窮地に手は遠く………
フレイアーク。武門、身内に影を作る。
素養は生まれ持っていた。才気も鍛錬も欠ける事はなかった。ただ、一つだけ足りていなかったのは……心。
心の無さが、欠け落ちていた。
「……ッ、」
アイシャは弓を弾く――放たれた不可視の矢は、歩み寄る銀髪の青年の腕を貫く―。
血が舞った。銀髪の青年は、自身の腕の傷を、どこか退屈そうな顔で眺め……その光景に顔を顰めたのはアイシャの方だ。
目の前にいるのが魔物である事はわかっている。ラフートを廃都に変えたのも、こいつだろう。それがわかっていても……人の形をした敵に、その身に帯びた傷に、アイシャの方が痛みを覚えてしまう。
いや、非情に徹するべきだ。明らかに、目の前にいる奴は人間じゃない。アイシャは自身にそう言い聞かせ――ステップと共に炸裂矢を放つ。
「……ラピッド・バースト!」
吹き飛ばすのは自分自身。慣れ切った加速、慣れきった浮遊感―――銀髪の青年は、興味深そうにアイシャの行動を眺めている。
――余計な情は捨てよう。相手が余裕ぶっている今がチャンスだ。
早くこいつを倒して、宵虎の援護に―――いや、そもそも、こいつの血を基にしているのならば、こいつを倒せば宵虎の周囲にいる血でできた魔物も消え去るかもしれない。
「集え……抗わず我が元に」
吹き飛ばされている最中――着地した足で地面をすりながら、アイシャは言霊と共に弓を引いていく――。
「黙し嘆け。従い怨め。その矛先を我が意に委ねよ……」
引き切った弓―――体の流れは止まり、周囲で風が凪ぐ。
圧縮された大気はアイシャの手の中で巨大な矢、あるいは槍の形を取り、その矛先は、まっすぐと銀髪の青年を捉える。
アイシャの動きはそこで止まった。胸中にはまだ迷いが残る――。
その一瞬のためらいが致命的だった。
気付くと、視界の先から銀髪の青年の姿は消えていて―――その姿が、すぐ真横にある。
「……あんまり、ちょろちょろしないでよ」
瞬間移動する相手に、何を悠長な事をしていたのか………そんな風に自戒する暇もない。
即座に、アイシャは弓をそちらに向け、かき集めた大気を撃ちはなった。
「吹き飛べ!ラメント・へビィレイン!」
放たれ――その瞬間に幾条にも枝分かれしていく風の矢。それが、夜空へと飛び上がっていく――。
けれど、肝心の敵には、当たっていない。目の前に黒い煙が舞い――。
背後から、アイシャの肩がつかまれる。
「………頂きます」
耳元で囁かれるその声に、大技の直後のアイシャは、対応できない。
何が足りなかったか………何処でミスをしたのか。余裕がなかったのが問題か、焦りすぎたのか、単純に敵が強かったのか……。
「う……」
アイシャの首筋に、鋭い痛みが走った。
「アイシャ!?」
驚いたような声が聞こえる。ネロの声だ。物陰から飛び出ているらしい――だが、その視界も、耳もかすんで―――塗りつぶされている。
吸血鬼。なのだろう。食べられている。だが、奪われているというより………。
急速にアイシャの意識が暗がりに飲まれ、深い眠気に落ち込んでいった。
*
「……アイ、シャ……?」
ネロは、力なく呟いた。
銀髪の青年がアイシャを後ろから羽交い絞めにし、その首筋に噛み付いている。
アイシャは意識を失ったのか、力なく倒れこみ……そんなアイシャを、銀髪の青年はかみ続け、血を吸い続ける……。
「……や、やめるにゃ!」
ネロはそう声を上げて、駆け出した。
アイシャが勝てない相手に勝てるわけがないとかそう言う事も考えず、ただただ、アイシャを助けようと。
何も考えず駆け、銀髪の青年へと、ネロは牙を剥き、爪を立てる。
