深夜の来訪者
据え膳食わぬは武士の恥――とばかりに、食卓に並んでいた夕食を残らず平らげた宵虎は、けれどそれで自室へと向かう事はなく、逆に、宿の外へと歩み出た。
2階――アイシャ達の部屋の明かりはまだついている。何かしら話にでも華を咲かせているのか……。
そんな明かりを見上げた末に、僅かに笑い、宵虎は宿の戸の横に、腕を組んで持たれ掛かった。
わざわざ宵虎が外に出た理由は一つ。
気配があるのだ。
アイシャと祭りを巡っている最中から、この宿に帰りつくまでの間………宵虎達は何かにつけられていた。その気配がいつまでも消えないが為に、宵虎はこうして佇んでいるのである。
経緯を考えれば、大方当たりはつく。
あの、祭りで会った老紳士……らしきモノだろう。
闇討ちの機でも探っているのか……あちらの思惑はどうあれ、その気配が去るまで、宵虎は眠る気にはならない。
せっかく、アイシャの気分が晴れたらしいのだ。一々水を差させる訳にはいかない。
気配のある方向――更けるごとに静まっていく祭りの夜を眺めた末に、宵虎はそのまま瞼を閉じた。
眠るわけではない。ただ、どれだけの睨み合いになるか知れないのだ。多少は休んでおいた方が得策――瞼を閉じているだけでも、ある程度消耗は抑えられる。
瞼を閉じ、腕を組み、宵虎は夜に佇む…………。
どれほど経ったか……不意に、宵虎は瞼を開けた。
2階の明かりは消えている。アイシャ達はもう休んだらしい。あるいは、あちらもそれを待っていたのか……どうあれ、余計な気苦労を掛ける事もない。
宵虎は睨み付けた。正面――宿を囲む塀、その門戸に立ち、踏み入って来るその気配を。
纏っているのは僅かに夜に溶ける灰色の外套。骸骨であれ亡霊であれ、誰も彼も工夫のないその装束を纏ったそれは、肩に、骸骨が持っていたものと似た大鎌を担いでいた。
警戒を強め、宵虎は数歩進み出て、太刀の柄に手を掛ける。
途端、外套纏うそれは立ち止まった。そして、どこぞの骸骨に似て、どこかおどけた、芝居がかった仕草で手を広げ、話し掛けて来た。
「……いや、まったく。貴方は眠らないのですか?」
その声音は低い。あの老紳士と似たものだ。ただ、坊ちゃまなどとおどけて遊んでいた時とは違い、その声には冷たさが混じっている。
陽気な骸骨とも違う。この前の亡霊とも、違う。
確かに、邪悪な気配はあり、だがどうも掴みづらいそれを睨み、宵虎は唸るように、問いを投げた。
「………太った子分を連れていた奴か」
途端、外套纏うそれは、ぴたりとその動きを止める。
そして次の瞬間、それは大口を開けて笑い出した。
「ハハハハハハハハハハっ!ああ、なるほどなるほど……そう見えたんですか。確かに、言葉が通じていないのなら、肩書など何の意味もありませんね……」
そうひとしきり笑い転げた後、それは、恭しく頭を下げた。
「その通り。私は、あの豚を放牧しているモノです」
「……放牧?」
「ええ。肥え太らせ、富を与え望みを叶え、散々育てた挙句に収穫する。フフ……あの豚は素晴らしいですよ?どう生まれればあれだけ自己評価と実力がそぐわない精神が生まれるのか………。最初から堕落している以上、まあ愉しみは若干欠けますが……それはそれ。私が手塩にかけた良質な豚です。卑しかったでしょう?」
愉快とばかりに、やたら大仰に、それは笑う。
その様子を睨み、ご高説には興味がないとばかりに、宵虎は言い放った。
「舞台ならよそでやれ。騒々しい」
「いや、そうおっしゃらずに。まあ、では、手短に名乗りましょう。とは言っても、名前などありませんしねえ……。さしずめ、悪魔と言った所でしょうか。ああ、メフィストフェレスでも良いですよ?もはや固有名詞でもなんでもない事ですし」
メフィストフェレス―それは、そう名乗った。
伝承に名のある悪魔であると。
外套纏い、大鎌を担ぎ、わざわざグリムリーパーに扮し、劇上にでも立っているかのようにおどけて見せる悪魔。
それを前に、依然油断なく………宵虎は首を傾げた。
「……めふぃ?」
「メフィストフェレス。おや、ご存知ない?ああ、残念。箔がつくかと思ったんですが………果てさて、ではなんと呼んで頂きましょうか……」
わざわざ困ったように両手を広げ、それから、悪魔は腕を組み、顎に手をおいて考え込む。
暫し、悪魔はそうした後に……やがて、パチンと指をはじいた。
「ああ。……よくよく考えれば、名乗る必要などなかったですね…」
そう言った直後、―――悪魔の姿が夜に溶け、消えた。
