恋なんて言葉に置き換えないでください! 会社にまで押しかけて来たんですよ!」

「だって会いたかったんだもん!」

「トキトは黙ってろマジで!」

 あの男はトキトというのか。今初めて知った。

 そういえばずっと優男のストーカーという認識しかなかった。知ろうともしなかった。そんなことを思っていると突然がしっと手を掴まれた。トキトだ。

「雪ちゃん。この前はごめんね。ホテルでのこと。怖かったよね。オレも雪ちゃんが可愛くてそんなこと気づけなくて…………ごめんなさい!」

 手を握られたまま勢いよく頭を下げられる。

「おもしろがってたくせに」

「だってそのときはおもしろかったと思ったんだ。でも雪ちゃんにしてみれば、知らない男と一緒にラブホなんて怖かったよね」

 おや、と雪は思う。ストーカーなんて相手のことをまったく考えない人種かと思ったが、意外とそうでもないらしい。少なくともこのトキトは、あのときの雪の気持ちを、彼なりに考えたということは見て取れた。

 まあ、だからといって仕事用のスマホに電話したり会社に押しかけたりしていいわけではないのだが。

「あなたに迫られたとき、本当に怖かったんです」

「うん、ごめんなさい」

 頭を下げたまま謝罪の言葉を口にする。ただし手は握ったままだ。会社の前で唇に当たった、角ばった男の手だ。

 その筋に、雪は指を這わせる。びくりと手が揺れる。

「許したわけじゃないです」

 手を引き抜こうとして、でもがっちりと掴まれているのがわかるとすぐに諦めた。

「女の服脱がしたり寝起きで混乱したとこ写真撮ろうとしたり会社まで押しかけて来たり、男の風上にもおけません。ドン引きです」

「うっ」

 顔は下げられてどんな表情をしているかはわからないが、声からしてダメージを受けているようだった。そうなるように言ったのだから効果的だったということだな。自画自賛。

「許してくれとは言わないよ……雪ちゃんがそう思ったことは事実だから……」

「私のこと好きって言っておいて、別の女の人といたくせに」

「あれは仕事の……オレ、ホストやってるんだ! 今本当に恋したいのは雪ちゃんだけだよ!」

「信じられません」

「じゃあっ!」

 そこでばっと顔を上げ、トキトはまっすぐ雪を見つめた。

「とっ、友達から始めてもらいたいんだけど、いいかな?」

 雪はまじまじとトキトの顔を眺めた。整った顔立ち、睫毛が長く幼かったら少女と見間違うような、そんな相貌だと気づいた。そんなイケメンの顔が真っ赤に染まって必死にこちらを見ているものだから、雪は思わず笑ってしまった。

「うっそ、雪ちゃん今笑うところ!? かわいいけど!」

「ウケるその顔……」

「ひどい!」

「あなたが私に最初に言った言葉もこれじゃありませんでした?」

「うっ……」

 覚えていたのか視線をそらす。加害者側は他人を傷つける言葉を忘れやすいが、彼は覚えていたようだ。

 それに免じて……

「友達、ですよ。それ以上はありませんから」

「え……」

 目を丸くして雪を見るトキトは鳩が豆鉄砲を食ったようという表現がぴったりな顔をしていた。

 しばしの沈黙。

「やっっっったぁあああああ! 隼人くんやったよオレ!」

 男性警官のほうへ顔を向け歓声を上げるトキト。その間も手は雪の手を握ったままだ。

「話聞いてたか? 友達が認められただけだぞ」

「それ以上にしてみせるから! 雪ちゃん、覚悟してね!」

「それでまた同じようなことしたら、今度こそ警察に通報しますから」

「大丈夫!」

 その自信はどこからくるのだろう。

 ただ、無邪気に喜ぶトキトを見ていて悪い気はしなかった。

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朝起きたら知らない男が隣にいました。 楸 梓乃 @shino7

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