キャンプにアイシャの影はなく

 行先には幕の家屋の群れ……………陰り掛けの日の下、きゃんぷとやらを眼前に、そこへと歩み続けながら、宵虎は不満げに唸った。


「…会わなかったな」


 その声に答えるのは、頭上に乗っかった黒猫だ。


「そうだにゃ~、入れ違いになったか~、キャンプにいるかだにゃ。ていうか、だんにゃもしかして~、結構アイシャの事心配してる感じかにゃ?」

「フ………俺の心配などあれには不要だろう」

「おお……珍しく器用にはぐらかして来たにゃ……」


 一人と一匹は、そんな風に言いながら、キャンプへと踏み入っていった。


 異国の人間と喋る猫。どう考えても怪しさが過ぎる二人に、キャンプにたむろっていたハンター達は不審気な視線を向けた。

 10人以上、皆各々武器を持ち、所作にも武芸の片鱗は見える。


 が、……達人とまで呼べそうな奴は一人も居ない。隙の多い奴ばかり、それを己で知っているのか、宵虎に視線はくれても近付いてこようとする者は居なかった。


 そんな面々を、宵虎は見回した……アイシャの姿はない。そもそもあの達人の事、居れば既に背後に回り込まれ飛び乗られているだろう。

 と、そんな事を考えていた宵虎へと、歩み寄る人影があった。


「あら?……どちら様かしら?」


 そんな風に宵虎には理解出来ない声を投げながら、歩み寄ってくるのは一人の女。宵虎からして見慣れない黒い装束に身を包み、黒い杖を持ち……だがその顔立ちは、どこか見慣れた様な雰囲気を放っていた。