瞬きの間の移動――再び目にしたその姿は宵虎の眼前。
月光に照る大鎌が、宵虎の首へと振り下ろされる――。
ザ―――肉が断たれる音が響く。
そして、直後には、ガンと、腕ごと落ちた大鎌が地面を叩いた。
「ほう……」
感心したかのような声を漏らす悪魔――
――それを見下ろし、抜き打ちで悪魔の腕を落した宵虎は、獰猛な笑みを浮かべる。
「……いや。名乗って貰おうか。何を切ったかわからないのでは寝覚めが悪い」
「おや、随分乗り気なようで……」
そんな呟きを残し、悪魔の姿が忽然と消え去る。
かと思えば、悪魔の姿はまた、塀の門戸の横にある。
……何がしか、素早く動く化生だろう。そう考えながら、宵虎は太刀を正眼に構えた。
早かろうが、切って切れぬ事はない。その証拠に、門戸の横の悪魔の腕は、落とされたまま欠けている。
油断なく睨む宵虎を前に、悪魔は余裕綽々と、無事な腕で自身の顎を撫でる。
「ほう、ほう……なるほど。相当な腕前のご様子で。惜しいですね。大会に出ていれば貴方は栄誉を掴んでいたでしょうに」
「……………放っておけ」
憮然と宵虎を呟いた。
それをどこか小馬鹿にするように笑い、悪魔は顎を撫でる。
「果てさて、どうしたモノか。男は殺せ、女は攫えでしたが……これは骨が折れそうだ。おまけにこの宿、他の標的もいるようで。失策でしたね……悪戯に警戒させてしまった。ああ、困った困った……」
そう、どこか嘲笑うように、困ったと呟き続ける悪魔……………けれど、それを前に、宵虎が油断する事はなかった。いや、寧ろ、宵虎は警戒を強めていく。
悪魔の気配が強まっているのだ――より邪悪に。より強大に。その気配はもはや違えようのない凶悪な化生のそれ……。
悪魔の腕―――切り落とされたそこが不意に膨らむ。ブクブクと肉が膨らみ、生え、伸び………やがて、そこには、猿のように毛むくじゃらの、酷く鋭利な爪を持った腕が生えていた。
いや、膨れているのは何も欠けた腕だけではない。
悪魔の身体全体が、膨らんでいく――。
外套の裾から覗く足は蹄に。外套の背を突き破り、蝙蝠の羽が月明かりを隠し、未だフードの奥に隠れた顔からは、しかし角……山羊の角が見え隠れしている。
悪魔が、本性を現しつつある――更に警戒を強めながら、宵虎は問いを投げた。
「……一応、聞こう。退く気はないか」
その問いに、悪魔は嗤い―――直後、その姿が、元の人間の大きさへと萎んだ。
そして、悪魔は空を見上げる。
「そうですね。……ここは退きましょう。グリムリーパーにまで気に入られているとは……流石に分が悪い。別を考えるとしましょうか。では、またいずれお会いしましょう。とぼけた無頼よ」
呟き、恭しく頭を下げ………直後、悪魔の姿は夜に溶け消え去る。
不意打ちか――そう気を張った宵虎だが、悪魔の気配は、確かに遠ざかって行く。
「…………退くのか」
憮然と呟き、宵虎は太刀を収めた。
そして、宵虎は夜空を見上げる。
そこに浮かんでいたのは、外套を着て、大鎌を担いだ骸骨。
何が楽しいのか、グリムリーパーはカラカラと嗤っている。
どうも、悪魔はその姿を見て退いていったらしい……。
「………この祭り。仇なすモノが紛れているぞ。お前が始末をつけたらどうだ?お前の祭りなんだろう」
そう、宵虎はグリムリーパーに声を投げた。
途端、夜空でカラカラと嗤っていたグリムリーパーは……いつの間にやら宵虎の背後に現れ、その耳へと囁き掛ける。
「……我は死たる概念。抗い難き確固たる終局。契りは既に結ばれた……我は浮世をただ嗤い眺めるのみ。面白おかしく導きはしよう、されど奪う事はもはや無し」
そんなグリムリーパーへと、宵虎は振り返る。
だが、振り向いた頃には、グリムリーパーの姿は既にそこになく、その姿は、また夜空に浮いている。
「死を想え、生者。現世に成す全ては、その方らが為にある……」
そして、直後、カラカラと嗤いながら、グリムリーパーもまた、夜の闇へと消えて行った。
…あの骸骨。現れはしたが、己で手を下す気は無いらしい。
どうあれ、また面倒事が増えたようだ。
そんな事を考えながら、最後にもう一度周囲を警戒した上で、宵虎は唸り、宿へと戻って行った。
「………喋れたのか、骸骨…」
「にゃ……だんにゃ…なんで……最初にそこを気にしちゃうんだにゃ……」
その夜。
寝返りを打ったアイシャに潰された黒猫は、宵虎がボケ倒す悪夢に苛まれて、……寝苦しかった。
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