けれど、銀髪の青年はうっとうしそうに片腕を振るい、そんなネロを吹き飛ばした。
「にゃああああ!?……うう、」
涙目で、ネロは倒れこんだ。
負けると思っていなかったのだ。誰がどのくらい強いか、なんて見上げるネロにはまったくわからない。そう言う事を学ばず、危ない目にあっても能天気に旅していられるくらいには、アイシャにも宵虎にも余裕があった。けれど、今は………。
ふらつきながら起き上がるネロ――それを、銀髪の青年は眺めていた。
「……ただの猫じゃないんだ。君は、デザートね」
どこか子供の様にそんな事を呟き、また力なく倒れるアイシャに牙を立てようとして―
「………アレ?この子………」
その呟きは途切れる。
突き出された燃える太刀に。
明確な怒りをその顔に浮かべ、無理やり包囲を突破したのだろう、体中に傷を負いながらそれを気にするそぶりも見せず、ただ憤りに燃える宵虎によって。
火炎を纏う突き―――それが当たる寸前で、銀髪の青年はアイシャを抱えたまま、大きく飛び退いた。
「だ、だんにゃ………」
呟くネロに一瞥すらくれる事もなく、宵虎は猪武者の様に猛然と飛び退いた青年を追いすがった。
その目に映っているのは、アイシャ。そしてアイシャに牙を剥いた魔物のみ。
銀髪の青年は、僅かにこげた髪に顔を顰め、呆れたような視線を迫る宵虎に向ける。
「……危ないな。それ、当たったら不味い奴なのか」
そんな呟きを漏らす銀髪の青年――宵虎はその顔へ向けて、再び突きを繰り出した。
アイシャを抱えている以上、縦であれ横であれ薙ぎ払えばアイシャに当たる。その判断だけは冷静に―――胸中の苛立ちは冷たい殺意を呼び起こす。
「アイシャを返せ!」
咆哮と共に繰り出された突きを、銀髪の青年は後方に飛んでかわした。
「アイシャ?……さっきも言ってたね。この子、そういう名前なんだ……」
そんな事を呟いた後――銀髪の青年は、不意に、自身の手に噛み付いた。自身でつけた深い傷跡から血が垂れ、地面に触れた途端、その血痕が膨れ上がる。
銀髪の青年と宵虎を分断するように、姿を現しかけた血の色の騎士――
「邪魔だァ!」
――それが形をなしえる前に、宵虎は両断し、前へと進み出る。
血飛沫と火炎が舞い踊る最中、踏み込む宵虎の雄たけびが上がり、それを前に、銀髪の青年は煩わしそうにつぶやいた。
「……うるさいな」
その直後だ。青年の手――噛み付き血を流したそこから、まるでそれ自体が意思を持っているかのように、血が噴出し、踊りだし、―――やがてそれは剣の形を取った。
その剣でもって、青年は軽々と、宵虎の突きを弾く。
突きであれ、宵虎は剛腕、それを軽々と細腕で弾き、青年はまた背後へと跳ねる。
更に追う―――それ以外に思考のない宵虎の眼前、足元、そこに落ちる青年の血痕。
膨れ上がったのは、青年が宵虎の剣を弾いた直後、まだ突きを弾かれ体勢が崩れたまま、宵虎が反応できないその時だ。
騎士ではない。魔物でも無い。槍――いやそれにすらなりきらないような、何本もの細く鋭利な棘。避けようのない宵虎の身体を、その棘が貫いた。
「が、」
苦悶の声に、血の味が混じる。足、腕、胴――首と頭はぎりぎりかわしたものの、それ以外の体中、宵虎は貫かれ。
「があああああああッ!」
獣じみた咆哮と共に、宵虎は突き刺された身体を動かし、棘の全てを力づくでへし折った。
睨んでいるのは敵だけ。その腕の中のアイシャだけ。
その行動は、青年からして予想の外だったのだろう。青年は僅かに目を見開き――
――突きが捕らえたのは、青年の頬だけ。虚を突いてなお、かわされたらしい。
再び、血痕からはいでた棘が、宵虎の身体を貫く。