「……倭の国の者か?」

「なんか、東の方の血が入ってるらしいにゃ」


 そんな風に会話する宵虎とネロを観察しながら、女――アンジェリカは歩み寄って来る。


 気負った風もなく、警戒した風もなく、ただただアンジェリカは歩み――

 ――反射的に、宵虎は跳びのいていた。


 距離はおよそ三歩分。女の手は愚か、その手の杖すらも届きようのない距離である。

 だが、宵虎の勘が告げていた。その距離は、確かに、この女の間合いの中だったと。


 宵虎の考え過ぎかもしれない。事実、女は跳びのいた宵虎を前に、不思議そうに首をかしげている。

 だが、警戒して観察すれば、女の所作は静かで無駄がない。体に揺らぎもなく、力みもなく、……隙が無い。


 見た所、刃物を帯びている様子もなく、あるのは武器には到底見えない杖だけだが…あるいは、宵虎に害意があれば即座に反撃されていたか。


 宵虎の国にもいた、手合いだ。実力を、殺意を上手く隠し、牙を向くその瞬間まで対面している獲物には襲われている事が分からない。


 ……効率良く人を殺す事に長けた人種、そのための鍛錬。


 なるほど、このキャンプにも達人は居たようだ。あるいは装束が黒いのも夜闇に紛れる為か……。


 シスターを知らない宵虎はそんな事を思った。

 そして、アンジェリカを警戒し続ける宵虎の頭上で、猫は呆れ半分に言った。


「どうしたにゃ、だんにゃ?からかわれすぎて遂に女性恐怖症にでもなったかにゃ?」

「…………そうではない」


 憮然と呟いた宵虎……アンジェリカはその様子を観察し、頭上のネロに視線を向け、やがて、思い出したと言う風に声を上げた。


「……ああ、もしかして、アイシャの探してた人って、その人?」


 アンジェリカの問いに、ネロはあっさり答えた。


「そうだにゃ。これがおっきい迷子にゃ。ところで、アイシャはここに~って危ないにゃ!」


 突如大声を上げて、ネロは自分の口を塞いだ。

 ネロは思い出したのである。アンジェリカもオーランドも、何かにつけて金銭を要求してくると。


 払わなかったらどうなるのか……まあ、また余計にこじれていくだろう。嘘を言われるかもしれない。


 とにかくネロは、アイシャの居場所を尋ねる前に、宵虎に確認してみる事にした。


「だんにゃ?お金持ってるかにゃ?」

「………聞く意味があるのか?」

「良く考えるとないにゃ。だんにゃがお金持ってる訳ないもんにゃ~。だんにゃに期待したあたしが間違ってたにゃ」

「むう…………」


 不満げに宵虎は唸る。

 そんな一人と一匹を眺めて、アンジェリカは言った。


「アイシャなら、待ってれば戻って来ると思うわ」

「にゃ?戻って来るってどういう……って言うか、なんで教えてくれるにゃ?言っとくけど、だんにゃは文無しだにゃ!叩いても埃と垢とボケしか出て来ないにゃ」


 散々な言われように顔をしかめた宵虎の頭上で、ネロは特に意味もなくふん反り返った。


 そんなネロを前に、アンジェリカはこれ見よがしに両手を胸の前で組み、祈るような仕草で言い放つ。


「迷う者には手を差し伸べるものです。報酬など期待してはいけません」

「……怪しすぎるにゃ。何企んでるんだにゃ……。だんにゃ、間違ってもここでご飯とか貰っちゃダメだにゃ」

「……毒なら効かんぞ」

「食べ物自体じゃなくて食べる事が問題なんだにゃ!ていうか、毒って。だんにゃ~、急に女の人にビビり過ぎだにゃ~」

「だから、そうではないと……」

「わかった、わかったにゃ。そう言う事にしといて上げるにゃ~。」


 宵虎は文句を言おうとしたが、ネロは聞く耳を持たず、アンジェリカに問い掛けた。


「で……なんか怪しいけど……一応、聞くにゃ?アイシャはどこですか?」

「オーランドと一緒に、洞窟の怪物を倒しに行ったわ」

「洞窟の怪物?……なんで、そんな事になってるにゃ……」

「オーランドと取引したらしいわ。あら、噂をすれば……」


 そんな言葉と共に、アンジェリカは視線をキャンプ横の川へと向けた。


 篝火と人影の乗った小舟が一つ、向こう岸からこちらへと流れて来る。


 乗っているのは、オーランドただ一人。そこにアイシャの姿はない。

 宵虎もまたそこへと視線を向け……頭上の黒猫へと問い掛けた。


「ネロ。怪物とは?」

「にゃ~。なんか、アイシャが、ここのハンターと怪物退治に行ったらしいにゃ」


 怪物退治……その怪物がグリフォンの事を差しているのか、はたまた別か。

 どうあれ、アイシャは面倒事に巻き込まれていたらしい。


 そんな事を考えながら、宵虎は、船を下りこちらへと歩んで来るオーランドを睨んだ。


「……そのはんたーとは、こいつか」

「そうらしいにゃ」

「……ならば、なぜ……こいつは一人で居る」


