深窓にどーん!

 宿の自室。

 その窓際に腰を下したアイシャは、ただただぼんやりと、外の様子を眺めていた。


 遠いお祭りの光景がアイシャの目に映ってはいる。けれど、アイシャは特にそれを見ている訳でもない。脳裏をよぎり続けるのは、ずっと昔の事だ。


 ここ数日ずっとだ。故郷の夢を見て以来、そしてこの街でまた、ヴァラールの紋章を見て以来、頭の中には脈絡のない思考ばかりが巡り、どうしても気分が晴れないのである。


 もしも、あの日、的当てがしたいと父にねだらなければ。

 もしも、その後に始まったきつい修行に耐えかねて、途中で投げ出していれば。

 もしも、あのまま、ただの貴族の令嬢で居続けたなら。


 もしも、………アイシャの生家が、普通の、名誉も富もない代わりに平穏な場所だったなら。


 アイシャも別に、現状に不満があるわけではない。宵虎やネロといるのは楽しいし、戻ってやり直せたら、などと考えている訳でもない。


 ただ、考えてしまうのだ。

 別の生き方があったかもしれない、と。

 家から………故郷から逃げ出さなくても良い人生があったのかもしれない。



 眺める先のお祭り、"メメント・モリ"。そこを歩む人々の顔は明るい。アイシャは遠巻きにそれを眺めるだけだ。


 アイシャの故郷、ヴァラールにもお祭りはあっただろう。少なくとも、戦争に勝つ度に、あの国はやたら盛大に祝っていたはずだ。


 弓を持つまでは家に閉じ込められるように過ごしていて、持った後は修行ばかり。

 アイシャには、その祝い事に参加した記憶はないけれど。


「…………はあ、」


 物憂げにアイシャは溜息をついた。

 と、その時である。


 ドーン!


 と言う派手な音と共に、アイシャの部屋の戸が、ノックも何もなく大きく開かれた。


 やはりぼんやりとそちらへと視線を向けたアイシャ。

 部屋の入り口には、普段と特に変わらず、憮然とした表情の宵虎が立っていた。


「どうしたの、お兄さん。……ノックしてよ。ノックの文化がないの?」


 やはり沈んだ様子のまま、アイシャは言った。

 言った所で、何が通じる訳でもないと、自分でそう思いながら。


 言葉は通じない。相談も出来ない。……通じた所でアイシャが相談するとも限らないが。


 どこか斜に構えたように、そんな事を考えるアイシャへと、宵虎は何も言わず歩み寄って来た。


 そして、やはり何も言わないままに、宵虎は突然、アイシャを抱え上げた。膝の裏と背中に腕を回し、アイシャの身体を持ち上げたのだ。


「うわ、何?やめてよ!」


 急に抱え上げられて、アイシャは身を捩り、腕を振り、抵抗する。


 宵虎が何をしたいのかわからず、それに、アイシャは放っておいて欲しかったのだ。だからアイシャは抵抗し、その拍子に振った腕が宵虎の顔に当たり、宵虎の頬に、薄い引っかき傷がつく。