2度目は………振り払いへし折る体力は残っていない。
棘が消え去る―――と、同時に、宵虎は倒れこんだ。青年の血痕に宵虎自身から流れ出る血を混じり合わせながら。
青年は、そんな宵虎を見下ろし………焼けた頬の傷、治りが遅いその場所に触れながら、呟いた。
「………惜しかったね。そっちでも、別に良かったんだけど………でも、友達が出来そうだし」
そんな良くわからない呟きを漏らした末……青年の手の、血でできた剣が現れる。
確実に止めを刺そうと言うのだろう。
青年は剣を振り上げ――けれど、そこで、黒い影が二人の間に飛び込んだ。
ネロだ。人に化け、尚小さな体を精一杯広げ、びびり切った涙目のまま宵虎を背中に庇い、手を広げる。
そんなネロを前に、銀髪の青年は眉を顰め……こう呟いた。
「もう、デザートはいらないや」
その言葉と共に、剣は振り下ろされる。
瞬間、瞬いたのは、バリ――と夜を照らし出す閃光。
見慣れた、けれど久しく見ていなかった結界によって、血で出来た剣はせき止められ、
「……はあ。薬屋さんか。また邪魔するの?」
「魔術師です。やけに夜がうるさいと散歩してみれば、結構な暴れ方のようで」
そんな、聞きなれた不機嫌そうな声が、ネロの耳に届いた。
「ま、マスター………」
涙目で振り向いたネロ。
その視線の先にいたのは、見慣れた、意地を張って付いてこなかった、ローブを纏った小柄な女性。周囲には、武器を手に持った何人もの姿がある。おそらく、全員ハンターだろう。
そんな集団の先頭に立ち、ネロの視線を受けたキルケーは、憮然とした顔で、フンとそっぽを向いた。
「ま、マスター?」
「知らない猫ですね。道草食いすぎる猫なんて知りません。野良猫になりなさい」
「マスター……今、拗ねてる場合じゃ……」
「知りませんが、助けないとは言っていません。吸血鬼。その、珍しく大人しくなってる見知らぬうるさいのを返しなさい」
「この子のこと?……嫌だよ。友達になりそうなんだ」
銀髪の青年はそう答え、キルケーとその周囲のハンター達を眺め……呟く。
「もう、良いや。相手をしたら疲れそうだ」
その言葉と共に、銀髪の青年の姿は、アイシャごと、黒い煙となって消え去った。
「にゃ!?待つにゃ!……マスター!アイシャが……」
「……追ってすぐどうにかなる相手なら、この街はもっと平和です」
「で、でも………」
「助けないとは言っていません。が、まずは拾える命を拾いましょう。さあ。そこの見知らぬただ飯大食らいを運びなさい、リコラ」
「なんで嬢ちゃんが命令してんだよ……」
そんな言葉と共に進み出たのは、頭を丸め、白い髭を蓄えた体格の良い老人だ。
リコラは、傷だらけの宵虎の傍に屈みこみ、抱え上げながら……ネロへと話しかける。
「さっきの、アイシャか?」
「にゃ?そうだにゃ………ええっと、アイシャの知り合いかにゃ?」
「親……みたいなもんだ。とりあえず、話はこのデカイにーちゃん運んでからだな」
そのリコラの言葉にネロは頷き、それから呟いた。
「だんにゃ、大丈夫かにゃ……」
「このにーちゃんの事か?わかんねえけど……大丈夫だろ。今丁度、ヒール使えるシスター……みたいなのもいるしな」
…………ヒール使えるシスター、みたいなの?
覚えのある人のような気がして、状況も忘れて微妙な表情を浮べたネロに、リコラは不意に脈絡もなくこう尋ねる。
「ところで、お前。金持ってるか?」
………そのシスター。絶対知ってる人だ。
確信をもって……ネロは微妙な表情を浮べた。
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