 唸るように、宵虎は呟いた。

 答えを求めた問いではない。不満、疑念を口にしただけの事。


 アイシャと共に怪物退治に行ったのならば、共に戻って来るのが筋のはず。

 だが、オーランドは一人。アイシャを置いて来たか、あるいは……。


 宵虎のその唸りは、やはりオーランドには通じていない……だが、オーランドは宵虎を前に近付く足を止めた。


 敵意を持った視線、宵虎が放つ威圧感を前に、オーランドは距離を置いたまま、飄々と笑う。


「ハハハ、いきなり嫌われたらしいな。アンジェリカ、この野蛮人は?」

「アイシャが探してた人らしいわ」

「ああ……」


 アイシャの仲間か、恋人か……どうあれ、ただそれだけで、オーランドは敵意を向けられている事情を察した。


 置いて来た、見捨てて来たとでも思われているのだろう。

 事実、その通りなのだが、あからさまに敵意を向けられて気分が良い訳もない。


 飄々と、顔にあざける様な薄笑いを張り付け、オーランドもまた宵虎を睨み返す。

 と、そんなオーランドへと問いを投げたのはネロだ。


「……アイシャはどうしたにゃ」

「ガーゴイルにやられた」


 顔に笑みを貼り付けながら、オーランドは正直に答えた。

 嘘は言っていない。アイシャがガーゴイルから危害を加えられたのは事実だ。ただ、死体を確認した訳ではないというだけ。


「にゃ……そんな訳……」


 僅かに絶句したネロは、どこか不安げな様子で、宵虎へと言う。


「だんにゃ、アイシャは……その、」


 そこで、ネロは言い淀んだ。

 アイシャの身に何かがあった。オーランドは、そう言ったのだろう。宵虎はそう悟り、だが、その言葉を信じる気は無かった。


「引き際を違える奴ではない。洞窟だったな。川の向こうか……」


 呟くが速いか、宵虎はたった今オーランドが乗って来た舟へと歩み出す。

 途端、その眼前にオーランドは身を滑らせた。


「おっと、船が欲しいのか、野蛮人。ただって訳には……」


 へらへらと笑みを口に、オーランドが口にする言葉は宵虎には意味が分からない。

 あるいは、意味が通じていたとしても、聞く気はなかっただろう。


 目が腐っている。へらへらと笑っているのは、ただ相手を油断させる為だけ。オーランドの頭にあるのは打算と企みだけだろう。


 そんなモノにかかずらう気は無い。宵虎の行動、思考は今、尚の事単純だ。


 ……邪魔をするならねじ伏せる。


 宵虎は素早く脇差しへと手を伸ばす。

 その瞬間に、宵虎の周囲で二つ、殺気が宵虎を貫いた。


 一つは眼前のオーランド。

 まだ顔は笑い、力みもなく脱力はしているが……そこに油断もなければ隙もない。


 もう一つは、背後のアンジェリカ。あるいは、殺気自体はそちらの方が鋭いか。


 ……どちらも、ある程度の極みにある。一人を狙えば、もう一人にその隙を付かれ、あるいは宵虎が切られるか。


 脇差しへと手を伸ばしかけたまま、けれど、それを掴む事なく、宵虎は動きを止めた。


 状況が膠着する。

 誰かが動けば、三人のうち二人死ぬ。生き残る一人は間違いなく宵虎ではないだろう。


 だが、オーランドとアンジェリカからしても、どちらか一人が死ぬ事は確か。どちらが残るかは宵虎の動き次第……だから、あちらも動けない。


 暫し、その場で誰一人として動く事はなく……やがて、声を上げたのはアンジェリカだ。


「オーランド。たまには慈悲を覚えましょう?」


 舟をくれてやれ、とアンジェリカは言っているのだ。

 無駄に死ぬよりはその方がまだマシだと。


「嫌に優しいな。……まあ、良いだろう」


 そんな声と共に、オーランドは宵虎から視線を外さないままに、舟の前から身体をどかした。


 それを前に、宵虎もまた警戒を解かないまま、舟へと歩む。


 幾ら性根の腐った奴であれど、邪魔をしないならやたら切る気もない。

 舟へと歩く宵虎へ、オーランドはどこかあざける様な声を投げた。


「仇を間違えるなよ、野蛮人。俺じゃない。ガーゴイルがやった」


 オーランドの言葉の意味は分からない。だが、意味がわかろうとも、聞く耳を持つ気は無い。


 話せば話すだけ絡めとられ、損を強いられる手合いが世の中にはいる。

 あるいは、言葉が通じなくて良かったとも言えるか。おかげで宵虎は、まったく惑わされる事は無い。


 舟に乗った宵虎を、オーランドとアンジェリカは油断なく、だが手を出す事なく眺めていた。


 舟の上足場が制限された状態で背中から切られる……と言う訳でもなかったらしい。

 それ以上邪魔立てされる事もなく、宵虎は舟を漕ぎだした。


「……だんにゃ。アイシャは…」

「そうそう死なん。あれは達人だ。あの目の腐った奴に置いて行かれただけだろう」