「あ…………」


 と声を上げ、大人しくなったアイシャを抱えたまま、宵虎は自嘲気味に笑った。


「フ………間男だな」


 そして、宵虎はそのまま、部屋を後にする。




 食堂は、外へと向かう途中にある。

 宵虎はアイシャを抱えたままに、食堂を通り抜けて行く。


「……ねえ、お兄さん。どこ行くの?」


 大人しく運ばれるままに、アイシャは宵虎へとそう問いを投げた。

 だが、宵虎は特に返事をしない。ただチラリとアイシャを見下ろすだけで、迷いなく歩んで行く。


 と、そこで、食堂に威勢の良い声が響いた。


「アイシャ!」


 声を上げたのは、宿の女主人だ。

 足を止め、声へと視線を向けた宵虎――そんな宵虎へと、女主人は何かを放って来る。


 飛んできたそれをキャッチしたのは、アイシャだ。飛んできたのは、シャリと、中で何かがこすれるような音が鳴る、袋。


 中には、何枚かの硬貨が入っていた。


「これ………」


 呟きながら女主人へと視線を向けたアイシャ。

 女主人は笑顔と共に、言った。


「あんたら、お金ないんだろ?後で部屋の掃除でも手伝ってくれよ。その不器用と一緒にさ」

「……なんで?」


 アイシャは首を傾げた。

 お金を貰う意味もわからなければ、そんな親切にしてもらえる理由もわからないと。

 そんなアイシャへと、女主人は応える。


「お祭りだよ。メメント・モリ。死を想え。……もしかしたら、明日死んじまうかもしれない。だから、後悔なんて残さないで、精一杯今を楽しめって事さ」

「………どういう事?」


 尚も首を傾げるアイシャに、女主人は言った。


「強引にでも誘って貰えるうちが華だよ」


 そう言うと、女主人は厨房の奥へと引っ込んでいってしまった。


「……何が?」


 やはりいまいち状況を理解出来ないアイシャ。

 そんなアイシャを抱えたまま宵虎は女主人に一つ頭を下げると、そのまま宿の外へと歩み出す。


 運ばれながら、アイシャは手元の硬貨の入った袋を見て、それから宵虎の顔を見上げて、……多分そうなんだろうと、こう呟いた。


「お祭り、行きたいの?」


 宵虎は何も答えず、有無を言わさず、アイシャを祭りへと運んで行った。



 *



 お祭りはやはり賑わっていた。さっき遠くから眺めた光景が近く、喧騒も近く、道行く人々は皆笑顔を浮かべ……微笑ましいとでも言いたげにアイシャと宵虎を見ている。


 妙な目立ち方をしているが、それも当然だ。宵虎は異国の者……だけでなく、未だアイシャを抱えたままなのだ。俗に言う、お姫様だっこで。


 借りて来た猫の様に大人しくなりながら、アイシャは声を上げた。


「あのさ、お兄さん。わかったから。逃げたりとかしないからさ………。下ろしてくれない?これ、結構恥ずかしいんだけど……。ねえ、お兄さん!」


 いつも背中に飛びついてはいるものの、自分から飛びつくのと抱え上げられるのでは訳が違う。

 声を上げたアイシャを宵虎は見下ろし……首を傾げた。


「なんだ?じゃなくて……恥ずかしいんだって……もう!」


 そう声を上げると、アイシャはするりと身を捩り、宵虎の腕から逃れ、地面に下りた。

 それから、アイシャは腰に手を当てて、少し怒った様に宵虎を見上げた。


 宵虎もまた、アイシャを見下ろし……首を傾げた。そして、ポンポンとアイシャの頭を撫でる。


 その状況すらも、周囲の人々から微笑ましく眺められ、アイシャは少し肩を落とした。


「………はあ。別に、怒ってる訳じゃないんだよ?なんか……もう、良いや」


 アイシャはそう呟いた。

 なんだか、色々と馬鹿らしくなって来たのだ。色々と思い悩んだ所で、何が変わる訳でもない。アイシャがここ数日ぼんやりと考え込んでいたのは、全て過去の、もう過ぎた話だ。今更もしも、とかこうだったらとか考えた所で完全に無意味だろう。


 メメント・モリ。死を想え。どうせ皆死んじゃうから、世の中の全てに意味はなくて……例え、意味がなかろうと、いや意味がないからこそ、楽しく過ごせば良い。


 少なくとも、ついさっきまでアイシャは何にも楽しくなかったし、宵虎がこうして気を使うくらいには、周りにもそれが伝わっていたのだろう。


 らしくなかった……そう考えて、アイシャは小さく微笑んでみた。

 言葉は通じない。が、宵虎はアイシャに気を使って、こうして強引に連れ出したのだろう事はわかる。


 悩みが晴れた訳でもない。考え事は、まだアイシャの頭の中に残っている。

 けれど、せっかく誘ってくれたなら………今は、悩み事を忘れよう。


 顔に微笑みを浮かべたまま、アイシャはサッと宵虎の真横へと動き、いつものように、宵虎に飛びついた。


 ただし、いつもと違って、背中に飛びつくのではなく、宵虎の腕を取ってそこにしがみつく。


「なんか、こっちのが良いな~。ほら、お兄さん?お祭り回るんでしょ?行こうよ~」


 そう言いながらアイシャは宵虎の手を取って歩き出す。


 結局、アイシャに先導されながら、二人はお祭りを回り出した。


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