いざ、お城へゴー!

 ラフート。城壁に囲まれたその町、上りかけの日が、古城を照らし、影を落とす――。

 その明朝の光景を、一つの馬車が街の外から見上げていた。


「なんだかな~。おじさん、別に人を運んで生計立ててるわけじゃないんだけどさ。なんだかそればっかりやってる気がするよね……」


 独り言の様にぶつくさと、手綱を握る行商人は呟いた。

 と、そこで、荷台から、一人の女性が地面へと降り立った。


 黒い短髪に、緑に近い様な青色の瞳。堂々と胸を張り背筋を伸ばしたその軽装の女性は、左手には盾を持ち、腰には装飾の入った剣を差している。

 凛々しい印象のその女性は、依然手綱を握る行商人の下へと歩みより……申し訳なさそうに頭を下げた。


「すいません、無理を言ってしまって……」

「ああ、良いよ良いよそんな。おじさんもね、ちょっと心配だったしね。お嬢さんはちゃんと道中話相手になってくれたし」

「そう、ですか……」

「まあ、かといっておじさんはこれ以上一歩も近寄る気ないけどね。危ないの嫌だからさ~」

「はい、わかってます。運んでいただいてありがとうございました」


 折り目正しく頭を下げた女性に、行商人はにこやかに微笑む。


「じゃあ、おじさんもう逃げるけどさ。気をつけるんだよ?」

「はい。大丈夫です。宵虎さんたちがいるなら、もう終わってるかもしれませんし。なにより、こう見えても私、一応、王者ですから」


 自信満々、とまでは行かないまでも、それでも堂々と言い放ち、最後にもう一度頭を下げて、女性は堂々と、ラフートへと歩みだした。

 それを見送り、行商人は妙に感慨深く呟いた。


「ちゃんとしてる友達もいたんだね~」


 そんな言葉を残して、馬車は反転し、そそくさと逃げ去って行く。


 それを背に、女性――ウェインは歩み続ける。

 ラフートが魔に落ちた――そんな知らせをウェインが聞いたのは、ほんの数日前、宵虎達を見送ったそのすぐ後だ。そこがアイシャの故郷だとウェインは聞いていたし、めったな事はないだろうとは思いながらも、恩返しの機会――あるいは永遠客寄せに使われるのに少しうんざりして逃げ出そうと――送ってくれる人を探した末に、さっきの行商人にあったのだ。


 そして今、ウェインはラフートへと歩む。

 魔物と戦った事は、ウェインにはない。王者といえど対人戦――あまり役には立てないかもと微妙な自身のなさは未だ抱えているが、それならそれで出来る事を手伝おうと言う前向きさも同時にある。


 師の影はもう、追い切った―――ウェイン・アーヴィングは堂々と歩んだ。


「とりあえず、行ってみる場所は……」


 その前向きな視線が捉えたのは、ラフート、その中心に鎮座する酷くわかりやすいシンボル――。


 *


「いざ!お城へゴーにゃ!」


 昇る朝日の最中、講堂の門を背に、黒猫は元気良くそう声を上げた。

 そんなネロに、見送りに出たキルケーは心配そうな顔で、だがネロの決意を酌んでくれたのか止めはせず、ただ「気をつけて行って来なさい」とだけ声を投げた。


 オーランドとアンジェリカは割りと淡白に一言二言言葉を交わし、……なんかオーランドが足を踏まれていたりもしたがとにかく、そうやって、朝早くからネロとアンジェリカはラフート中心の城へと向かう。


 通訳、突っ込み………いつの間にやらそう言う役回りが板についていたネロだが、元はと言えばネロは使い魔。アイシャと宵虎がおよそ計画を立てようとしない――これまでその必要すらなかった為にほぼ発揮されてこなかったその本領が遂に今日、発揮されるのだ。