「……そうだにゃ」


 どこか言い聞かせるような風情でネロは呟く。


 夕日の下、篝火の乗った舟に寄り、一人と一匹は洞窟へと向かった。


 *


 向こう岸へと流れていく宵虎達――それを見送りながら、オーランドはアンジェリカに問いを投げる。


「アンジェリカ。なんで船をくれてやるんだ?好みだったか?」

「別に……」

 アンジェリカは気のない風に答え、それからどこかふらつく様な、怯えたような足取りでオーランドへと近寄り、崩れるようにその胸へと飛び込んだ。


 野蛮な奴に敵意を向けられて、怖くなった………そんな風に見える仕草だが、この程度で怯えるような女ではないとオーランドは知っている。


 ただ、周囲にはまだオーランドに利用されているハンター達の目がある。


 か弱い事にしておいた方が得なのだ。利用するにも、裏切るにも……内緒話をするにも。


 オーランドの身体の陰に隠れ、オーランドを見上げたアンジェリカはどこか楽し気な顔で言った。


「あの男、やたら勘が良いわ。……関わらない方が得よ、絶対。かき乱されるわ。アイシャと感動の再開をして、さっさと立ち去って貰いましょう?生きていればだけど……」


 アンジェリカは、オーランドと同じだ。根底の思考原理が損得だけで出来ている。


 舟をやったのは、今ここで戦闘が起きて、せっかく騙して来たハンター達の前で実力を見せたくないと言うだけの事。

 あるいは、アイシャの居所を教えたらしいのもそのためか。


 傍から見れば恋人同士が愛を語る様な仕草で……オーランドとアンジェリカが語るのは悪巧み。


「そうか。まあ、こちらから、これ以上関わる気もない。長居したが、もう終わりだ」

「ガーゴイルは?」

「無力化できる。方法を見つけた」

「そう……。じゃあ、今やる?」


 楽し気な笑みで、アンジェリカは言う。

 今すぐ……ここに居るハンター達を皆殺しにしようか。そんな意味の言葉を口にしているとは思えない表情で。


 アンジェリカは、人を殺すのが好き、というわけでも無い。

 人を利用するのが好きなのだ。始末するという事は、綺麗に利用と言う事。


 綺麗に無駄なく後始末するのは、好きなのだ。


「いや……。ガーゴイルを倒して、皆で喜んでいたら……突然ヒッポグリフに襲われた。悪いのは、ヒッポグリフだ。それなら、取り逃がしても追う手間が減るだろう?」

「そうね。……わかったわ。じゃあ、今日は豪華な晩餐にしましょうか?皆に振舞いましょう?」


 本気かどうかオーランドにすらわからない言葉と共に、アンジェリカはオーランドから離れようとした。


 だが、オーランドは、そんなアンジェリカを逃がさず、抱き寄せ……念を押しておく。


「アンジェリカ。間違えて俺まで切るなよ」


 アンジェリカからすれば、オーランドもまた利用しているうちの一人にすぎないだろう。オーランドからそうであるように。


 どこで見切られるかわからない。どこで見切りを付けるかもわからない。

 お互いにそうだ。


 完全に共犯者であり、どちらも常に、片割れに裏切られる可能性を念頭に置いている。


 方法を見つけたとは言った。だが、その方法をまだ伝える気は無い。

 漠然とした優位、肝心の情報は自分で握っておく。


 そんなオーランドを見上げ、微笑み掛け、アンジェリカは言う。


「信用して。借金が返ってくるまで、貴方は殺さないわ……」


 その言葉にも意味は無い。


 借金は昔確かにあった。だが、オーランドの記憶なら、返済は既に終えているはずだ。

 その門で利用価値を見出したから、結託しているだけの事。お互いに、ただそれだけだ。


「……ッ、」


 オーランドは僅かに呻いた。

 …………足を踏まれたからである。


 痛みに硬直したオーランドの腕の中からするりと抜け出して、アンジェリカは歩み去って行った。


 ……身を寄せたのはあっちからだが、どうも、調子に乗って抱き寄せたのは気に食わなかったらしい。


「……つれないな」


 どこか楽しむような風情で、オーランドはアンジェリカを見送った。


 夕日の中、黒い装束の女は歩む。

 修道服は、確かに、紛れるために着ている。

 だが、夜闇にではない。紛れるのは人の心の隙……。


 ただ着ているだけで周囲から警戒されにくくなる服なら、着て損はないだろう。まして、アンジェリカはおあつらえ向きに回復魔術を使える。

 実際にシスターで、癒す様を見せれば周囲の油断は誘えるのだ。


 騙し、取り入り、油断させ……用済みになったら牙を剥く。

 オーランドが知る限り、アンジェリカは、そう言う女だ。


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