 見上げる城――それ自体もまた城壁に囲まれた古城。朽ちた門の隙間から、雑草の生えた庭が覗くそこを前に、ネロは威勢良く声を上げた。


「と言う訳で、潜入開始にゃ!アンジェリカ、あたしがボスだからにゃ?雇い主だからにゃ?ボスが命令するにゃ!さあ、あたしごと姿を消して早速侵入にゃ!」


 せっかくお金払ったし一杯貢献して貰おう。そんな事を思いながら、ネロはそう言った。

 確かにアンジェリカは前敵だったが、お金大好きと言うその点においては疑う余地はない。善も悪もなくお金が全て。ならお支払いしている間はきっと裏切らない……はず。


 ………だが、ネロの声に、返事はなかった。


「…………」

「にゃ?……アンジェリカ?どうしたにゃ?にゃ~、実はビビッて声も………」


 そう言いながら、ネロは振向く。

 その先に人影がない。確かについさっきまで、アンジェリカはネロの後ろを歩いていたはずだと言うのに……。


「アンジェリカ?今はそう言うの良いにゃ。ボケてる場合じゃないにゃ、アンジェリカ。………アンジェリカさ~ん?」


 きょろきょろしながらネロは声を上げる。

 ぴゅー、と一人きりの城門前に、風が吹いた。


「………作戦開始前に裏切られたにゃ!?案の定!?ていうか思ったより数倍早かったにゃ!?」


 ネロはわめいて頭を抱えた。

 思えば……アンジェリカはアイシャから甘さを抜いて性格の悪さを更に追加したような女………アイシャにさえ振り回されているネロに、制御できるわけも無い。


 というか、そもそも、まともにネロの話を聞いてくれる人に殆ど会った記憶がない……。


「やりたい放題しない人は、どこかにいないのかにゃ……」


 ネロは静かに涙を流すが、それで状況が変わるわけでも無い。

 ポジティブに行こう。ネロはそう、気合を入れた。ピンチになってからはしごを外されるより大分マシだと。


 裏切られたから帰って来ました……などと言う気はネロにはさらさらない。アイシャの居場所と安否を確認するのだ。


 お城の図面は穴が開くほど見てあるし、全部ちゃんと覚えてある。もしもの時の逃走ルートも考えてある。


 とにもかくにも、まずは正面から入ってみよう。そもそも、吸血鬼は一人だけ。昼間なら弱体化して、あの血でできた魔物が生み出せなかったりもするかもしれない。


 朽ちた門を少し、ギギと鳴らしながら押し開け、ネロはその先――雑草の生えた庭を歩んでいく。


 足元には少し苔の生えた石の通路、低い階段。それらを上りきった先に現れたのは、分厚く重そうな、城自体の入り口の扉。

 ネロはその手前で立ち止まると、その場で人の姿に化け………ゆっくりとそのドアを押し開け、こっそりと城の中を覗き込む。


「にゃ~………」


 当然ながら、その戸の先にあったのは、エントランスだ。ただっぴろく静かなエントランス。奥、中央には大きな階段があり、例に漏れずそこもほこりを被り、僅かに崩れかけてもいる。


 明かりは方々の窓から入り込む四角い日の光だけ……何も見えないというわけでも無いが、特別明るいというわけでも無い。


 装飾品だろうか。ところどころに、どこか古ぼけたような、半分崩れた彫像が置かれていた。ひび割れてしまった女神や、苔むした騎士。

 魔物の姿はない。あの吸血鬼は勿論、その手下らしき血で出来た魔物の姿すらも。

 昼間は、出てこられないのか……あるいはそれとも、この城に吸血鬼がいないのか。

 どうあれ、ネロは調べに来たのだ。アンジェリカはどこかに行ってしまったらしいが、だからと言ってネロまで尻尾を巻いて帰るわけには行かない。


「……お邪魔しますにゃ~」


 特に意味もなくそんな声を上げつつ、ネロは恐る恐る城の中へと踏み込んだ。

 日の明かりが薄いからか、空気は妙にひんやりしている。


 足音をしのばせ、周囲をきょろきょろ見回し………ネロはエントランスを歩んだ。

 エントランスの先には、いくつか扉がある。見取り図は見たから、どれがこの城のどんな場所に繋がっているか大体わかるが……アイシャや吸血鬼の居所がわかる訳でも無い。


「………気配がする~むしろしろ~………。いやもう、気配ってなんだにゃ、だんにゃ~……。にゃあああ、やっぱり片っ端からかにゃ……」


 そう呟き、ネロは肩を落とし、とりあえず正面にある大きな階段へと歩みだした。

 と………。

 ぴしゃ。そんな、水溜りでも踏みしめたような音が、歩むネロの足元から聞こえてきた。


「にゃ?」


 何を踏んだのか……首を傾げた末、ネロは自分の足元を見てみた。


 足の下に、液体がある。赤黒い、乾いた……それでいて、ネロが踏んだそこだけ妙に液体に変化したらしい………黒ずんだしみ。薄暗かった為に見落としていたそれを、ネロは踏みしめていた。


「……これ、もしかして………」


 顔を引き攣らせながら、ネロは後ずさった。

 そんなネロの前で、黒ずんだ染みはだんだんと赤さを取り戻していき……蠢き、だんだんと、膨れ上がっていく。しみから槍が生え、手が生え、沼から這い出るかのように、しみから身を乗り出そうとしているのは、あの血の色の甲冑―――。


「……やっぱりかにゃ?……お邪魔しました!」


 言うが早いか、ネロは逃げ出した。現れたのは吸血鬼の手下だか一部だかな、血の色の騎士。宵虎からしたら雑魚扱いだった敵だが、ネロからすれば強敵と言うか勝てるわけがない。


 とりあえず、この赤い人がいるなら吸血鬼はこのお城にいるのだろう。それがわかったのだからもう十分……なわけも無いがこのまま突っ込んでいくわけにもいかない。


 一回城の外まで逃げて、その後改めて別の入り口からお城に入ろう。

 そう考え、一目散に入ってきた扉へと駆け出したネロだったが………その行先に、不意に赤い影が立ちふさがる。


「にゃ!?」


 つんのめるように立ち止まったネロの正面にいるのは、血でできた獣。


 背後にはさっき出てきた赤い騎士の姿もあり……そのほかにもエントランスのそこらで何体か、血でできた魔物がしみから這い出ている。


 あの吸血鬼は、エントランスのそこら中に、あらかじめ血をまいていたらしい。不用意に踏んづけたら、物騒なお出迎えが現れる……そんな罠のようだ。


「………どうしよう」


 明らかにネロより強い敵に取り囲まれて、ネロはとりあえずそう、誰かの真似をしてみた。

 そう言ってみたらなんとかなるかな~と思ったのだ。


 …………まあ、当然、何とかなる訳も無い。それをよく言っていた男は、大抵最終的にごり押しでどうにかしていたのだ。が、非力なネロにそんなまねできるはずも無い。

 目の前から魔物が、背後から騎士が、ネロへと迫ってくる――。


「にゃあああああ!?誰でも良いから助けて欲しいにゃ!アンジェリカさ~ん!?………マジでいないのかにゃ!?」


 悲鳴を上げて、ネロはエントランスの中を逃げ回りだした。

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